「門徒」という言葉

浄土真宗の檀家を門徒と一般的に言うわけです。
檀は檀那を指す言葉で施しをする一という意味で、極端に簡単に言ってしまえばパトロンって言うことだろう。
檀家ではなく浄土真宗では門徒と行ってきたわけだ。
家から徒と変化していることは現代の視点から見ると家から個人という感じですごいことなのだろう。
でもこの言葉私は気になるのだ。
ある意味もっと大事にしたいのだ。
すごく引っかかるのは、
○○寺門徒っていう言い方に疑問を私は感じる。
自分も、どこどこの門徒さんといってしまっているのだけど、やっぱ気になる。
門徒という詞書きになるのではなく、門徒という言葉の前にある言葉が気になる、といった方が正確なのかも知れない。
私は門徒の前にくる言葉は、浄土と真宗、という言葉しか前に来るべきではないと思うのだ。
本願寺でもおかしいと思う。
門徒は所有物ではない、
僧侶も門徒だ。

もんと 【門徒】

同じ宗派に帰依して宗教生活を送る人。本来は、同一の系譜に連なる僧侶を指したが、浄土真宗において在家の信者の意に用いられたため、中世後期以降、もっぱら真宗信者一般に対する呼称となった。
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とある。もともと僧侶を指した言葉だったそうな。門徒も檀家も関係ないって言うところからこういうようになったのかも知れない。
それなのに。
現実、「門徒」と僧侶を区別している。
深い深い溝を作ってる。
檀家を門徒といっても何ら現実変わらない関係。

だから自分は檀家って言う言い方をわざわざすることもある。

浄土真宗で檀家のことを門徒というんだって言うことで終わるのではなく、何故そういう言い方になったのかなんていうことを大事にしていかないといけないんだろうな。
変化していかないと、ちかづいていかないと
門徒って言う言葉に失礼だ。なんて私は思う。

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