疑問 何で?

一昨日新しくできたあるパンフレットを見ていたら、横にいた人がそのパンフレットの間違えを見つけた、
それは

如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし

師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし



という恩徳讃が、
如来大慈
となっているミスコピーを見つけたのだった。
そのときふと疑問が起こった。
大悲というのは大慈悲、もしくは大慈大悲を短くしていわれているんだろうけど、
でもなぜ、宗祖は大慈でなく、大悲だったんだろうか。
宗祖の中で、慈と悲は頂き方が違ったんだろうか。
ちょっと悩んでいます。
誰かわかりますか?

「疑問 何で?」への3件のフィードバック

  1.  わかったからコメントしたのではありません。
    >宗祖の中で、慈と悲は頂き方が違ったんだろうか。
    『歎異抄』4条に「慈悲に聖道・浄土のかわりめあり」と始まりますよね。なんか、ここに潜んでいるような気がしたんですが、いかがでしょうか。やっぱりよくわかりません。

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  2. 悲の字源から考えると、
    上の非はあばら骨が引き裂かれる
    様子をあらわし、それが心の上に
    のっているのですね。
    大の字は、これは宗祖は
    「大行」というように、徹底して如来に
    かかる字として使っておられるようです。
    私のコメントも回答にはなって
    いませんが・・・

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  3. ネットで今調べたのですが、「慈」はかわいがるっていう意味があるみたいですね。一度しっかり漢和辞典で調べなくてはいけませんが。
    最近お説教で、阿弥陀さんに救ってもらえるのはご褒美ではなく、悲しくでどうしようもなくなって救ってくだされるんですよっていう話しをすることがあるんですが、そういうことなんですかね。
    釋香立さんの言われることも何となく感覚としてわかるような。
    伝統的な言い方なんでしょうか、それとも宗祖の独特な言い方なのでしょうか。

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