146号  お内仏のお世話⑩仏様の前で座る


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お内仏のお世話⑪

仏様の前で座る

お仏壇の中で一番主役となるものはいうまでもなくご本尊である。お内仏をお飾りするにあたってなくてはならないモノはご本尊もそうだけど、お内仏の前で手を合わせる私たちだろう。
ご本尊がどれだけ尊いものであっても、どれだけ貴重な宝物であっても、そのことが尊い、宝物だって頷いている人がいないと尊い、宝物であるという意味を持たない。また次には伝わっていかない。仏様の絵像様がどれだけ掛けられていてもその絵像様を見てご本尊と戴く人がいないとご本尊ではない、仏様ではない。単なる掛け軸でしかない。その時点ではお仏壇も調度品、金箔を使った立派な家具でしかないのである。お仏壇がお仏壇であるためには、そしてご本尊がご本尊であるためには、仏様を仏様といただき、仏様の像が飾ってある物を仏壇といただける人がいて初めて仏様が仏様になり、仏壇になるのだろう。
仏様の前にただ座ればいいというものでもない。それはいうまでもなく仏様の前に座っているっていう自覚が必要だ。仏をイメージし仏様に念じる。そのためには説けとという存在は私にとってどんな存在なのかということをはっきりさせなければいけない。そのためには南無阿弥陀仏と念仏申されてきた先輩方に尋ねるしかないことだろう。そういう確かめのもと仏様の前に座るときいつの間にか手が合わされていることだろう。
以前お年を召したお方からおもしろいしつけについてお話を聞かせていただいたことがあります。それは、昔は今と違って朝御飯はどれだけおなかがすいてもすぐに朝ご飯を食べさせてもらえなかったそうです。阿弥陀如来様の前で手を合わせてこないとご飯を食べることが許されなかったそうです。またみんなで『正信偈』のお勤めが終わり、お文の「あなかしこあなかしこ」という言葉が終わらないと朝御飯は始まらなかったそうです。でもそういう厳しいしつけがあったからこそ今毎朝お仏壇の前に座らせていただけています。そういうお話を聞かせていただいたことがあります。今そういうご家庭はほとんどありませんでしょうし、そういうことをしなければならないっていうことは私は思いません。しかしその厳しいしつけの中において念仏申すひとに育ってほしいという願いが込められていたことは間違えのないことです。その願いを家族に伝えるっていうことは形は違っても私たちにはできるのではないでしょうか。
またそういうつよい願いがあって今わたしたちは念仏申す生活ができていることでしょう。
わたしたちは念仏申す人に出会い、仏というはたらきについて今からでも聞かなければいけないのではないでしょうか。仏をイメージして手を合わせるという行いを心がけていくことが今、大切なのではないでしょうか。

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