143号 お内仏のお世話⑨お華束(おけそく) 訂正6/1


ごぼはんだより143
お内仏のお世話? お 華 束
法要や報恩講の時はいつものお飾りに加えお華束をもります。漢字から訪ねると、花束とありますから花を重ねたものを飾るということなのでしょうが、餅や干菓子をお飾りすることが普通です。お寺や大きなお仏壇ではその餅や干菓子が花を重ねたように見えることはありますが、普通のお仏壇でお持ちなどをお飾りしても花を束ねたようには見えないのも実際です。

また最近「お華束」という言葉が一人歩きしているような感じがしてなりません。本来法要などでお華束としてお飾りしたお持ちなどのお下がりを参詣者の方々にお裾分けしていました。しかしお飾りした餅を配るのではなく、法要にお参りいただいた方々におみやげとして餅を配らなくてはならなく、その餅の名前をお華束というのだと思っておられる方々が最近多いように見受けられます。仏様にお飾りされることなくお参りなさった方々にお華束としてお配りされている現状に時代を感じるというか、本義が失われている現状を感じ取るのです。

お華束は御仏飯と同様仏教の真理をあらわす、白蓮華に見立ててお餅をお飾りすることです。そしてこれも御仏飯と同様お飾りしたものをいただくこと、食することまでが大事なお飾りなのです。

餅は日本では大切な行事のときにいただく物という意識が強いものです。白米よりも大切な主食という意識が日本に住んでこられた人々の生活の意識の中にあったようです。今はそうではないかも知れませんが、特別な食べ物という意識が強かったそうです。

そういう思いのあるお餅を白い蓮の花の花びらとしてお飾りし食するということは、仏教がお餅のように掛け替えのない尊いものとして私の元に現れていることを喜び、みほとけのみ教えに生きていくことを意味しているのではないでしょうか。

法要などに参列し、お餅をおみやげとしてちょうだいし、それをいつのまにかかびさせ、捨ててしまうことであるのならば、本当に大切な先祖の願いを踏みにじってしまうことと言えるのではないでしょうか。その事を自分にも問いつづけていかなければいけないと感じています。

モッタイナイ 勿体ない

仏法が御前にあっても喜べぬ私   モッタイナイ勿体ない

勿体ないことに気づけない自分
モッタイナイ勿体ない

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