154  迷惑を掛け合うことのできる関係

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「人の迷惑をかけてはいけない」そう思っている人もいることだろうし、自分の子どもに言い聞かせている人も少なくはないだろう。
 また若い人たちがつかう省略語で「自己チュー」というものもあった。これは自己中心的という言葉を短縮した言葉らしい。これは世の中に自己中心的な人が増え、それに迷惑を被った人が増えているからこういう短縮した言葉が生まれてきたのだろう。それだけ今の社会の問題となっていることを指し示している言葉といえよう。やっぱり人に迷惑を掛けられるのはイヤなことだ。だから人に迷惑を掛けることはいけないことだと思うことなのでしょう。私もそう思うのですが、反対に本当にそうなのかというふうに思うこともあるのです。
 迷惑というものも人によってイヤなことだと思ったり、イヤなことだけど仕方ないと思ったり、そして迷惑を掛けられたことがうれしく感じたりすることがあるのではないでしょうか。その人との関係によって同じ事でも感じ方が違うと思うのです。余り関係の深くない人だとイヤダという感情が強くなり、関係が深ければ薄くなっていくように思えます。
 また、私たちは人に迷惑をかけずに生きていくということがあり得るのでしょうか、私はそうは思えません。ちょっと極端な喩えになってしまうのですが、私たち命あるものはものを食べないと生きていけません。その食べ物は食べ物として存在しているわけでは決してありません。私たちと同じ生きものとして生きているのです。食べられるために生きているのではなく、生きるために生きているのです。私たちは当たり前のように食事をしていますが、食べられる方からすればとんでもないことです。迷惑なことではないでしょうか。私たちは迷惑をかけることは減らすことはできましょうが、なくすことはできないのです。
 ここ最近私たちは、誰かに迷惑をかけることを恐れる余り、近所・親類・友人というような人間関係のつながりを細くしてきているのではないでしょうか。私はこれでいいのかと思うのです。今私たちは迷惑をかける勇気を持ち、お互い様という精神であらゆる人々と関係を深めていくよう心がけることが大事なのではないかと思うのです。お互い迷惑を掛け合うことにより絆が深まっていくのではないでしょうか。
私たちは関係性の中で生きており、その中で人として成長し続けています。関係を絶っていくという方向性は人として生きることをやめるという事になるのではないでしょうか。

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