2009年4月アーカイブ

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五帳目第一通⑧
 称名の称という字は私たち念仏の歴史の中にいるものは簡単に「となえる」と読んでいきますが、どちらかといえば本来は「たたえる」と読む場合の方がおおような気がします。また漢字が出来上がった歴史を訪ねていくと「はかる」という読み方が基本なのかも知れません。
 称名ということは声に出してなをとなえるということなのですが、ただ声に出して称えていれば終わることではなく、名にかなうように、名に近付くように称えていくことが漢字の意味を尋ねていくと大切なことでしょう。自分が助かっていく道具として念仏を称えていくということではなく、念仏によって救われていくのだ、阿弥陀の摂取不捨というすべてのものを摂めとり捨てないという広い願いによって、如来の大いなる悲しみによって私がたすかっていくのだと心に刻み阿弥陀如来の名を、南無阿弥陀仏ととなえていくことが大事なことなのでしょう。それが唱名でなく称名の所以なのでしょう。
 蓮如上人は「寝ても覚めてもいのちのあらん限りは称名念仏すべきものなり」と勧めてくださっています。それは義務という意味ではなく、阿弥陀の本願に出会ったとき私はつねに、いのち終わるまでいつもかも念仏を称えて行かなければならない我が身ということが明らかになってくる、ということを教えてくださっているのです。
 念仏に出会い自分自身では知り得ない本当に我が身を知っていくことが私たちには大事なことです。
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<ご案内>
 裁判員とはどういう事件を扱い、いったい何をするのでしょうか。また罪の有無や量刑までも私たちが決めるといわれていますが、何を基準に判断するのでしょう。これまでは一応、プロの裁判官による「法の裁き」が行われてきたのですが、市民感覚(私の感覚)を裁判に導入するということは、裁判によってバラバラの基準で裁くということにならないでしょうか。裁判の公平性、公正性はどのように保障されるのでしょう。まして私たちは、私の感覚で裁いた結果に確信を持つことができるでしょうか。
 今、社会全体が厳罰化の傾向を強めています。裁判所も同様で、いわゆる凶悪事件は減少しているにもかかわらず、死刑判決は増加しています(10年前の2.8倍)。死刑のハードルは明らかに下がっているのです。
 真宗大谷派は死刑廃止を表明しています。いかなる命も奪ってはならない、奪わせてはならないと主張する仏教に、親鸞に学ぶ仏教徒としてある意味当然の姿勢ですが、同時に、加害者が生きて償うことでしか、被害者遺族が本当に教われることがないと考え、償いと赦しの可能な社会を築こうと声明で訴えています。
 裁判員裁判それ自体にも疑問や問題点があるように思われますし、裁判員に選ばれるかもしれない私たちが、死刑制度や厳罰化とどのように向き合うのかを明らかにするためにも、裁判員制度の最も基本的なことから学び、私たち自身の姿勢を確認しようと思います。多数の宗教者、市民の皆さんに集会への参加を呼びかけます。


閻魔さまもご立腹!!
ナムナムシンポジウム
裁判員裁判と死刑制度
5・30
日時  2009年5月30日(上) 【開場】13:00 /【開会】13:30 /【終了予定】16:30
会場  大谷婦人会館 比叡の間(3階)
              〒600-8164 京都市下京区花屋町通鳥丸西入るL柳町215 tel.075-371-6181
講師    小田幸児さん(弁護士)
       笹原恵さん(静岡大学情報学部准教授)
       ユ・ヨンジャさん(真宗大谷派僧侶)

主催  ナムナム大集会実行委員会  
協賛  真宗大谷派死刑廃止を願う会 真宗大谷派九条の会


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高岡教区第8組2008年度同朋大会
6月6日(土) 午後2時より (受付1時30分)
会  場   聞 光 寺 射水市久々江91
テーマ   関係を生きる
講  師   長谷部 淳馨 師 七尾市 福勝寺
講  題   信心のたじろぎ
 
聴講無料 
坊守会による御遠忌ソング&シビ王と鳩と鷹もございます 
主 催   真宗大谷派高岡教区第八組・坊守会・門徒会・同朋の会

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