112 月参りって

112.jpg お寺にいる私たちは毎月皆様のお宅におじゃまして月参りをさせていただき、生活をさせてもらっている。
 たまに小さい子どもから「なにしにたが?」「お参りって何?」ってきかれることがある。私にとって一番困る質問だ。私はこの質問に対する的確な答えを持ち得ていない。
 自分が月参りでやっていること、これを第三者から見れば「お経の配達人」こういうことになるだろう。しかしなぜお経を配達しているのだろう、悩んでしまう。みなさんもご存じのように私には先祖を供養するという能力をもってはいません。また私が学んできた限りではお経にはそんな力もない。しかし、私は各家庭のお内仏(仏壇)の前に座ってお経や正信偈を読む行為をしてお布施というお金をいただいている。私からすれば申し訳ないとしかいいようがない。
 ただ無理矢理、月参りをしていることの意味づけを私なりにすると、先祖が大事にしてきたものを伝えるということではないかと思っている。私たちの先祖は先祖を敬ってこられた。その先祖が敬ってこられたのは阿弥陀仏である。そして阿弥陀仏を敬った人々を敬ってこられた。そういう伝統を皆様の前で形としてあらわし、伝えることが私の仕事かと最近は思っている。
 ひととき、月参りの意義が見えず心がつらくなり、お参りをつい休んでしまうことがよくありました。非常に皆様方にもうしけないことをしていました。伝統を伝えることこれが私の今しなければいけないことと感じています。そのなかで見えてきたことはお参りの中でお経や正信偈を読誦し、阿弥陀如来を敬うということを形で歌えることも大事なのですが、もうひとつ、皆様方とじっくり話し合う、このことも本当に大事なことであると見えてきました。できれば「お茶飲んで行かれ」と一言かけて下されれば幸いであります。

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