162 御文をいただく 其の五  五帳目第一通⑤

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弥陀如来
 弥陀如来とは言うまでもないことなのでしょうが、阿弥陀仏、阿弥陀如来のことを言います。
 阿弥陀如来は阿弥陀如来の救いにあずかりたいと思ったものすべてをすくい取るというお約束をされているお方です。いわばだれもをすくい取るお方なのです。
 しかし現代社会においては誰もをすくい取る阿弥陀如来の救いはあまり人気がないようであります。どちらかといえば、特別な人だけ、選ばれた人だけ、つまり限られた人が救われすという救いに人気があるようです。
 その原因のひとつには私たちの中流意識があるようです。私たちの住む日本は経済的に恵まれた国です。祭の日にぐらいしか出なかったご馳走が今や毎日のように食卓にのるようになり、毎日沢山の食材が廃棄されているのですから経済的に豊かな国なのでしょう。そういう環境に育っている私たちは高級品を好むようになり、「誰も」という言葉が響かなくなってしまったのでしょう。
 しかし、いのちを源とする食材を何の迷いもなく廃棄する私たち、地球上では食べようにも食べるものがないという生活をされている方が多くいる中で私たちは平気で食べ物を粗末にしています。そのような私たちは本当に救われて当然となる存在なのでしょうか。
 我が身の生き方を振り返らなければなりません。

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