100 幸せって何だろう

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幸せって
何だろう
 人間は幸せを求めて生きている、といってもいいのではないだろうか。好んで不幸せになろうとしている人に出会ったこともないし、いろんな人を観察していても結局幸せを求めている。でもその「幸せ」って何だろう。
 人間は幸せを求めるものだとしても、でも、その幸せの内容は人それぞれで違うものなのではないだろうか。お金持ちになることが一番の幸せと思っている人もいるだろうし、平穏がそうだと思っている人もあるだろう、そのほかいろんな幸せがあるのではないだろうか。人間の数だけ幸せの種類があるのだろう。言い換えれば人間の育つ環境によって幸せが違ってくる。
今、国からの教育によって「幸せ」が押しつけられ、それに悶々としたり、反発をしたり、あきらめたりしている。
 また幸せのために戦争のない社会を願ったり、戦争を起こしたりもしている。私自身、個人的な幸せもあるし、社会の幸せ、人間みんなの幸せもある。
 人間は幸せを求めるものなのであるが、大事なのはどんな幸せを求めようとしているのか、という内容が大事なのではないだろうか。
 私たちに親鸞聖人が遺された教えは阿弥陀佛の本願(人間みんながもっているの根っこにある願い)を信じ、専ら念仏申す教えであります。その念仏の道はみんな一緒に幸せになっていこうという道である、(裏面へ)
(表面から)
仏教を開かれたお釈迦様の根本の教えはみんな共に生きてある、というものであると私はいただいている。
 私たちは、幸せというものは一つではなく、数限りない幸せがある事を自覚し、そのなかで自分はどういう事にこだわって選び取っていくのか、与えられるばかりの幸せを生きるのではなく、自分でえらんだ幸せに向かって歩んでいかなくてはならないのではないだろうか。
 阿弥陀仏という私たちを救ってくだされる存在は摂取不捨、私たちを見捨てる事のない救いです。その救いに向かっていく私たちは選択、私にはむかないものは捨てていく、そういう選びを日常の生活の中で行う必要があるのではないだろうか。

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