127 ハンセン病問題全国交流集会に参加してきました

127.jpg 先月七日から九日にかけて東本願寺などを会場に「真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会」が開催されました。私は昨年の七月より教区の推薦によりハンセン病問題懇談会の委員になったということもあり参加してきました。これで六回目の開催だそうですが、私は初めて参加させていただきました。参加されたのはハンセン病の各療養所で生活されている方、退所された方、大谷派に所属しハンセン病問題に取り組んでいる人、そして今回は有志の努力によって台湾でハンセン病の療養所に生活されている方などが参加されていました。約二〇〇名ぐらいの参加であったと聞いています。この交流集会に参加された皆さん全員と出会うということは当然無理なことですが、少しでも多くの方と話しをしたいと思って参加させていただきました。幸い秋田の友人がいて、三人のハンセン病療養所に住んでおられる方を紹介していただき、じっくりお話を聞いた、ってことはできませんでしたが、一緒にお酒を飲んで騒がせていただき楽しいひとときを過ごさせていただきました。
 私個人としてのハンセン病問題への関わりは多分十数年ぐらい前だと思います。ある研修会で、浄土真宗のお寺にお生まれになられハンセン病にかかられ療養所で生活を当時されていた伊那教勝さんのお話を聞いてからです。そのあとその方が生活をされていた長島愛生園に何度か足を運んだ、それぐらいの関わり方でしかありません。また富山はハンセン病の療養所が近くにないということもあってなかなか簡単に訪れることができず、交流ということも容易ではありません。ハンセン病問題に関心を持ち続けるということも容易ではありません。でもハンセン病問題のこと、私が出会ったハンセン病療養所に住んでおられる方たちのことを忘れずに生きていきたいと思っています。
 ハンセン病という病気を無くすために国は、これ以上の感染を防ぐために療養所の方を「施設」に隔離し、ハンセン病患者を撲滅するという方法でハンセン病を撲滅しようとしました。また隔離する必要がないということが医学的にはっきりした後もその政策をついこの間まで進めていました。
 そして私たち国民は、隔離政策により、私たちの目の中に入らなくなり、また意識からも抹消し、歴史からも抹消してしまいました。それはハンセン病患者の方々を結果として存在として、人として認めないということです。
 意識しないこと存在を忘れることによってこの政策を肯定していました。
 差別や偏見というものはそれが差別や偏見だと自覚できると差別解放のために私たちは歩み出していけるものです。しかし差別を認識しないこと、差別をしていることを自覚できていないことによって温存されていくのです。差別は差別している自覚のない中で私たちは差別しているのです。だから差別はやっかいな問題なのです。
 そんなことを最近考えさせられています。

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