126 お内仏のお世話⑤佛華

126.jpg
お荘厳の伝統の中にもいろいろと私達の先輩方はいろいろな願いを込めて作り上げてこられています。 以前先輩より「なぜ仏花(仏様にお供えする花)に菊をよく使うかわかるか」と訪ねられたことがあります。私はわからずそのわけを聞くと、仏様と私たちの関係で一番大事なのが聞くということなので、そのことを忘れないないために、そして仏様の前に座る度に思い出すために私たちの先輩方は菊をお供えされてきたんですよ、と教えてくださった。聞くと菊の言葉遊びのように感じその時は私はその事を半信半疑で聞いていた。しかしそのことをなぜか最近よく思い出すのです。なぜか頷いてしまうのです。
 私達と仏様をつながり続けるには私達に聞くという姿勢が大切です。しかし、人生の参考として聞くというのではダメなようであります。仏様を仏様としていただくこと、お釈迦様の言葉を「教え」としていただくそういう姿勢が大切なのです。それは仏様を絶対的に信頼するということであります。お釈迦さまが私達に「お念仏をして幸せになりなさい」という勧めをいただき、何の疑いもなく実践していくということです。
 しかしどうでしょう。私達はどこまでお釈迦さまを信頼しお念仏を称えさせていただいているでしょうか。どこまでお念仏を信じ称えているでしょうか。お念仏を称えれば称えるほどほど私が仏様を疑っている心が見えてくるのではないでしょうか。恥ずかしいことであります。しかしこのことは南無阿弥陀仏という言葉となった仏様が私に知らさせてくださっているのです。言うなれば仏様の御利益として疑う私を知らさせていただいているのです。またこういうおまえだからこそお念仏しかないと教えてくださっています。
 仏教を聞くという横柄な姿勢ではなく、私の生き方を仏教に聞くという絶対信頼、聞くしかない私の有様を先祖は私達に仏花として菊を飾り指し示してくださっていたのです。

コメントする