ほんこはん

今日も友人が住職を務めるお寺の報恩講です。だいぶ疲れがたまってますけど、ここは一座なので気が楽です。その前に満中陰の法要がひとつ、明日の夜からわたしが代務住職をしているお寺のアイジョウコウのお寺の報恩講、あと12月にもう一つ、これで懇念の報恩講は終わり。
今坊守が産休に入っていて、報恩講法事が重なると平生の月参りが結構おろそかになっています。
富山のお寺の報恩講は基本的に住職は余間に座って拝聴することになっています。住職が調声するということは基本的には絶対にありません。でもこういう風習は富山だけのようです。この風習はわたしは大事にしていきたいです。
報恩講は勤めるものではなく、勤めていただくもの。そういうことが形になって残っているんだと思ってます。
檀家にもお手次ぎのお寺があるように真宗寺院にもお手次ぎのお寺があります。それをアイジョウコウっていってます。感じがあるんでしょうがよくわかりません。
檀家がお手次ぎのお寺に報恩講や法事を勤めていただくように、真宗寺院もお手次ぎに報恩講や法事を勤めていただくのです。
聞、拝聴するということを宝としてきた歴史からくるものでしょう。
だからわたし箱の風習を宝物としていきたいです。

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