
信じるということ
私たちの教え、浄土真宗では「信心獲得」すると言うことが私たちが一番しなければいけないこととされています。信心とは阿弥陀仏を信じる心、その心を体得することが私たにとって一番大事なことなのです。しかし、信、信心という言葉に対する誤解が合ったことに最近気づかされた私です。
私たちの信というのは信頼という言葉で言われるようなものです。自分の思いにかなったものを信頼したり、また自分の思いから外れると裏切られたと思ってしまいます。私たちは信頼できると自分が判断したときにのみ少し信頼しようと思います。それはどこまでいっても自分の思いから越えた信ではありません。浄土真宗の信は他力の信心といわれるように自分を越えたところにおこる信頼です。ですから私たちが思うような信とは違うということなのでしょう。
仏教に関する辞書を開いてみると、「心を澄んだ浄らかなものにする作用」という風にかかれていました。お経の中にかかれている「信」という字は、もともとインドも昔の言葉の「シュラッダー」という言葉を翻訳したものだそうです。そのシュラッダーという言葉を日本の言葉に訳すると、心を澄んだ浄らかなものにする作用となるそうです。人汁ということの内実は心がきよらかになっていくということといえるのではないでしょうか。今まで濁っていたものが少しずつ澄んでくる。今まで濁って見えていなかったものが少しずつ見えるようになってくることを信ずることと言っても良いことでしょう。
何が見えてくるのかといえば真実ということなのでしょうけど、宗祖親鸞聖人の「念仏して往生をねがうしるしには、もとあしかりしわがこころをもおもいかえして、ともの同朋にもねんごろのこころのおわしましあわばこそ、世をいとうしるしにてもそうらわめとこそ、おぼえそうらえ。よくよく御こころえそうろうべし」ということをたよりにして考えると、真実が見えるとは自分の心の悪いところが見えてきて、さらに世の中におこっていることに厭わなければならないことがたくさんあることを思い知らされることなのでしょう。
浄土に何故自分が生まれなければならないのかということがはっきり見えてくるからこそ阿弥陀仏を信じることが出来るのでしょう。
厭うとは、いやに思う・いやに思って避けるという意味がありますが、もう一つ、大事にする・いたわるという意味があることにも注意しなければらならないと思うことです。
ご命日の集い三月から再開します
ご命日の集いとは私たちの宗祖、親鸞聖人のご命日である二十八日に開催する仏事です。常入寺では三月から九月の間の毎月二十八日に勤めています。何をやっているのかといえば、実は難しいことは何もありません。宗祖親鸞聖人がお造りになられた「正信偈」といううたをみんなで節を付けて読んで、後はお茶を飲んでいるだけです。
それだけです。
皆さんも月に一度お寺に集いお茶しませんか?
どうぞお気楽に顔をお見せ下されれば幸いです。お待ちいたしております。
毎月二十八日午後二時~三時ぐらいまで
とにかく一回来てくだはれまっ! たのんちゃぁ
城端別院法宝物御巡回布教
日 時 三月六日(金) 午前9時30分より 午後3時30分まで
会 場 常入寺庫裡座敷
布教使 未定
