常識の変化

ここ数年お寺の向拝に行事があるときには人工芝を敷くようにしている。

それは円の汚れを隠すと言うことがひとつあるのだけど、もう一つ大事な目的として上まで靴をはいだままは行ってもらおうという思いがあったからだ。
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でもも共とウチの寺の場合、向拝から入られる人は少ない。何故か庫裡の玄関から入られる人がほとんどだった。
そういう中でもたまに向拝から入られる方もいる。
だけどなんです。
私の思いからるとなんで?っていうことがおこってます。
っていうのも、人工芝が挽いてないところで靴を抜かれるのです。
私はずっと中まで靴で入っていただきたく人工芝を挽いてるのに!
絨毯や毛氈でないのだからそのままは入ってほしいんだけど、そうは成らないことばかり、
そして人工芝が敷いてないときは当たり前のように靴のままではいられる人がほとんど。
私の常識の中では国政の所は靴を抜いてはいるのが当たり前、橋でなければ。そういうのがあるけど、通用しないみたい。
これが若い人だけって言うわけではなく、60代70台の方も平気なんですよね。
これは私が思っていることが日本の常識でなかったって言うことなのかな。???
俺ってやっぱ非常識人だったんだね。

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