173 祠堂経会のお礼

173.jpg

カミングアウト(Coming out)とは、これまで公にしていなかった自らの出生や、病状、あるいは性的指向を表明することをいいます。またカムアウト(Come out)ともいいます。もともとは「(引きこもっている)クローゼットの中から出る(カミング・アウトする)」という意味のアメリカの隠語から来ているそうです。(Wikipediaを参照)
 ただ人が隠したいこと人の心を察せずに無神経に暴露していくということには嫌悪感を感じますが、本人が隠そうとしていることを自ら表明していくことは大切なことなのでは思う今日この頃です。
 今年の春、知人達とバスで旅したとき友人がバスの中でふと話されたことがあります。それは、自分の近所の人が長い間、自分が糖尿病であることを隠し通され、結局こじらせてしまい亡くなっていかれたとおっしゃったんです。他人事でない私はドキッとしました。
 でも私の場合は幸い隠すことなくいるので、それなりにいろんな人が色んな表現で気を遣ってくれます。だから食べ過ぎて血糖値を上げつづけるということなく症状を安定させることが出来ています。もし自分も隠し通していたり、自分が高血糖症であることに気づいていなかったらどうでしょう。法事のあとのお斎の席でも、自分の症状を隠そうとすると無理して食べたり飲んだりしてしまわざるを得ません。そうならば病状を悪化させていくだけなのでしょう。
 しかし自分の症状を知っていてくれたり、そして自分の症状を隠さず表明していくと人が気をつかってくれたり、自分で食べることに当たり前のように気をつけることが出来るのです。とにかく健康な人間のフリをする必要は全くないのです。
 何かのフリをするっていうことは結構つらいことです。それは自分を隠すということですから。嘘をつけばその嘘をついたことを隠すためにどんどん嘘を積み重ねていかないことといっしょで大変疲れることです。気が休まることがありません。そうなると精神衛生上よいこととは決していえないことでしょう。
 隠しておきたいこと自分を偽らなくてはならないことは思い切って表明していくことが私が私として生きるためには大切なことです。
 また、自分の親しき人でも、自分を偽ったり、隠したり、悩んでいることがある可能性があることを心のどこかに刻んでおくことは大切なことではないでしょうか。自分は自分の少ない経験の中でいろんなことを推測したり、無智なるところでいろんなことを考えている私であることに気づきつづけることが、親しき人がその人らしく生きるためには大切なことなのではないでしょうか。
 カミングアウトすることの大切さ、カミングアウトを受け入れる環境を私たちが作り続けることの大切さをつくづく思っているわけです。

「173 祠堂経会のお礼」への1件のフィードバック

コメントする