103 親の姿を見て子が育つ

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「親の姿を見て子が育つ」この言葉が頭の中をいま回り続けている、頷かさせられる。
 最近子どもが起こす犯罪、子どもが被害者になる犯罪がよく目に付く。また子どもが加害者であり、被害者になる事件がよく耳にはいるようになった。長崎の佐世保では小学校で同級生を斬り殺す事件、また東京では中学生が知り合いの子どもをビルから突き落として殺そうとした事件、…。その他たくさんある。
 これは特別な事件であり、特別な生活環境の中で育った人が事件を起こしているのだ、というように思いこみたい。しかしどうもそうではないようである。テレビなどの報道が放送している限りではいわゆる「普通の子」が起こした事件である。また、子どもがおこす目に余る内容の事件が数多くおこっている。そんな事を考えると、どうも特別な事ではないようである。
 いま、佐世保の事件を機に小学生にカッターナイフや小刀を持たせないという学校が増えている。また「いのちの教育」の徹底という事がはやっている。しかし凶器となりうる道具を取り上げただけで、また子ども達にいのち尊さを押しつけるだで、問題は解決できないと思う。
 多くの子ども達が病んでいる、というか昔と違っている、それは間違えのない事であろう。ついそのことを受けて私たち大人は子ども達に向かって何とかしよう、何とか変わらせようとしてしまうわけであるが、その方向でいいのだろうか。
 問題の根源は子ども達に留まるものだけなのだろうか。そうではなく私たち大人の問題として受け止めていかなくてはならないのではないだろうか、私は思う。子ども達は私たち大人を見て育ってきているのだ。大人の生き方をまねして大きくなっていくのが子ども達なのだ。子ども達がかかえている問題はその子一人の問題でもなく、またその子の両親の問題だけでもなく、大人みんなの社会の問題でもある、私はそう思う。子どもだけを変えようとするのではなく、私たち大人も変わらなくてはいけないのではないだろうか。
 あるところの掲示板に「せんせいはわたしにてつぼうをじゅっかいさせます。でもせんせいはいっかいもしません」ということが書いてあった。子ども達はちゃんと私たちの事見ています。子ども達に立派な教育・思想・言葉を贈るだけではいけないのです。私たちも変わらなくてはならないのです。私たち大人もいのちを大切にする生き方というものをして行かなくては、心がけて行かなくてはならないのです。生き方を見せなければいけないのです。

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