通信134  他力本願

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浄土真宗の教えを一言であらわすとすると「他力本願」「悪人正機」という言葉になるでしょう。しかし誤解をして言葉の意味を理解している人も少なくはないのではないでしょうか。
他力本願という言葉を「人任せ」という感じで了解されている人は少ない内容です。通語としてはそういう頂き方もあるのでしょうが、しかし本来の意味からすれば全く頂き違いをしているといえることです。
「他力」という言葉は他人という意味ではなく、人間を超えた他なるはたらきのことをいうのです。すなわち阿弥陀仏を意味するのです。そして「本願」とは私たちのご本尊である阿弥陀仏が仏の位を授かるとき、仏になるにあったってたくさんの仏様の前で誓約をします。そのその誓約が認められ佛となられたわけですが、その時の誓約を本願といっています。またその誓いは私たちがより所としている経典には、四十八通りの違いが説かれていますので本願のことを四十八願ともいいます。
他力なる阿弥陀仏の本願をより所として、今生きているこのときを生き抜いていくことを「他力本願」と私たちの先祖、すなわち宗祖親鸞聖人の教えをタカラモノと私たち念仏を称えるモノにとってしてこられた方々は言ってこられたのです。本当に大切とすべき言葉なのです。
私たちが生きる力の源である、阿弥陀仏をたよりにして生きていくということは、何も考えず、また自分で何も判断をしないということではありません。反対に自分で考え、自分で判断することを言うのです。今生きてあることを、生かさせていただいていることを喜び生きることですから、授かったいのちによって生きている今を主体的に今生きてあることを喜び、生きてあることをタカラとして生きる生き方なのです。
一生懸命生きるとは、一生懸命悩み、一生懸命考えて生きることをいうのです。それが他力本願という生き方なのです。

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