140号 ほうもっつぁん

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本年も例年のごとく井波別院、城端別院の巡回の法座が東老田でも催されています。本来というか、以前はこの巡回法座は、「同行(どうぎょう)」と呼ばれている人達を中心に在所の家々で行われていたのです。しかし、お宿を頂けるお宅がなくなったこと、そして同行をしていただける方がいなくなったことがあり、今は東老田ではお寺でやっているのです。
正式には法宝物巡回布教と言います。「ほうもっつぁん(法物さん)」と親しく呼ばれていることもございます。宝という字があるので別院の貴重な宝物をもって巡回していると誤解される方もいるようですが、そうではありません。別院の宝である仏法を伝える行事、別院の唯一の存在意義である仏法を伝えるその使命を実行する行事なのです。仏法を伝えるということのシンボルである歴代のご門主さんが描かれている掛け軸や、別院の由緒をを記した掛け軸をおかけして法座が開かれています。御歴代の変わりに布教師の方がお話しなさるっていうことなのでしょう。
正直、最近お参りになされる方が東老田では減っています。「義理参り」というものがお寺で催すと働かないっていうこともあるのでしょう。また義理も働かないお寺っていうことを明らかにしてくださっている事実でもあるのでしょう。その事はしっかり受け止めていかなければいけないと思わさせていただいています。
私はただお参りに来ていただける方が少なくなったから止めてしまえとは思っていません。もしかすると時代遅れなのかも知れません。ただ、時代遅れだという私たちを明らかにしなければいけないと思います。この思いの奥には、今がよくて昔が悪い。自分が正しくて、自分の意の沿わないものは間違えだというものがあるのではないでしょうか。本当にそうなのでしょうか。その事を明らかにしていかなければいけないと思うのです。この課題に真向かいに取り組んだ、というか、課題として歩んでこられたのが仏教の歴史と私は思っています。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり」という「平家物語」の冒頭の一文が浮かんで参ります。常なきが私たちの生き方であり歴史なのです。正義、善、常識、それぞれのものが、時代、文化、地域、そして人それぞれがちがうのです。でも私たちはその事に気づかず生きて、人をけ落としたり、自分が落ち込んだりしていくのです。
ある意味でいろんな昔からの行事にあうことによって人それぞれという事実に遇いませんか。

東本願寺青少幼年センター準備室が企画しました「第5回絵本百冊プレゼント」に応募したところ、当寺に進呈いただけることになりました。 どのように活用していくか皆さんのお知恵をお貸しください。またご活用ください。

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