昨日はスルー

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昨日は近隣寺院の報恩講があって午前中お参りに行かせていただきました。久しぶりの報恩講ということがあって上手にお勤めできたって言うわけには行きませんでした。持久力のなさを感じさせられました。声は出るのですが、長続きしません。またむせかえってしまいます。鍛えなきゃねぇ。
久しぶりと言うこともあって恩徳讃をゆっくり味わせていただきました。
午前中報恩講にお参りしたので、いつもの列車で金沢に行くことが出来ず、一本後の高岡行きに乗り後は特急列車に乗り継ぎ金沢まで行きました。ついでにお昼ごはんも家でいただきました。
ということで金沢駅近くでのコンビニはスルーして別院に向かいました。
昨日は親鸞という名告りについてお話ししようと思ったのですが、自分の中で全然整理がつかなかったので、「善信」の名告りを親鸞聖人19才の聖徳太子廟ので夢告を紹介しながらお話しさせていただきました。
ところで親鸞という名告りのもとである、天親曇鸞、宗祖にとってどんな存在だったのか?悩んでいます。
大乗仏教というキーワードで見ようかと思ったのですが、自分の中で頷けず、曇鸞の「往還廻向由他力」還相回向、響流十方、名声十方に聞こえん、その辺のことなのか名なんて細々考えています。

弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず。善導の御釈まことなら
ば、法然のおおせそらごとならんや。法然のおおせまことならば、親鸞がもうすむね、またもって、むなしかるべからずそうろうか。詮ずるところ、愚身の信心
におきてはかくのごとし。

なんて感じで天親曇鸞がある意味スルーされているんですよねぇ。
流罪にあって宗祖は何故親鸞を名告ったのか、しばらく考えてみたいです。
その前に今日お話しすることをまとめなきゃならんのに…

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