ごぼはんだより139号 お内仏のお世話⑧ 御仏飯


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お内仏様には毎朝、朝のお勤めを終えたあと御仏飯をお供えし、お昼頃にお下げすることが習わしになっています。そして於東ではご飯を仏飯器に蓮をもしてもられています。お西ではつぼみの形になるようおしゃもじなどで形取り、お東は実の形になるよう盛槽という道具を使いもります。
仏さんのご飯ということは間違えのないことなのでしょうけど、お荘厳という意味も大事にしていかなければならないことでしょう。つまり仏様をお飾りするために御仏飯をお供えするという意味も大切な意義としていただいていかなければならないということです。白い白米をお飾りするということより、白い蓮の花を白米を使い形取りお飾りする。仏様のお徳を白い蓮の花として讃えることが御仏飯をお飾りする意味が大事だと考えています。
言い伝えによると、真っ白の蓮の花は毎年花を咲かせず、数十年に一度、何百年に一度しか花をつけないそうです。そのめったに見ることのできない真っ白の蓮の花は、汚くどろどろとした沼に一転して真っ白に耀き咲いているそうです。阿弥陀なるはたらきはよくよく考えればあえるはずのないものに珍しくあうことができ、またそのはたらきによって汚れきった我が身に、自分にふさわしくないと思えるぐらいの真っ白の花が咲いたような喜びを私と仏法のであいを表現されてきているのではないでしょうか。
またその白蓮華を私たち日本に住むものにとっては主食であるご飯で表現されている事も大切なメッセージが込められていることなのかも知れません。御仏飯は仏さんにお飾りして終わるというものではありません。御仏飯はずっとお飾りしておくものではなく、お昼にはお下げすることになっています。一日中お飾りしておくと特に夏などでは、臭くなりお下げしたあと食べようと思っても食べることができなくなります。ある意味食べるためにお昼にお下げするのではないでしょうか。お飾りして終わりなのではなく、仏教の象徴である白蓮華に形取った白米をいただく、私たちの主食として仏教をいただき、私たちの血と肉とする。そういうものが仏教であるという願いによってお飾りされてきたことではないのでしょうか。仏さんにあげるものが御仏飯ではなく、仏さんからいただいたものであり、それを大事にしまっておくべきものでもなく、自分の大事な食としていただいていくものなのではないでしょうか。

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