久々に巡回

昨日は久々に城端別院の法宝物巡回布教の布教使としてお仕事をさせていただきました。
昨年は一度もお呼びがなかったから少なくても二年ぶり、
別名「ゴ0ダイサマ」
それは本願寺の御歴代の絵像一幅を持ち込んで営まれる法座だから。
伝統的な言い回しとしては、御代様にお伴させていただいて法座をひらくっていう感じ。
ゴダイサマの絵像が主賓なのです、どこまでも。
布教使として伺うものは、ゴダイサマの略歴を説明しないといけない。
でも、会場に行ってみないとどのゴダイサマ(の絵像)がお越しか判らない。
昔々別院から略歴を書いたものをいただいた覚えがあるけど、今はもううしなかした。
年表を覚えておいて皆さんの前で話しをする。
今回は大二十代達如上人。
この方は幕末の方。東本願寺がひー出る本願寺と呼ばれるもとになった時代の人。
何度かこの方の略歴を話したことがあり、何となく覚えているのであまり心配事とならなかった。
あと、基本的にお講なので、ご消息を儀式として読まなければいけない。
ご消息というのは本願寺門主が末寺、門徒中に宛てた手紙のこと。
私の場合は読むというより、暗記しているのを読んでいるように見せるだけ。
だって、
行書が読めないから。
昔、万葉仮名がいっぱいあるのも、本当にくずしてある、草書に近いのもいっぱいあった。
だから鉛筆でフリガナを書いて自分専用のものを持ち歩いたこともあったっけ。
今回は久しぶりということで暗記していたものが思い出せるか心配だったけど、大丈夫だった。

後々、
布教使という言葉に安心する。
師でなく使い、
自分はやっぱ知って感じでないから。違和感をいつも覚える。
使い、誰の使いかよう知らんけど、
使わしたもんが俺を指名したのだから。
ある意味責任がない。
俺は、誰かの使いだからといって、かちかちになるタイプでない。
与えられた簿を一生懸命しようとは思うけど、責任をあまり感じない(ようにしている)

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