101 お布施

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 私たちは一般的に「お布施」という言葉をお坊さんがお経などを読んだお礼というふうに使っている。それは間違いではないのですが、大事なことが抜けたところでの解釈になっているかもしれません。
 布施という字を辞書で調べると「他人に施し与えること。金品を与えることに限らず、教えを説き示すこと、恐れ・不安を除いてやること、また広く社会福祉的活動を行うことをいう。仏教の基本的実践徳目。施。檀那(だんな)。《大辞林》」というように出てくる。他人に施しを与えることであり、それが仏教の基本的実践徳目、ということである。これが本来的な意味である。
 しかし今わたし達が使っているのは月参りや法事をしてもらったときにお坊さんにお金を払うことをお布施といっている。しかしはずしてはいけないことは「施し」ということである。物品などかかったときに払う「料金」では決してないということである。皆さんが喜ぶ言い方をすれば値段はないということであり、決まっていないということです。ただでも一億円でもいいのです。しかしこの施しによって生きている私の立場から家端だというわけにはいかないというか、困ってしまうのです。
 それはともかくとしてお布施ということを「仏法に出遭えた喜びを他の人に施すという表現に変える」というようにいただいています。
 たまにお布施はいくら払ったらいいのかと聞かれることがありますが、そのことに対して私は「めいいっぱい」というように答えているのです。仏法にであえた喜びはなにものにも代え難いものでありますから、私財をなげうつことができるはずなのです、基本的には。イクラ、イクラという形ではなく、めいいっぱい施すというきもちが大事なのだと思います。ひと階蔵出したという個とを生にせずにある意味で自分なりに仏法にであえたことに自分で値段を付けてみることも大切なことだと思います。
 あなたにとってめいいっぱいとはイクラなのですか。仏法にイクラ払えますか?

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