ちょっと時期遅れですが 鬼を考える

節分が終わってしまっていますが、ナムナムで聞いた話し、考えた話をまとめて、「鬼」「悪」をちょっと考えてみたいと思います。
鬼について起源は色々あるのでしょうが、一つ鬼門と言うことから考えてみると、
鬼門は中国からおこった考え方です。中国は季節風が報告から吹いてくると言うこともあるのかも知れませんが、一つ、万里の長城と言うことを手がかりに考えていくと、中国というか漢民族の方々からすると東北の方向から攻め入ってくる存在があったのでしょう。鬼とたとえたのではないでしょうか。鬼がやってくる方向が鬼門、攻め入ってくるのがよく豊北の方向であったっとというのがあるのではないでしょうか。
漢民族はたびたびモンゴルの人々から攻め込まれていたことです。
時分を攻撃する者が鬼といえることでしょう。
ちなみに豊北の方向は十二支でいえば牛と虎の間の方向になります。だから鬼は牛のような角が生えていて、徒らのパンツをはいているのだとも言われるのです。
時分を攻撃してくる存在は当然のように時分は防御してしまうのですが、
何故攻撃してくるのかと言うことを考えなければいけないのではないでしょうか。経済格差、抑圧、私たちの社会が作る抑圧も。おこる理由が何かしらあるはずです。何かに憂いている。何かを望んでいる。直接的に私が原因の時もありますし、間接的原因もあることでしょう。
鬼のいかり、鬼の叫びに耳をかたむけることによって、我が身我が社会が明らかになってくることでしょう。鬼の叫びいかりに出会ったとき鬼が鬼ではなく、鬼の姿をした還相の菩薩として出会い直すことが出来るのではないでしょうか。
悪人と言うことも中世において、社会外的存在を悪といったそうです。自分が生きている社会のその二生きる人々を悪人といったそうです。
自分に不利益をもたらすはたらき、本当にイヤな存在ですが、そのはたらきの本を尋ねることによって私の利益となることでしょう。我が身我が社会の悪なることを明らかにしてくれる尊いなはたらきと感じることでしょう。

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