わざと足を運ぶ

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久しぶりに、純粋に話が聞きたくて講演会に足を運びました。
そんなに人の話を聞きに行く私ではないということもあるのですが、
また、聞きたいっていう思いがあってももう一つ、仕方ない、とか役職だからなぁ~っていうおも意が同居しながら人の話を聞きに行くことは、あるのですが、
今回は隣の教区の事業というか、富山別院の修復事業の一環というかそういう学習会に足を運びました。
阿満さんの話が聞きたいという思い出足を運びました。
彼の本を何冊か読み、といっても正確には一冊半ぐらいかな、
(読んでないやないか!)
凄く気になる人で一度生でお話が聞きたかったのです。
ということで足を運びました。
富山別院は富山藩の合寺令を縁として造られたお寺、別院です。…だそうです。
ということで講題は、宗教と政治でした。
初めてお顔を拝見してびっくりしたのですが、白髪の人でした。というのも、自分の中ではもうちょっと若い感じっていうか、白髪っていうイメージがありませんでした。
いろんな単語をメモしたのですが、
「政治と宗教というのは真逆なものだ」というような言葉が印象に残っています。政治は暴力であり抑圧それに対し宗教はじだというようなことをおっしゃっておられました。記憶が確かなら…
本当に念仏を大事にしておられる方だっていう感じを受けとりました。
だから真逆なんていうようなことをおっしゃられるんだとも思いました。
やっぱ親鸞法然の念仏に出会えばそういいきるのは当然という感じも私にはあるんですが…
でも宗教教団寺所属する僧侶としてはそうなんだけど…、なんていう思いも私にはあります。私の所属する宗教団体は法然親鸞の流れを間違いなく受け継いでいるのですが…
私の教団は、教団護持のため政治に寄り添っていった。教団の権威をというものを表現するために天皇制を利用していった。だから私はそういう歴史が頭にちらついて
宗教と政治は真逆なんて言い切れない。

それと阿満さんは凄く同朋会運動を評価されていると思った。
恥ずかしいぐらいだった。
誤解だっていいたいぐらいだった。
阿満さんの視点からいえば私も同朋会運動に関わっているものとして受け取られているんだとも感じた。私はそんな自覚は薄く、同朋会運動とは結構遠い存在で批判する存在としてある意味あるのだけど、

とにかく阿満さんの話が聞けたことがうれしかった。

宗教は慈悲、政治は抑圧といわれたけど、
真宗僧侶である俺、
子ども達には抑圧ばっかり、抑圧の中で何かを伝えようとしている。
そんな自分が情けなくも思った。
それをやめれそうにもない、そのことも情けない。

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