169 浄土の供養

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浄土の供養
 現代において仏教と私たちをつなげているものに「供養」ということがあると思います。しかし供養という言葉ぐらい誤解されて使われているものは無いのではないでしょうか。
 本来、供養とは「食物や衣服を仏法僧の三宝に供給する」という意味です。決して、亡くなった人から祟られたりすることから自分を護るためのものという意味はないのです。それがいつの間にか、供養が祟りと災いから、自分の身を護るための道具にされてきたのです。
 供養は顕彰すればよい、故人の功績や善行を讃えればよいというものではありません。言い換えればただ単に良い人だったといっておればよいものではないと私は考えます。故人が私に願われてる願いに仏様の教えを手がかりにして訪ね頷いていくことが大切だと思うのです。
 私たちの宗祖親鸞聖人は、「還相廻向」ということをいわれます。阿弥陀仏や浄土の人々からから私たちに浄土に生まれよという願いが掛けられていることを
教えてくだされています。私たちは先祖や仏様に色々と願い事をします。私が幸せになりますように、成仏してください、みんなが幸せになりますように…等々
色々お願い事をするものです。願い事が叶うかどうかということを別として。ある意味私たちが仏様などにお願い事をすると同じように仏様、そして浄土におら
れる先祖の方々もお願い事をされています、私たちに。私たちに願いを掛けておられるのです。その願いに気づいていくことを私たちの先祖の方々は大事にされ
てきたのです。先祖が敬うべき存在であったことに気づきそのことに頷きつづけていくことが私たちには大切なのでしょう。
 先祖はほめたたえておけばよいのではなく、尊敬すべき、供養すべき存在として出会い直してくことが大事なのです。先祖の導きの声を念仏の歴史を通して聞
き取っていくこと、先祖の生き様に学び私が求めるものを明らかにさせてもらうことが大事なのです。時には悪いことを身をもって教えてくださったこともあっ
たでしょう。
 先祖が犯した間違い、そして犯した罪を罪と認め、自分たちが二度と繰り返さないと誓い、歩んで往くことも先祖が喜ばれることの一つでしょうし、大切な供
養の一つとなることでしょう。戦争を二度と起こさない、すなわち「殺さない、殺させない、殺されない」という歩みは私たち日本に住むものにとって本当に大
切な先祖を供養するという歩みになることでしょう。また大切な先祖の顕彰なのです。

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