浄土の顕彰

顕彰とは個人の功績や善行を讃えるということであろう。
私たち念仏者の顕彰とは還相の菩薩として顕彰するということになる。
還相の菩薩とは私を浄土に導いてくださった菩薩様ということ。
故人を浄土に導いてくださったお方として讃えるということは
私たちの概念としてのほめたたえるということとはちょっと違うのではないだろうか。
私が浄土に生まれることとして大切なことは「世を厭う」ということであろう。
浄土を願う心のもとを私に植え付けてくださった方が還相の菩薩様なのだろう。
「愚者になりて往生す」という法然上人のお言葉をたよりにするなら、
愚者の自覚をくださる方が還相の菩薩となろう。
我が身は罪悪深重煩悩熾盛
火宅無常の世界はよろづのこと、みなもっと、そらごと、たはごと、まことあることなき世
を私たちに示してくださっているのです。
そういうことを指し示してくださったお方として讃えていくことが浄土の、浄土真宗の顕彰、浄土真宗のちぃちょうということなのではないでしょうか。
人間の愚かさを身をもって示していただく方としてほめたたえていくことも浄土の顕彰となることでしょう。
立派な人として讃えていくというよりは
尊いことを教えてくださったお方と讃えていくことなのでしょう。

そういうことを昨日東本願寺の全戦没者追弔法要に参加していただき思わせていただいた次第です。

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