常入寺行事案内の最近のブログ記事

第1弾
おやこのつどいby
ながしそうめん
昨年は休みましたが、
ながしそうめんことしも やりま~す
にちじ 8がつ6にち(もく)
ごご6じからはじめます。
9じ しゅうりょうよてい
さんかひ 500えん
ばしょ じょうにゅう寺
(あおいのてら)
第2弾
お寺であそぼ
―巡回子ども会―
京都(きょうと)にある大谷(おおたに)大学(だいがく)のお兄さんお姉さんがみなさんと楽(たの)しくあそぶためにお寺に来てくだされることになりました。
めっちゃたのしいよ! まってるよ~!
にちじ 8がつ18にち(火ようび) 午前10時より
さんかひ 無料(むりょう)
ばしょ じょうにゅう寺(あおいのおてら)
ないよう ゲーム・紙しばい・人形げき など
続きを読む: '09夏のごぼはんイベント 今年はダブルで~ぇ!
祠堂経会厳修
二〇〇九年六月二十八日午前十時より
二十九日午後四時まで
六月二十八日
午前の部、並びに祠堂のお勤め
午前十時より
尼講のお勤め 午後二時より
午後の部 引き続き
六月二十九日
午前の部のお勤め 午前十時より
午後の部のお勤め 午後二時より
※二十八日は尼講による昼食の振る舞いがございます。
それぞれのお勤めのあとに法話があります。(午前の部十二時頃、午後の部四時頃終了予定です)
法話は、両日とも婦中町の寳堂寺住職の篠川 弘一さんにお話しを頂きます。
祠堂経会開催中二日間 皆さんといっしょに聞法いたしたいと思っています。
ご近所の方々をお誘いの上お参りください。お待ちいたしております。
祠堂について
お寺に寄附をすることを祠堂といいます。どうも祠堂銭という言い方を以前はしていたようです。身内が亡くなられたことを縁としてお寺に祠堂されることが多いです。いつ祠堂すればよいのですかと聞かれることがありますが、寄附ですので、しなければいけないこともありませんし、いつということも決まってはいません。思い立ったときお寺にお持ちいただければよろしいです。また金額もお気持ちをお入れください。多い少ないということはありません。祠堂しようというお気持ちがお寺にとってこの上ない喜びです。
常入寺では祠堂を頂いた方々に祠堂のお勤めを祠堂経会の初日にまとめてさせていただいています。今年の祠堂経会の時にと思われるのでしたら出来れば祠堂経会が始まる一週間前までに祠堂をしていただければ幸いです。準備の都合等がございますので、祠堂経会の当日祠堂いただいてもお勤めできないこともございます事ご了承ください。
浄土真宗の寺院が建っている意義は念仏の声が未来永劫まで響き渡ることを願いとしています。その使命を全く果たそうとしていないものは浄土真宗の寺院と言えません。念仏のの声を皆さまにお届けすることがお寺の大事なお仕事であり、住職である私の重大な任務なのでしょう。
念仏の声を皆さまのお宅にまでお届けする宅配業が浄土真宗のお寺と言っても言い過ぎではないと思います。またこのお寺は念仏の声を聞き、またその念仏の声に応えるようにナムアミダブツと念仏を称えてこられた方々によって相続されてきました。念仏を子や孫の世代の人々に称えてほしいと言う願いのもと相続されてこられたのです。
そういう願いのもと相続されてきたお寺を住職として管理している私はそういう願いに応え続けたいと思わされます。また力不足の私であることも同時に知らされることです。
私たちは沢山の念仏の声を聞いて育ってきました。今もなお育ちつづけています。念仏を栄養に成長しつづけています。
しかし、念仏によって育っている私たちですが、私たちの口からあまり念仏の声が発せられなくなっています。阿弥陀仏の願いよりおこった念仏の声が今わたしの所まで聞こえているのですが、その歴史を途絶えさせようとしてしまっているのが私たちではないでしょうか。
「今の若いもんは」とつい思ってしまう私たちがですが、そういう若いもんを作ったのは誰なのでしょうか、少なくても私たちの後ろ姿を見て育ったのが彼らです。私たちは彼らに何を伝えたでしょうか、何を相続すべきか伝えたでしょうか。
その前に私たちは前に生まれた人々から何を受け取っているのでしょうか、何を相続しようとしてきたのでしょうか。今相続したと思っているものは前に生まれた人たちが相続してほしかったものなのでしょうか。
何を受け継ぎ、何を残したいか、そういうことを念仏を称えながら一人ひとりが考えていかなければならないことなのでしょう。
二〇〇九年六月二十八日午前十時より
二十九日午後四時まで
六月二十八日
午前の部、並びに祠堂のお勤め
午前十時より
尼講のお勤め 午後二時より
午後の部 引き続き
六月二十九日
午前の部のお勤め 午前十時より
午後の部のお勤め 午後二時より
※二十八日は尼講による昼食の振る舞いがございます。
それぞれのお勤めのあとに法話があります。(午前の部十二時頃、午後の部四時頃終了予定です)
法話は、両日とも婦中町の寳堂寺住職の篠川 弘一さんにお話しを頂きます。
祠堂経会開催中二日間 皆さんといっしょに聞法いたしたいと思っています。
ご近所の方々をお誘いの上お参りください。お待ちいたしております。
祠堂について
お寺に寄附をすることを祠堂といいます。どうも祠堂銭という言い方を以前はしていたようです。身内が亡くなられたことを縁としてお寺に祠堂されることが多いです。いつ祠堂すればよいのですかと聞かれることがありますが、寄附ですので、しなければいけないこともありませんし、いつということも決まってはいません。思い立ったときお寺にお持ちいただければよろしいです。また金額もお気持ちをお入れください。多い少ないということはありません。祠堂しようというお気持ちがお寺にとってこの上ない喜びです。
常入寺では祠堂を頂いた方々に祠堂のお勤めを祠堂経会の初日にまとめてさせていただいています。今年の祠堂経会の時にと思われるのでしたら出来れば祠堂経会が始まる一週間前までに祠堂をしていただければ幸いです。準備の都合等がございますので、祠堂経会の当日祠堂いただいてもお勤めできないこともございます事ご了承ください。
『安楽集』に云わく、真言を採り集めて、往益を助修せしむ。何となれば、念仏相続
前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え、連続無窮にして、願わくは休止せざらしめんと欲す。無辺の生死海を尽くさんがためのゆえなり、と。(親鸞聖人)
浄土真宗の寺院が建っている意義は念仏の声が未来永劫まで響き渡ることを願いとしています。その使命を全く果たそうとしていないものは浄土真宗の寺院と言えません。念仏のの声を皆さまにお届けすることがお寺の大事なお仕事であり、住職である私の重大な任務なのでしょう。
念仏の声を皆さまのお宅にまでお届けする宅配業が浄土真宗のお寺と言っても言い過ぎではないと思います。またこのお寺は念仏の声を聞き、またその念仏の声に応えるようにナムアミダブツと念仏を称えてこられた方々によって相続されてきました。念仏を子や孫の世代の人々に称えてほしいと言う願いのもと相続されてこられたのです。
そういう願いのもと相続されてきたお寺を住職として管理している私はそういう願いに応え続けたいと思わされます。また力不足の私であることも同時に知らされることです。
私たちは沢山の念仏の声を聞いて育ってきました。今もなお育ちつづけています。念仏を栄養に成長しつづけています。
しかし、念仏によって育っている私たちですが、私たちの口からあまり念仏の声が発せられなくなっています。阿弥陀仏の願いよりおこった念仏の声が今わたしの所まで聞こえているのですが、その歴史を途絶えさせようとしてしまっているのが私たちではないでしょうか。
「今の若いもんは」とつい思ってしまう私たちがですが、そういう若いもんを作ったのは誰なのでしょうか、少なくても私たちの後ろ姿を見て育ったのが彼らです。私たちは彼らに何を伝えたでしょうか、何を相続すべきか伝えたでしょうか。
その前に私たちは前に生まれた人々から何を受け取っているのでしょうか、何を相続しようとしてきたのでしょうか。今相続したと思っているものは前に生まれた人たちが相続してほしかったものなのでしょうか。
何を受け継ぎ、何を残したいか、そういうことを念仏を称えながら一人ひとりが考えていかなければならないことなのでしょう。
日 時 2009年2月6日(金)午前9時30分より午後3時30分ぐらいまで
場 所 常入寺庫裡座敷
布教使 藤井乗師
新聞報道などでご存じでしょうが、富山駅周辺には仕事を失い30名ぐらいの方々がホームレスとして生活をされています。
そして富山駅周辺のホームレスの方々を支援しようと富山福祉短大の「炊き出しクラブ」が炊き出しをされています。また有志の方々が就職などいろいろな支援活動を始められています。
そのようなことが新聞報道や友人から知らされるわけです。いつも気には少しかけていても何も行動は起こせていませんでした。
しかし今当時の報恩講をお勤めることを縁として何かお手伝いしたいと私は考えています。しかし一人では何も出来ません。
そこで報恩講をお迎えするにあたり皆さまにもご協力を頂きたいて行動したいと思ってます。
当寺の報恩講のお参りにきていただく際、ビニール袋にごはん茶碗一杯のお米を入れていただきお運びいただき、そしてその心がいっぱいこもったお米をホームレスを支援されている方々に預け、私たちの心をホームレスの方々に運ぶということを計画しています。
ご賛同いただけるお方はご協力お願いいたします。
報恩講のお参りの折、または平生の月参りの折、いっぱいの白米をお預けくださればお米とお心をお運びいたします。
よろしくお願いいたします。
そして富山駅周辺のホームレスの方々を支援しようと富山福祉短大の「炊き出しクラブ」が炊き出しをされています。また有志の方々が就職などいろいろな支援活動を始められています。
そのようなことが新聞報道や友人から知らされるわけです。いつも気には少しかけていても何も行動は起こせていませんでした。
しかし今当時の報恩講をお勤めることを縁として何かお手伝いしたいと私は考えています。しかし一人では何も出来ません。
そこで報恩講をお迎えするにあたり皆さまにもご協力を頂きたいて行動したいと思ってます。
当寺の報恩講のお参りにきていただく際、ビニール袋にごはん茶碗一杯のお米を入れていただきお運びいただき、そしてその心がいっぱいこもったお米をホームレスを支援されている方々に預け、私たちの心をホームレスの方々に運ぶということを計画しています。
ご賛同いただけるお方はご協力お願いいたします。
報恩講のお参りの折、または平生の月参りの折、いっぱいの白米をお預けくださればお米とお心をお運びいたします。
よろしくお願いいたします。
祠堂経会厳修
二〇〇八年六月二十九日午前十時より
三十日午後四時まで
六月二十九日
午前の部、並びに祠堂のお勤め
午前十時より
尼講のお勤め 午後二時より
午後の部 引き続き
六月 三十日
午前の部のお勤め 午前十時より
午後の部のお勤め 午後二時より
※二十九日は尼講による昼食の振る舞いがございます。
それぞれのお勤めのあとに法話があります。(午前の部十二時頃、午後の部四時頃終了予定です)
法話は、三十日は石川県かほく市の寺本菜都奈さんにお話しを頂きます。二十九日は住職が行います。
いつもお参りには女性が多いので30日にお話しいただく方を女性にしました。残念ながら29日は男性で住職ですがおつきあいください。今回お話しいただく寺本さんは以前東本願寺でよくお会いしたお方です。私自身も久しぶりにお会いしますので、どんなお話しを頂けるかとても楽しみです。
皆さんといっしょに聞法いたしたいと思っています。
ご近所の方々をお誘いの上お参りください。お待ちいたしております。
近年わたしは、ホンコハンを精一杯勤めよう、そういう気持ちが強くなってきています。でもそれが形として表れているとか、持続しているのかといわれれば胸を張って「はい」とはいえないのが現状ですが。でも精一杯勤めたいという思いは強いです。それはホンコハンを大事にしたいという思いから起こってくるものだと思います。自分にとってホンコハンが大切なものになってきたからでしょう。だから平生やったことのない掃除などもイヤだけれどもできるんだろうと思っています。だから、こうしたら良いというようなアイディアが湧いてきたり、自分なりのこだわりが起こってきます。それを他の人に理解sてもらえているかどうかということは別なんですけどね。皆さんの中にもこだわってしまうこと、一生懸命したいことは何かあるのではないでしょうか。
では人生というくくりではどうでしょう。私の場合は、一生が長いような気がして、まだまだという思いが強くて一生懸命したら息が切れそうで何事にも手を抜いているような気がしてなりません。でもふと思うこともあります。このままぼやっと生きていけばあっという間に一生を終えて、死んだあとにああすればよかったという後悔をたくさんするのではないかと思うのです。これも思うだけに止まってしまっています。
やっぱり自分の中に一度きりの人生、人として生きていることの尊さめでたさを全身で体感していないからなのでしょう。何よりも人として生きているという実感のなさから来るのでしょう。まぁ、いつの間にか生まれてしまって何の気無しに生きている私だから仕方のないことなのかもしれません。
でも、生まれてきた意義と生きる喜びを見つけることが私たちにとって一番大事なことなのではないでしょうか。皆さんも人生の意義と喜びをさがす旅に旅立ちませんか?
明日ありと 思う心の仇桜 嵐の吹かぬものかは(伝 親鸞聖人作)
修正会
一月一日午前五時より
初老や還暦の方々が団体参拝されますので修正会の始まる時間が変更となる場合もございます
年始は一日午前四時半より二日午後四時まで受付します
子ども初参り
お正月にお参りいただいたお子さんに(小学生以下)先着20名様におみやげにお菓子を用意しています。
お子さん、お孫さんと一緒にお参りください。
では人生というくくりではどうでしょう。私の場合は、一生が長いような気がして、まだまだという思いが強くて一生懸命したら息が切れそうで何事にも手を抜いているような気がしてなりません。でもふと思うこともあります。このままぼやっと生きていけばあっという間に一生を終えて、死んだあとにああすればよかったという後悔をたくさんするのではないかと思うのです。これも思うだけに止まってしまっています。
やっぱり自分の中に一度きりの人生、人として生きていることの尊さめでたさを全身で体感していないからなのでしょう。何よりも人として生きているという実感のなさから来るのでしょう。まぁ、いつの間にか生まれてしまって何の気無しに生きている私だから仕方のないことなのかもしれません。
でも、生まれてきた意義と生きる喜びを見つけることが私たちにとって一番大事なことなのではないでしょうか。皆さんも人生の意義と喜びをさがす旅に旅立ちませんか?
明日ありと 思う心の仇桜 嵐の吹かぬものかは(伝 親鸞聖人作)
修正会
一月一日午前五時より
初老や還暦の方々が団体参拝されますので修正会の始まる時間が変更となる場合もございます
年始は一日午前四時半より二日午後四時まで受付します
子ども初参り
お正月にお参りいただいたお子さんに(小学生以下)先着20名様におみやげにお菓子を用意しています。
お子さん、お孫さんと一緒にお参りください。






