ごぼはんだより133号 靖国神社について

133_page001.jpg私たちの教団は「靖国神社国家護持法案」に反対し、首相や閣僚が靖国神社に公として参拝することに反対してきました。これは先のアジア太平洋戦争を「聖戦」として政府の政策を積極的に協力してきたこと間違えとし、二度と同じ間違え、二度と戦争を繰り返さないために反対しているのです。その流れの一環として私たち教団が所属する真宗教団連合は本年も靖国神社公式参拝の中止要請をいたし、そして首相が参拝したことに対して抗議いたしました。
私たちの教団が靖国神社に首相・閣僚が公式参拝するを反対していることに対して多くの門信徒の皆様の中から批判されていることも承知しています。このことはもしかすると皆様には宗教の利害関係でいっているようにも聞こえているかも知れませんが、そうではございません。
私は多くの方々が「二度と戦争が起こらないように」という祈りの中でが靖国神社や、護国神社に参拝なさいますことは大切なことだと思っています。  靖国神社は表面的には宗教施設です。しかし内実は宗教を利用した軍事施設だったのです、否なのです。兵士が安心して死んでもらうための、そして安心してこれからも兵士になって死んでいってもらうために国民をマインドコントロールするための施設なのです。二度と戦争が起こりませんように、そして戦争で身内を亡くした悲しみそして厭うという純粋な私たちの心が利用されてきたのです、今も利用ようされようとしているのです。空襲などでなくなった戦没者すべてを祀っているのではなく、兵士として戦争の犠牲になったものだけが祀られていることがその証拠です。 戦争を二度と起こさない、永遠の平和を願うという大切な心は戦争で殺し殺されたすべての人、戦争を体験したすべての人を意識して祈らなくてはならないのです。
念仏を称えてこられた私たちの先輩方はこの世の生を終えた方々を浄土に帰って行かれた人達としていただかれてきました。浄土の人とは仏様としていただかれてきたということです。仏様は私たちに人間の姿をそのまま教えてくださるはたらきです。人間の苦しみ悲しみ、そして悲しまなければならない事実を私たちに教えてくださるはたらきが仏様なのです。
戦争の犠牲になった方を仏と頂くということは人間の悲しい事実として戦争を見ていくことです。そして戦争を繰り返さないことを心に刻むことなのです。戦争で人を殺してきた人も、殺された人も戦争の事実を教えてくださった尊い存在です。人が殺されていくという戦争の事実を覆い隠し、兵士として戦争に関わった人をただ賛美、ほめたたえていくということは仏様としていただくということには決してなりません。
正信偈に「常照我」とあるように仏は私のありのまま、私が住んでいる社会を常に照らしてくだされるはたらきです。そのことが私達人間が生きていく中で本当に尊いことなのです。念仏を先祖より頂いた私達は、我が身・我が社会の事実を教えてくださる全てのはたらきを仏として敬いその御恩に報いていくことが大切なのです。

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