2012年アーカイブ

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 先月12から13日にかけて国立療養所多磨全生園に行ってきました。全生園はハンセン病の療養所で、この施設はハンセン病患者をすでに隔離する必要がないと知っていても強制隔離す続けた施設です多磨全生園だけがそうなのではなく、日本にあるすべてのハンセン病療養所はそういう施設なのです。。そこにはまだ回復者の皆さんが住んでおられます、住まわされています。
 そこにある仏教施設で花まつりがつとまるということで参加してきました。ちょうど桜も満開、少し散り始めていて、桜符引き舞う状態でまさに花まつりでした。花まつりの行事辞退は淡々と終わったのですが、その後、元気な回復者の皆さんと結構遅くまで花見をして楽しみました。全生園にはたくさんの桜が植えられており、今はこの地域の桜の名所となっているそうです。
 その中である型が、園にあるいろんな木の思い出を語ってくださいました。誰が植えて、何時植えたとか。その人はこういう人だったと。その話を聞きながらその木を見ていると植えられた当時のことが知りもしないのに目に浮かんできました。木には歴史があり、思いがあって植えられているのだと、そう感じました。
 今私たちが花見を楽しむ桜は大概ソメイヨシノです。この木は自生して増えたのではなく、みんな接ぎ木によって増えていったそうです。種によって増えることはない品種だそうです。ですから誰かが植えたものなのです。
 今桜の名所となっている多磨全生園の桜も誰かが植えたものです。強制隔離された人々が植えたものなのです。どんな思いで植えて行かれたことなのでしょうか。今以上にハンセン病に対する差別が激しく、家族に会うことすら出来なかった方々がたくさんおられます。また以前は園の外に出ることが許されなかったりした時代もありますし、その後でも出ることをためらわざるを得なかった方々がたくさんおられたそうです。その方々が満開に花開く日を頭の中で描かれ植えて行かれたことなのでしょう。ハンセン病療養所の木には歴史があり、たくさんの思いが込められて植えられていることを改めて知らせていただきました。そういう歴史を、後世に、いや今いろんな人々に伝えないとと強く感じた次第でした。
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 仏教を開かれたお釈迦さまは、いまから約二五〇〇年前の旧暦の四月八日にお生まれになられたと言い伝えられています。そして、お釈迦さまの誕生は母であるマーヤ夫人の右脇の下からお生まれになり、すぐに四方に七歩ずつ歩き、右手は天、左手は地を指して「天上天下、唯我独尊」と宣言されたと言い伝えられています。「そんなあほな」なんていう声が聞こえてきそうです。私たちの常識からいえばあり得ない話としかいいようがないかもしれません。母親の右脇から生まれになられたとか、生まれてすぐに歩いたとか、すぐにおしゃべりになられたとか。
 この伝承を疑うのも自由ですし、まことであると思われるのも自由なことだと私は思っています。ただ、この伝承が私たちが生きている時代まで受け継がれている事実はしっかり受け止めなければならないことでしょう。そのこと間違いなしと思われた方や、そうであっても不思議ではないと思い伝えてこられた事実があって私たちの時代まで受け継がれているのです。それだけは間違いのない事実です。
 お釈迦さまはお生まれになられてすぐに「天上天下唯我独尊」と仰ったと言い伝えられています。天上天下、この世の中で、唯我独尊、我独り尊し。この世の中で私独りが尊いのだ、そういう意味なのでしょうけど。一番えらいという意味ではないように私は思えます。
 お釈迦さまの言葉として『仏説無量寿経』というお経の中に「人、世間の愛欲の中にありて、独り生じ独り死し独り去り独り来りて、行に当り苦楽の地に至り趣く。身、自らこれを当くるに、有も代わる者なし」と書きとどめられています。私たちの人生は、独りで生まれてきて、独りで死んでゆく。ひとりぼっちと考えれば非常に寂しい限りのことです。でも私はひとりというのは尊いことだといただきます。ひとりで生まれひとりで死んでいくということは、誰も同じ人生がないということです。双子として生まれてきても死んでいくときは別です。また同じ遺伝子を持っていません。当然ながら人生も全く別のものです。だから性格が同じように思えますが、しかし全く同じではないのです。生まれた環境はいっしょであっても、育つ環境、生きる環境はやがて違ってゆくのです。経験も違いが出てきます。だから同じでなくなってくるのです。ですから私の人生を代わってくれる者がいないのです。人の人生を代われるはずがないのです。違いが特質になり個性となっていくのです。
 人間それぞれの人生なのだからひとりぼっちというわけではありません。ひとり同士というところでつながって生きていけるのです。互いの違いを認め、尊重しひとり同士として。
 唯我独尊とはお釈迦様はひとりだけ偉いということではな、ひとりということの大切さを知られたからこそ、かわったり出来ない、同じものがない人生と知られたからこそ、尊いお方なのです。
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4月8日午後2時より
会場 常入寺
講師 月光真氏
講題 真宗にいかされて
聴講料 無料

どなたでも参加できます
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弥陀の報土
 弥陀の報土というのは、お浄土とも言い浄らかなという意味です。一方私たちが生活している世界を浄土教仏教では、穢土と言い当ててきました。汚れ穢れた世界ということで、ここにずっといていい世界ではないということは一面で言えることでしょう。そういう意味で言えば穢土が出発点で浄土が終着点であったり目標地点ともいえることなのでしょう。
 でもただ浄土に何も考えずに向かっていけばすむものではないような気がします。なぜ浄土に向かっていかなければいけないのかそのことを再確認し続けなければいけないような気がしてなりません。浄土はなぜ浄らかなのか、なぜ私たちの住んでいる世界を穢土、穢れた世界であると言い当ててこられたのか。そのことを訪ね続けなければ浄土への近道を歩めないような気がします。
 浄土は私たちの行き先でもあるのですが、もう一つ私の世界私の生活を照らし出してくだされるというというはたらきもあります。お浄土に生まれなければならない我が身であることを諭しくださっています。
 阿弥陀如来の救いが私を浄土に生まれさせてくださるというだけだと、信じ切れない思いが私にはわいてきます。未来のことの約束だけなら。その確信をなかなか得ることが出来ません、疑い深い私ですから。本当なんだろうかという不安がつきまといます。やっぱりそのことを確信させてくれるものがほしいです。今阿弥陀如来を感じたいです。でも、念佛を称えてこられた先輩方は感じてこられたはずです。感謝の念佛といわれてきたわけですから、感謝するもので出会われてきたはずです。それは、浄土に生まれるしかない我が身を照らし出し続けてくださったはたらきだったのではないでしょうか。
 阿弥陀如来の救いは、未来において私を浄土に生まれさせてくださるというはたらきと、今においては我が身を照らし続けてくださり浄土往生しなければならない見という二つあるといってもいいのではないでしょうか。
 浄土は行くべきところであり、同時に行かなならんことをも教えてくださっているのです。
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「福島」の子供達は今!!

謹啓 春寒の候、皆様方には益々ご清祥のことと拝察いたします。
 昨年3月11日に発生した東日本大震災により、震動による被害、津波による被害、原力発電所事故による被害が起こりました。おおよそ1年を経過する中、被害の状況が刻々と明らかになってきました。しかし、なぜか、原子力発電所事故が起こった福島県の報道が他県より少ないような気がしてなりません、なぜなのでしょうか。
 今回は、福島県へ食べ物の放射能測定器を送ろうという運動や、実際に福島へ赴き放射能の除染や子どもだちとの交流等の活動をされておられる七尾市の当派僧侶、畠山浄氏をお迎えしお話しいただきます。
 北陸に住む私たちが、今、福島の子たちに何が出来るのかということを共に考える場にいたしたいと思います。
 つきましては、下記のとおり研修会を開催いたしますので、是非お誘いあわせてご出席いただきたく、ご案内申し上げます。
 なお、この研候会は、大谷派教師陞補(一種)対象の研修会でもあります。
                                      合掌                記
1 名 称 第2回解放運動推進研修会

2 日 時 2012年3月13日(火)午後7時から午後9時まで

3 会場 高岡教務所

4 講師 畠山浄氏(能登教区第13組常福寺)

5 講題 「子どもたちを放射能から守るため、私たちができること」

6 聴講料 1、000円
       ※この研修会は、大谷派教師陛補(一種)対象の研修会でもあります。

7 懇親会 研修会終了後開催いたします。是非ご参加下さい。「会費実費」

※畠山浄先生のメッセージ裏面。


           高岡教区教化委員会



畠山浄先生からのメッセージ

 私たちは、誰と共に生きようとしているのでしょうか。それは、自分の心に耳を傾けてわかることではないでしょう。心の持ちようで決まるのではなく、たった今、開かれているこの世界の相(すがた)にこそ、私たちが誰と共に生きてきたのかが表れているのだと思うのです。まさに当事者として、私たちが何をよりどころとして生きてきたのかが世界から問われているのです。

 現にたった今も、放射能の中で被ばくし続けている福島のこどもたちから
「私たちは、あなたにとって同朋なんですか?」
「あなたが共に生きると言う時、その「共に」の中には私は入ってるんですか?」
と問いかけられているように思えてなりません。私にとって、それは声無き念仏の声です。

 身と土は二つではありません。阿弥陀仏とその仏土は、阿弥陀仏の願いが極楽という世界として成就しているのであります。阿弥陀の浄土によって私たちがひらいている煩悩にまみれた苦しみの世界、稜土が照らし出され、その時に初めて私たちが何をよりどころとして生きてきたのか、私たちの信心とはいかようなものであったかが知らされるのだと思います。

 救われてしまった者になってしまうのではなく、お念仏をともし火に、必ずあやまちを犯す迷いの生を生きる「われら」として、悩みながら、そしてつまずきながら、共に確かめ合いながら生きていきたいと思うのです。

 それが、私が有志の方がたと歩んできました「こどものたべもの基金」の活動を通して感じていることです。今回ごー緒させていただきますこと、楽しみにしております。
よろしくお願いします。

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仏法に聞く歩み
 お釈迦さまは私たちのためにたくさん教えを説いてくださいました。その尊い教えが「お経」として今私たちの処に届いています。ですからお経というのは死んだ人のためにあるものというよりは生きている私たちのためにあるものであり、私たちが聞き続けていかなければいけないものといえると思います。
 お念仏を称えてこられた先輩方は、「仏法を聞くものではなく、仏法に聞いていくものなのだ」とおっしゃられてきました。どこがどう違うのかなんて思ってしまう言い回しです。「を」と「に」の違いです。違いを考えるだけで頭が痛くなってきそうですけど、大きな違いがあるし、大事な違いがあると考えられてきたことなのでしょう。
 私はこんな違いがあるように思っています。自分の知識を高めるために仏法を聞くことと、自分の人生を仏法に聞いていく。前者は仏法はあくまで今のままの自分に役に立つ道具であり、後者は揺るぎない仏法物差しによってによって自分というものがなにものであるか明らかにしていくもの、そういう違いがあるのではないでしょうか。私は仏教は宝石などで作られたネックレスみたく自分を美しく飾っていくものなのではなく、仏様の教えに出遇うことによって、自分につけられた飾りや鎧を一つひとつ外していく歩みなのではないでしょうか。仏法を聞き続けていかなければならない自分に頷いていく歩みが、仏法に聞いていく歩みであると私はいただいています。そういう生活を私たちの先祖たちはお念仏を称えながらされてこられたわけでしょう。
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 新年を迎えることが出来ました。お正月はあちらこちらで新年の挨拶が聞こえてきます。なんとなくはなやかなきもちになるものですね。しかし、昨年の年末にテレビで「今年大震災を迎えたので、新年の挨拶でおめでとうございます、という言葉に違和感を感じておられるかたがおられる」というようなことをニュースのなかでいっていた。一年以内に家族を亡くしたかたは、お正月をしない、新年の挨拶をしないというのと同じ思いなのだろうと感じるわけです。そう思うのは間違った考え方であると断言することは決してできない。ただ新年の挨拶としてなぜ、明けましておめでとうといってきたのかとを知って考えてみる必要があるともうのです。
 よく考えれば自分も昔、何でお正月になっただけでおめでたいのか!なんて疑問を強く持ってたことがあった。なぜめでたいのかと言うことがわかってなかった。今は私の中で少しそのことは整理できてます。
 お正月は昔みんなの誕生日だったからお正月がめでたかったのでないかと今は考えています。明けましておめでとうは誕生日おめでとうと同じ意味だと私は今考えています。そんなこと今言ってもすっきりする方は少ないかもしれませんが、今は歳の数え方は満年齢で数えます。だから誕生日は生まれた日が誕生日で、歳が増えるのも誕生日です。でもしかし本来日本では歳の数え方は数え年でした。歳が増えるのはみんなお正月に等しく一つ年をとったのです。だから昔はみんなの誕生日はお正月であったと言っても間違えではないと欲うのです。
 お正月になり、一つ年をみんなとり、一年間生かさせていただきました。また一つ歳をとらせていただきました。ありがたいことです。めでたいことです。そういうことだと思うのです。
 自分の中で受けがたい事実があってお正月を迎える気になれないという思いを持つことは大切なことです。でもしかし、おめでとうと言ってはならないと他人に諭すことはいかがなことなのでしょうか。
 自分の中にどんなことがあってもお正月に一つ歳をとらさせていただいたことを喜んだり、一年間生かさせてもらえたことを喜ぶこと結構大切なことなのではないでしょうか。そういう意味で何があってもお正月の挨拶は「明けまして(お互い一つ歳をとらさせてもらい)おめでとうございます」なのではないかと思うわけです。

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