2006年アーカイブ

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修正会一月一日午前五時より
初老や還暦の方々が団体参拝されますので修正会の始まる時間が変更となる場合もございます
年始は一日午前四時半より二日午後四時まで受付します子ども初参りお正月にお参りいただいたお子さんに(小学生以下)先着20名様におみやげにお菓子を用意しています。
お子さん、お孫さんと一緒にお参りください。

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あなたがた、決して我が家にお内仏があるとか

我が家に仏さまを安置するとおもうては

なりませぬぞ

我が家と思うところに間違いがある

仏さまの家に私が住まわせて頂くとおもいなさい
砺波正太郎
東本願寺は江戸後期(一七八八)から幕末(一八六四)にかけて四度の焼失に遇いましたが、そのつど僧俗門徒の力の結集により再建されました。
となみ詰所は東本願寺再建のため越中砺波(となみ)地方から上京してきた人足奉仕団の寄宿舎として始まり、明治の再建完了後は本山にお参りする御門徒のための宿泊所として本山の念仏興隆と郷土の精神文化形成に多大な貢献をしてきました。先人の願いを受け継いだ詰所は現在では全国から京都へ来られる方々の出あい・語らい・安らぎの宿として親しまれております。
一泊  素 泊   4,200円
朝食付  4,800円
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ご予約はお電話で
民宿となみ詰所
住所/京都市下京区不明門通花屋町下ル高槻町

交通/JR京都駅から徒歩12分

概要/木造2階建、全和室14室、定員40名、冷暖房、
TV、共同浴室、浴衣あり、P1台(1台1000円)

特徴/JR京都駅、東本願寺の近くで、底料金で気楽に
泊まれる、民宿と宿坊のよさを兼ね備えた語らい
の宿。ひとり旅からグループまでお気軽に。

イン/午後3時?

アウト/午前10時

門限/23時

TEL/075-351-6468

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御正忌法要
11月26日(日)午前10時より午後4時まで
午前の部 午前十時より
尼講追悼会 午後二時より
午後の部 引き続き
☆法話は住職が行います。
☆尼講によって、
お昼にお斎のもてなしがあります。
御  礼
10 月31 より11 月1 日まで当寺報恩講を催したところ、お忙しい中たくさんの方々にお参りをいただき、
そして厚いご懇念をお運びいただき、誠にありがとうございました。心より感謝申し上げます。お運びいた
だきました御墾念は大切に常入寺の維持管理、そして運営のために使わせていただきます。今後とも常入寺維持運営にご協力いただきたくお願い申し上げます。
常入寺住職 青井和成
ホンコサンの準備も何とか終えホンコサンを迎えることができました。
最近のテーマは精一杯のホンコサン
一番大事な仏事、ホンコサン、これを私なりに表現するとこうなる。おもてなしも精一杯のつもり。
でも、気が届かなかったり、限界があったりで、つもりだけになっている、かもしれない。でも、思いだけでも精一杯のホンコサン。
精一杯のホンコサンが終わるとアッカリする。人にはアッカリしてはあかんといっているのに、アッカリする自分。でも精一杯するからアッカリするのだ。
ちょっと休んでから、来年のホンコサンに向けて準備ジュンビ
来年は親鸞さんが流罪になって八百年。法難にあって八百年にあたる年だ。そのホンコサンどう勤めようかな。
準備ジュンビ、ホンコサン終わってすぐさまホンコサンの準備。法難八百年にあたる年のホンコサンに向けて準備のスタートです。

2006 BUNPUKUたぬきマス
Live Party
ぽ ん ぽ こ

会場 ゆりの木の里 地域交流ホール
2006年12月23日(祝)
1部 11 : 00?14 : 30    2部 16 : 00?20 : 00


 一部(11:00?14:30)

※富山市立西部中学校吹奏楽部
文福事務所のご近所にある中学校。総合学習では毎年お話をしに文福に尋ねてきます。
※ぷくぷん劇団「アンバンマンとサンタマン」
文福障害者スタッフ&健常者スタッフによるオリジナル劇。
※平野健太
三味線奏者。若いながらも民謡やロックなど幅広いジャンルで富山県で活勤しておられます。
※カラオケ大会
みんなで歌って盛り上がりましょう!歌いたい人募集中!
2部(15:00?20:00) 
※大谷氏
富山と東京を中心に各地で20年以上ライヴ活勤をしておられます。人呼んで「富山の怪物シンガ?」
※てんごWith 富大フォークダンス部
文福アルノマイター・てんごちゃんが所属するサークル!民族舞踏・カップルダンスを華麗に舞います。
※ヒトデナシ
ブル一ハ?ツのコピーバンド。ロクデナシの上です。
※花番(ほあしゃん)
富山を中心にフルートとピアノとニ胡のアンサンプルでボップスや唱歌などを演奏しておられます。
※ハルジタク
キーボードトリオ。富山県を中心にオリジナル曲でライヴ活動をしておられます。
※3 Finger
ギタートリオ。オリジナル曲を中心に演奏。富山県をはじめ石川・福井・愛知など県外でも活勤しておられます。
チケット代 1部 1.000円
      2部 1.500円
 1部・2部通し券  2.000円(当日各200円高)
※1部2部共に軽食を準備しております。飲物は販売します。
 中学生以下飲物無料!2部からアル⊃?ルも販売します。
 2部は乾杯用1ドリンク付

主催:NPO法人 文 福
富山市五福3734-3 電話076-441-6106


 「たぬきマスLivePartyぽんぽこ」開催の思い
※障害者の中には普段ライブに行<ごとができない、あるいは遠慮してしまう人が多く、この機会にライブを身体全体で感じていただきたいと思っています。また、障害者も健常者も大人も子供も出演者も観客も、みぃんな一緒に分け隔てな<楽しめる場を作ることにより、インクルーシプな地域を育みたいと考えています。
※障害者のための○○、健常者のための○○等というイベントはたくさんありますが、そうではなく、障害者も健常者も皆が参加者、皆が楽しめるものを作り上げていくことが私たちNPO法人文福がレクリェーションを行う大きな目的の1つです。
※今回のこのたぬきマスライブの出演者の皆さんは、文福としての活動を通して知り合った方ばかりです。文福スタッフの中にもファンが多い大谷氏をはじめ、文福事務所を練習場に使っていただいた花香の二朗奏者の青木さん(上手<なってからはあんまり来ないな)。料理教室でお世話になったハルジタクの岡島さん。その出会いが更なる出会いを招き、三味線奏者の平野さんと出会い、3 Fingerさんと出会い...。文福のテーマの一つでもある「地域」にも重点をおき、総合学習で毎年生徒さんが遊びに来る西部中学校の吹奏楽節の皆様、文福バイターも所属する富山大学フォークダンス部の方々、そして主催者文福からはオリジナル劇と、"ロクデナシ"の上を行く"ヒトデナシ"を結成。ヒトデナシのギター兼ヴォーカルにはキャンプでお世話になっている"りん゛に参加していただいています。
※多<の出会いが今回のライプ開催のきっかけとなりました。今後もいろいろな出会いを大切にしていきたいと思っています。
※参加者も楽しめるライプにしていきたいと思っております。ぜひ、会場に足を運んで下さいね!お待ちしております!
NPO法人文福とは
 障害者の自立支援を柱Lこ、介助・介護派遣事業や移送サービス、各種レクリェーション、学習会、ま.ちづくり提言などを行っています。
 文福スタッフの約半数は障害者で構成されており、各役職もほぽ障害者が担当しています。障害者が企画・運営に携わることにより、障害者ペースを保ち、活動をしていくごとができます。
 文福の活動Lこ参加してくれるサポータ?も随時募集しています。興味のある力は事務所に遊びに来て下さいね。

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常入寺(じょうにゅうじ)おやこのつどいINほんこはん
今回(こんかい)はお寺(てら)の一番(いちばん)大事(だいじ)な行事(ぎょうじ)に合(あ)わせて今年(ことし)最後(さいご)の親子(おやこ)の集(つど)いを開催(かいさい)します。常入寺(じょうにゅうじ)特製(とくせい)の野菜(やさい)カレー(かれー)をみんなでつくって、そして食(た)べたいと予定(よてい)しています。そのあとは「木(き)を植(う)えた男(おとこ)」というビデオを見(み)ます。是非(ぜひ)来(き)てください。 まってるよ

10がつ31にち(か)
ごご5じ30ふんからはじめます。8じ30ふん しゅうりょう
さんかひ
300えん

みんなでカレーを作りますので汚れてもよい服装かエプロンなどあれば持ってきてください。
あおいのおてら(じょうにゅうじ)  でんわ436-0816

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ご本尊(お内仏)にお参りするときには線香などを燃してお参りします。お線香にもいろいろな香りがあります。時にはむせるような香りがすることもあります。これは正直お参りをしていてよいきもちがするものではありません。
お参りをするときにお香を燃すのは、我が身を清める、そして浄土の世界を香りとして表現するという意味があります。私は浄土の世界を香りで表現するという事を大事にしていきたいと思っています。
浄土の香りについて阿弥陀経には微妙香潔と記されています。浄土の香りは潔く、ほのかな香りだとお釈迦様は説かれています。潔い香りというイメージは私にはなかなかわいてきません。辞書(大辞林)によりますと、いさぎよいとは(1)卑怯な点や未練がましいところがなく立派である。悪びれない。(2)汚れがない。清浄だ。という意味があるそうです。私にはそういう臭いをかいたことが経験としてないので正直なかなかイメージがわいてきませんが...。
そしてそのいさぎよい香りは微妙だそうです。俺が俺がと自己主張する香りではなく、臭覚をとぎすましたときにやっと見つけることができる香りだそうです。他の香りがわからなくなるようなきついにおいでもなく、香りが混じり合っても不愉快になることがない、そういう香りが、上から流れてくる香りだということではないでしょうか。
私達にんげんの生き方とは全く違う香りなのでしょう。そして私達の生き方の不浄さを知らしめてくださるはたらきも浄土の香りには具わっているのではないでしょうか。






《京都非暴力ワークショップ開催》
一傷つけられ、傷つけあう関係からつながりあう関係?
期日:11月4日(土)?5日(日)の二日間
 1日日 11時?17時まで
 2日日 8時?14時まで
会場:京都御所近く「パレスサイドホテル」
費用:宿泊,昼食,朝食,夕食込み...12,000円
   宿泊なし昼食込み...10,000円
   学生...5000円(食事なし)
   低所得者...応相談
進行役:アレン・ネルソンさん、平塚淳次郎さん
★託児有り(希望される方は申し込みの際お申し出下さい)
★原則2日間参加でお願いします。
★連絡先 ※連絡先などは当ブログ管理人に!
※参加希望の方には、後日案内と会場のパンフを送ります

アレン・ネルソン氏:1947年ニューヨーク(ブルックリン)生まれ。
18歳で海兵隊に志願入隊。翌年、ベトナム戦争の最前線に派遣される。
除隊後、ベトナム戦争による精神的後遺症に悩まされ、ベトナム戦争を
語れるようになるまで18年かかった。現在、「戦争と暴力」をテーマに
講演活動を続ける。
著書:「ネルソンさんあなたは人を殺しましたか?ベトナム帰還兵が語る本当の戦争」講談社
   「アレン・ネルソンの『戦争論j」かもがわ出版・他r岩波ブックレットNa444
関連図書:講談社コミックス「ネルソンさんあなたは人をころしましたか」三枝義浩

 

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浄土真宗の教えを一言であらわすとすると「他力本願」「悪人正機」という言葉になるでしょう。しかし誤解をして言葉の意味を理解している人も少なくはないのではないでしょうか。
他力本願という言葉を「人任せ」という感じで了解されている人は少ない内容です。通語としてはそういう頂き方もあるのでしょうが、しかし本来の意味からすれば全く頂き違いをしているといえることです。
「他力」という言葉は他人という意味ではなく、人間を超えた他なるはたらきのことをいうのです。すなわち阿弥陀仏を意味するのです。そして「本願」とは私たちのご本尊である阿弥陀仏が仏の位を授かるとき、仏になるにあったってたくさんの仏様の前で誓約をします。そのその誓約が認められ佛となられたわけですが、その時の誓約を本願といっています。またその誓いは私たちがより所としている経典には、四十八通りの違いが説かれていますので本願のことを四十八願ともいいます。
他力なる阿弥陀仏の本願をより所として、今生きているこのときを生き抜いていくことを「他力本願」と私たちの先祖、すなわち宗祖親鸞聖人の教えをタカラモノと私たち念仏を称えるモノにとってしてこられた方々は言ってこられたのです。本当に大切とすべき言葉なのです。
私たちが生きる力の源である、阿弥陀仏をたよりにして生きていくということは、何も考えず、また自分で何も判断をしないということではありません。反対に自分で考え、自分で判断することを言うのです。今生きてあることを、生かさせていただいていることを喜び生きることですから、授かったいのちによって生きている今を主体的に今生きてあることを喜び、生きてあることをタカラとして生きる生き方なのです。
一生懸命生きるとは、一生懸命悩み、一生懸命考えて生きることをいうのです。それが他力本願という生き方なのです。
各  位
長 崎 教 区 教 化 委 員 長   隈   部   悟
長崎教区教化委員会青少幼年部会主査  近 藤  章
青少幼年問題から問われるシンポジウムの開催について(案内)

 「青少年犯罪は時代を映す鏡」です。小中学生の犯罪が急激に身近になってきた。戸惑い立ち尽くしておるわけにもいかない。少年の闇は、私たちの闇です。いじめられ、いじめ、友を裏切り、タバコ、シンナーに走る。年間に3万以上の人が自死していくこの社会は重症です。
 学校や社会は、規則で縛りつけ、暴力で押え込んで問題が見えないようにする。幼児を死にまで追い込む親と、そのことを自己の問いにもできない私たち。そのような現実の中で、子ども達と向かい合える私であるために、集いまぜんか。
 学校の先生方、保護者の方、住職さん、若院さん、坊守さん、ご門徒の方々、保育士さん保育園の保護者の方々、お爺さん、お婆さん、特に若い人たち、一同に集まって語り合いましょう。
 さて今回は特に、愛知県より大河内祥晴さんにご足労願っています。大河内さんは12年前、ご子息を友のいじめによって、自死にまで追いやられました。その後、いじめに関わった人たちを自宅によぴ、仏前に座らせ現在まで共に歩んでおられる方です。コーディネーターとして大谷大字の佐賀枝夏文さん、九州大谷短期大学の加薄杠昴さんにも出席をおねがいしています。何かとお忙しいことと思いますが、趣旨ご理解のうえ、ご出席をお願いいたじます。みんなで語り合いましょう。


             記
1.日  時    2006年10月14日(土) 14:00?18:0 0
2.会  場    真宗大谷派(東本願寺)佐世保別院 
  〒857-0806 長崎県佐世保市島瀬町4-18
            ? 0956-22-4846
3.コーディネーター  大河内祥晴氏 佐賀枝夏文氏(大谷大学教授)
           加藤昴氏(九州大谷短期大学教授)他
4.参加対象   住職・坊守・寺族・ご門徒・幼稚園、保育園関係者・
           教育関係者・保護者・中学生・高校生・大学生・他
5.参加費     500円(学生は無料)         
              ※学生証をご持参ください。
6.主 催     長崎教区教化委員会青少幼年部会  
  共 催     大谷派児童教化連盟・大谷保育協会
7.連絡先     真宗大谷派長崎教務所
             〒850-0052 長崎県長崎市筑後町9-23
               ? 095?825?8831
※ シンポジウム終了後懇親会を予定しております。
  当日受付にて参加者を募ります。 (参加費 実費)
※ 宿泊をご希望の方は長崎教務所までご連絡ください。
  ホテルをご紹介いたします。
※『同朋新聞』9月号に 大河内祥晴 氏の記事が掲載されておりますので
  ご―読いただければ幸甚に存じます。                                                                           以 上
父・祥晴氏から子どもたちヘメッセージ

 (前略)清輝も「旅日記」で「人間が人間のいいなりになるなんて自分がアホらしくなった」といっています。"ぼくを人間としてあつかって"と、いいたかったんだと思います。清輝のことをきっかけに、ぜひ、自分のやっていることや、いっていることをみつめなおしてほしいとおもいます。
 いじめられていることを、ひとにはなすことは、とてもはずかしいし、クラスのひとたちにもぜったいに知られたくないことでしょう。でも、いやなことをする子に、いやなことをする子、いやなことをいう子に、いやなおもいをしている子がいることをおしえてあげてください。たいどや言葉でしめす勇気をもってください。それがつづくようであれば、はやくお父さんやお母さんに相談してください。そうして、よくなった子どもたちがいることも、たくさんのお手紙から、知ることができました。
 いじめの芽は、保育園、小学校のころにあるとおもいます。みんなには、相手のことをわかってあげることや、ひとのくるしみやなやみ、心のいたみをすこしでもわかってほしい。そういう心をみんながもつようになれば、きっと、いじめはなくなっていくのではないかと、おもっています。
(1995年1月22日付け「少年少女新聞より転載』)

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法事は年忌に基づいて私たちに災いがこないようにするため先祖に勤めるものであると考えておられる方は少なくはないと思います。しかし本来的意義からすればそうであるとはいえません。法事は法の事と書き、もう少し字を付け加えると仏法の要の事を聞くとなります。法要も同じ事であります。お釈迦様がお示しになられた仏法を私が聴聞する「聞く」行事が法事なのであります。

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葬儀ってなに?
「葬儀」とは、葬儀に参列された方のひとり一人が、身近な人の死という悲しい出来事をとおして、真実の教えに出遇うことによって、自分自信の在り方を根本的に見つめ直すことです。
 身近な人の死は私たちの心をゆさぶり、今の日常が永遠に続くかのように錯覚して暮らしている私たちに「やがて死んでいく身をどう引き受けて生きていくのか!」と問いかけているのです。
 しかし私たちは「安らかにお眠りください」「ご冥福をお祈りします」というような表現で、亡き人に対して心を配ることが「葬儀」であるのだと思い違いしているのではないでしょう
か。
 大切なことは、亡き人から問われている自分自信の生き死にの問題を念仏の教えに聞き開こうとする心であります。ですから葬儀は宗教儀式として行なわれるのです。
清めの塩は使いません

133_page001.jpg私たちの教団は「靖国神社国家護持法案」に反対し、首相や閣僚が靖国神社に公として参拝することに反対してきました。これは先のアジア太平洋戦争を「聖戦」として政府の政策を積極的に協力してきたこと間違えとし、二度と同じ間違え、二度と戦争を繰り返さないために反対しているのです。その流れの一環として私たち教団が所属する真宗教団連合は本年も靖国神社公式参拝の中止要請をいたし、そして首相が参拝したことに対して抗議いたしました。
私たちの教団が靖国神社に首相・閣僚が公式参拝するを反対していることに対して多くの門信徒の皆様の中から批判されていることも承知しています。このことはもしかすると皆様には宗教の利害関係でいっているようにも聞こえているかも知れませんが、そうではございません。
私は多くの方々が「二度と戦争が起こらないように」という祈りの中でが靖国神社や、護国神社に参拝なさいますことは大切なことだと思っています。  靖国神社は表面的には宗教施設です。しかし内実は宗教を利用した軍事施設だったのです、否なのです。兵士が安心して死んでもらうための、そして安心してこれからも兵士になって死んでいってもらうために国民をマインドコントロールするための施設なのです。二度と戦争が起こりませんように、そして戦争で身内を亡くした悲しみそして厭うという純粋な私たちの心が利用されてきたのです、今も利用ようされようとしているのです。空襲などでなくなった戦没者すべてを祀っているのではなく、兵士として戦争の犠牲になったものだけが祀られていることがその証拠です。 戦争を二度と起こさない、永遠の平和を願うという大切な心は戦争で殺し殺されたすべての人、戦争を体験したすべての人を意識して祈らなくてはならないのです。
念仏を称えてこられた私たちの先輩方はこの世の生を終えた方々を浄土に帰って行かれた人達としていただかれてきました。浄土の人とは仏様としていただかれてきたということです。仏様は私たちに人間の姿をそのまま教えてくださるはたらきです。人間の苦しみ悲しみ、そして悲しまなければならない事実を私たちに教えてくださるはたらきが仏様なのです。
戦争の犠牲になった方を仏と頂くということは人間の悲しい事実として戦争を見ていくことです。そして戦争を繰り返さないことを心に刻むことなのです。戦争で人を殺してきた人も、殺された人も戦争の事実を教えてくださった尊い存在です。人が殺されていくという戦争の事実を覆い隠し、兵士として戦争に関わった人をただ賛美、ほめたたえていくということは仏様としていただくということには決してなりません。
正信偈に「常照我」とあるように仏は私のありのまま、私が住んでいる社会を常に照らしてくだされるはたらきです。そのことが私達人間が生きていく中で本当に尊いことなのです。念仏を先祖より頂いた私達は、我が身・我が社会の事実を教えてくださる全てのはたらきを仏として敬いその御恩に報いていくことが大切なのです。
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 お寺で流しそうめんをしてこれで三年です。ある意味恒例行事といっても良いのではと私的には思っています。今回は梅雨明けを今かと待つ、7月28日に開催しました。天気予報では大雨ということになって、出来るのであろうかってとても心配していました。でも、雨も時たま小雨が降る程度で収まり、ホッとしました。参加してくださった人数は例年より多かったです。うれしく思っています。
 今なぜお寺でおやこのつどいをしてるのか、そう問われるとどう答えていいのかよくわかりません。自分の中にはっきりとした答えがあるわけはありません。ただ、子どもが当たり前にお寺で遊んでいたり、ごく当然としてお寺に子ども達の声が響き渡っている、それが私達の常識になりたいとは思っています。
 よく「ワレコトをしたらお寺の人に連れて行ってもらうよ」っていうことを聞き、そして私はそうじゃないんだけどなぁってよく心の中でつぶやいていました。私はお寺はある意味逃げ場所であり、ほっと安心する場所であるべきだと思っています。子ども達がほっとする場所は家ではないっていう統計を目にしたことがあります。それは子ども達は安心する場所がどこにもないということです。大人である私達は結果として子供達にそういうことをしてしまっているのです。
 せめてお寺が、子ども達を含めて誰もが安心する場となることを私は願っています。そんなお寺にしたいです。



131.jpgおやこのつどい
inサマー
7月28日?29日開催
じょうにゅうじにてやるよ!
午後5時から
    みんなで正信偈のお勤めをしたあと
    流しそうめん バーベキューをします。
暗くなったら
    花火も予定しています。
勇気のある人はそのあと
お寺の本堂に泊まって
朝起きてご飯を食べて解散です。
泊まる人はタオルケットや着替えなんかを持ってきてチョ!

 
御 礼
7月2日?3日まで当寺祠堂経会を催したところ、お忙しい中たくさんの方々にお参りをいただき、そして厚いご懇念をお運びいただき、誠にありがとうございました。心より感謝申し上げます。また、お運びいただきました御懇志金はは大切に常入寺の維持管理のため、そして仏法興隆のために使わせていただきます。
今後とも常入寺維持運営にご協力いただきたくお願い申し上げます。                  
常入寺住職 青井和成

130.jpg祠堂経会厳修
二〇〇六年七月二日午前十時より
三日午後四時まで
七月二日
    午前の部、並びに祠堂のお勤め
                                午前十時より
    尼講のお勤め            午後二時より
    午後の部                    引き続き
七月三日
    午前の部のお勤め    午前十時より

    午後の部のお勤め        午後二時より

それぞれのお勤めのあとに法話があります。(午前の部十二時頃、午後の部四時頃終了予定です)
法話は二日は住職がします。三日は南砺市福野の加賀田 晴美さんにお話しを頂きます。

※二日は尼講による昼食の振る舞いがございます。

祠堂それは洞、廟所という意味である。簡単に言えば何かをまつるところっていう意味になる。何がまつってあるかと言えば、祠堂経というのだから経がまつってある。釈尊の説教が収められているお経をまつるほこら、すなわちそれは当然お寺ということだ。お寺を護持するために、お釈迦さまの説教を魂とする建物を護持するために寄付することを私たちの先祖は祠堂と言ってきた。お釈迦様の説教が末代残るために、そして私の宝となるようにという願い相続されてきた歴史があったからこぞ寺院の伽藍がまた相続されてきた。
是非、祠堂経会にお参りください。一座でも多く法座にお遇いください。仏教を残してくだされた先祖の思いに出会いませんか。できますればご近所をお誘いの上お参りください。皆様のお越しを心よりお待ちいたしております。

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 ご本尊にお参りをするときには輪灯などの明かりをつけます。また、ご命日の日などのお勤めをするときには蝋燭も灯します。これはご本尊が見やすくするためです。以前までは油皿に油をはり、灯芯に火をつけていましたが、今ほとんどのお宅では電球に取って代わっています。また蝋燭も火事を恐れられ電球にされるお宅もありますし、ほとんどが和蝋燭ではなく洋蝋燭になっています。私は灯芯に点火して灯すのも、和蝋燭をとぼすのも個人的には好きです。その光を見つめていると味わい深いものです。
 蝋燭や輪灯の灯は本尊を照らすためのものなのですが、でももうひとつ照らしているものがあります。それは本尊の反対が側のものです。といっても自分が振り向いてこれかなって思うものではたぶん違うでしょう。灯は反射板がない限り全方向を照らしています。本尊を照らすと同時に私をも照らしているはずなのです。しかしこのままでは照らされている自分は見ることはできません。鏡のようなものがあって初めて私を照らしていることがわかります。
 ご本尊なる阿弥陀如来も私たちを照らし続けてくださっています。蝋燭などの灯と同じように照らしていただいている自覚は全くありません。ご本尊に向かうと眩しいと感じることはできるかも知れませんが。ご本尊の光も鏡のようなものがあって初めて照らしてくださっている自覚ができるのです。ご本尊が照らしてくださっていることを知らしむる鏡について善導大師は、「経教はこれを喩ふるに鏡のごとし」とおっしゃっておられます。お釈迦さまのお説教がおさめてある「御経」というものが私たちにとって鏡のようなはたらきをしてくださる、この鏡によって初めてご本尊の光によって照らされている自分が見えるということなのでしょう。またお釈迦様のお説教だけが鏡のはたらきをするのではなく、お釈迦様のお説教を、お説教として、尊い教えをしていただかれてきた方々、歴史も私にとって避けようのない事実を映し出してくださっているのではないでしょうか。
 蝋燭や輪灯はご本尊を映し出すための道具なのですが、それだけではなく、ご本尊が我が身を照らしてくださっている事を指し示しているのではないでしょうか。ご本尊を飾るということはご本尊のお徳を讃えるということでもあるのです。


127.jpg 先月七日から九日にかけて東本願寺などを会場に「真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会」が開催されました。私は昨年の七月より教区の推薦によりハンセン病問題懇談会の委員になったということもあり参加してきました。これで六回目の開催だそうですが、私は初めて参加させていただきました。参加されたのはハンセン病の各療養所で生活されている方、退所された方、大谷派に所属しハンセン病問題に取り組んでいる人、そして今回は有志の努力によって台湾でハンセン病の療養所に生活されている方などが参加されていました。約二〇〇名ぐらいの参加であったと聞いています。この交流集会に参加された皆さん全員と出会うということは当然無理なことですが、少しでも多くの方と話しをしたいと思って参加させていただきました。幸い秋田の友人がいて、三人のハンセン病療養所に住んでおられる方を紹介していただき、じっくりお話を聞いた、ってことはできませんでしたが、一緒にお酒を飲んで騒がせていただき楽しいひとときを過ごさせていただきました。
 私個人としてのハンセン病問題への関わりは多分十数年ぐらい前だと思います。ある研修会で、浄土真宗のお寺にお生まれになられハンセン病にかかられ療養所で生活を当時されていた伊那教勝さんのお話を聞いてからです。そのあとその方が生活をされていた長島愛生園に何度か足を運んだ、それぐらいの関わり方でしかありません。また富山はハンセン病の療養所が近くにないということもあってなかなか簡単に訪れることができず、交流ということも容易ではありません。ハンセン病問題に関心を持ち続けるということも容易ではありません。でもハンセン病問題のこと、私が出会ったハンセン病療養所に住んでおられる方たちのことを忘れずに生きていきたいと思っています。
 ハンセン病という病気を無くすために国は、これ以上の感染を防ぐために療養所の方を「施設」に隔離し、ハンセン病患者を撲滅するという方法でハンセン病を撲滅しようとしました。また隔離する必要がないということが医学的にはっきりした後もその政策をついこの間まで進めていました。
 そして私たち国民は、隔離政策により、私たちの目の中に入らなくなり、また意識からも抹消し、歴史からも抹消してしまいました。それはハンセン病患者の方々を結果として存在として、人として認めないということです。
 意識しないこと存在を忘れることによってこの政策を肯定していました。
 差別や偏見というものはそれが差別や偏見だと自覚できると差別解放のために私たちは歩み出していけるものです。しかし差別を認識しないこと、差別をしていることを自覚できていないことによって温存されていくのです。差別は差別している自覚のない中で私たちは差別しているのです。だから差別はやっかいな問題なのです。
 そんなことを最近考えさせられています。



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お荘厳の伝統の中にもいろいろと私達の先輩方はいろいろな願いを込めて作り上げてこられています。 以前先輩より「なぜ仏花(仏様にお供えする花)に菊をよく使うかわかるか」と訪ねられたことがあります。私はわからずそのわけを聞くと、仏様と私たちの関係で一番大事なのが聞くということなので、そのことを忘れないないために、そして仏様の前に座る度に思い出すために私たちの先輩方は菊をお供えされてきたんですよ、と教えてくださった。聞くと菊の言葉遊びのように感じその時は私はその事を半信半疑で聞いていた。しかしそのことをなぜか最近よく思い出すのです。なぜか頷いてしまうのです。
 私達と仏様をつながり続けるには私達に聞くという姿勢が大切です。しかし、人生の参考として聞くというのではダメなようであります。仏様を仏様としていただくこと、お釈迦様の言葉を「教え」としていただくそういう姿勢が大切なのです。それは仏様を絶対的に信頼するということであります。お釈迦さまが私達に「お念仏をして幸せになりなさい」という勧めをいただき、何の疑いもなく実践していくということです。
 しかしどうでしょう。私達はどこまでお釈迦さまを信頼しお念仏を称えさせていただいているでしょうか。どこまでお念仏を信じ称えているでしょうか。お念仏を称えれば称えるほどほど私が仏様を疑っている心が見えてくるのではないでしょうか。恥ずかしいことであります。しかしこのことは南無阿弥陀仏という言葉となった仏様が私に知らさせてくださっているのです。言うなれば仏様の御利益として疑う私を知らさせていただいているのです。またこういうおまえだからこそお念仏しかないと教えてくださっています。
 仏教を聞くという横柄な姿勢ではなく、私の生き方を仏教に聞くという絶対信頼、聞くしかない私の有様を先祖は私達に仏花として菊を飾り指し示してくださっていたのです。


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 仏様にはお供えをします。お供えを言い換えればお荘厳ともいいます。簡単に言えばお飾りです。お供えをすることとお飾りをすることは同じ意味だと受け取ってもらって結構だと思います。平生のお供えとしてお花、香り、灯火、の三つをいたします。そしてそれをお供えするための道具を三具足といいます。三具足は仏様をお飾りする最低限必要な道具、仏具であります。
 大谷派(お東)では、ろうそくを立てるための燭台は伝統的に鶴と亀を形取ったものが用いられています。そして香炉は線香を焚くための土香炉と、焼香、すなわち香木を燃やして香りだだすときに使う金香炉の二種類を用います。鶴亀の燭台一つ、香炉二種類、お花を飾る花瓶、合計四つの仏具を平生用います。
 本願寺派(お西)の場合は大谷派のように鶴亀の燭台を用いることはあまりありませんが、それ以外は基本的に同じです。ただ仏壇が大きい場合は五具足といって、燭台と花瓶をそれぞれ一対にしてお飾りする場合もあります。
 仏様をお飾りするときに一番大事なことは、どれだけ正しい形にするか、ということではないと私は思っています。私がお飾りをするとき一番大切にしているのは、どれだけ仏さんにふさわしいか、似合うかということです。
 私たちも服を着たりして自分を飾ることがありますが、別人になるように飾る場合と、自分の個性を引き立てるような飾り方があるのではないでしょうか。お化粧の場合でも別人のようにきれいになる場合と、その人らしさが際立ってきれいに見える場合があるんではないでしょうか。皆さんはどちらが好きでしょうか。私は…。
 食事をごちそうになったときどれだけ豪華な御馳走を頂くことよりも自分が好きなもの、くちにあうものを御馳走してもらうことが嬉しいように、仏さんのお飾りやお供えは私たちが出来る範囲で似合う、そしてふさわしいものをするべきであると私は思っています。
 仏様にふさわしいかどうかということがわかるためには仏さんと出遇い仏さんをよく知らなければいけません。私たちの勝手な思いで、自分よがりでお飾りやお供えをしていてふさわしくないということもあるのではないでしょうか。
 仏様の教えを聞き続け、お仏様の尊い願いに出遇う、この道を歩み続けることでしか本当に仏様に出遇うということはあり得ないことでしょう。また、先輩方のお荘厳の仕方を引き継ぎながら、私はこうやったら良いというお飾りをして、先輩かたがたに批評をしてもらう。また逆に自分の思いを形に表しながら、先輩方のお飾りを参考にして先輩達の心に出遇う。仏教が伝わってきた歴史と自分が出遇うということの中でしかホンモノにはであえないことでしょう。


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