念佛を称えられてこられた先輩方は聞くという姿勢を大切なこととされてきました。それは法を聞く、仏様の教えを聞きづづけてお念仏を称えていこうということなのです。
私たちは耳を持ち音を感じることができますから、聞くことは容易なことという意識がありますけれども、そのことはどうなのでしょうか。
耳によって音を認識することと言葉を聞き取るということはどうも別のようなことだと最近私は思うのです。
いつも聞いたつもりで言葉をしっかり聞き取り、その言葉の奥にある心を聞き取っているでしょうか。そしてそのことで多くの人にイヤな思いをさせているのではないでしょうか。
私たちは「噂」をすることが好きな民族のようです。誰も知る内緒話というようなこともあるぐらい。しかしこのうわさ話ということは正しく内容が伝わっていっているとは限らないものです。必ずと言っていいぐらい尾ひれはひれがついていって話が大きくなっていったり自分たちの興味本位に脚色していってしまうものなのではないでしょうか。
その原因を私ながらに探っていくと、しっかり聞いていない、伝えていないということにつきると思います。
聞いた話に自分の想像などが付け加えられ、そしてその想像にまた想像が付け加えられる。また、だと思うよ、でないだろうかということがいつの間にか省略され真実の言葉として伝えられていってしまっているのでしょう。自分たちの興味翻意で聞いた話をドラマのようにおもしろおかしく脚色され続けていく、その中で言っていないことややっていないことが言ったことやったことになっていくのでしょう。
私たちはうわさ話は永遠にやめることができないでしょう。ですからせめて正しく聞き正しく伝えると言うことを心懸けなければいけません。そのためには私たちはみんな「よてみみ」で噂は正しく伝わらないものだと強く心に刻み続けることしかないのです。
私は聞いているという姿勢が一番聞いていけない原因ではないでしょうか。
仏様の教えも聞いているしっているという姿勢では永遠に聞くことができません。我が身の愚かさをしることによって初めて仏様の心が伝わってくるのではないでしょうか。安心しないでください。安心が何事にも大敵なのです。御 礼
10月31より11月1日まで当寺報恩講を催したところ、お忙しい中たくさんの方々にお参りをいただき、そして厚いご懇念をお運びいただき、誠にありがとうございました。心より感謝申し上げます。お運びいただきました御墾念は大切に常入寺の維持管理、そして運営のために使わせていただきます。今後とも常入寺維持運営にご協力いただきたくお願い申し上げます。 常入寺住職 青井和成
御正忌法要
11月25日(日)午前10時より午後4時まで
午前の部 午前十時より
尼講追悼会 午後二時より
午後の部 引き続き
☆法話は住職が行います。
☆尼講によって、
お昼にお斎のもてなしがあります。

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