同朋唱和は宗風の回復運動

標題のことを最近思ってたんです
同朋唱和は同朋会運動の新たな運動ではなく、以前当然のように行われていたものを回復を目的とするものではないだろうか、なんて思うんです。
そもそも同朋会運動もお講組織の回復運動だと考える私です。
でも最近持論に疑問をもつんです
元来正信偈の草四句目下の勤行を当たり前にしている私たちですが、本来お朝事は草四句目下ではなく、舌々二淘、本山でも別院でも、末寺でもそうだった。
この早いお勤めを昔の人は出来たんだろうか。
この理解しにくいお勤めを門信徒の方々は当たり前に出来たのだろうか。
また月参りというのが昔からあったことなのだろうか。
そんなことを思うと疑問を持つ
そしてそして、お内仏を持つお宅は今のようにたくさんあったのだろうか。
土地を持っている農家や、商売をしている家は持てただろうけど、

歴史をしっかり調べてみないと判らないな
自分の持っている常識の中だけでいろいろ想像しても限界があると思う。

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