2005年6月アーカイブ

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最近私には心境の変化ともいえることがある。それは、伝統に訪ねたい、ということである。以前は昔からやっているとは何か古くさい気がして好きではなかった、今好きになったというわけではないが気になっている。昔からずっと伝わってきているということはすごいことなんだと感じている。止めずに伝わってくるには伝わってくるだけの訳があるのだと。そのわけなるものに出遇う、知ることも大事だと最近感じている。
 仏教も二五〇〇年ぐらい前に釈尊によって示され、シルクロードを渡り中国・朝鮮半島そして日本にやってきた。それも人から人へと手渡しされインドから私たちの住む日本にやって来ているのである。これは多くの人々が釈尊の言葉にうなづき、感動してきたからに違いない。私たちの先祖も仏教に出遇い仏教に感動してきたのだ。仏教の歴史の一員だったのだ。そのおかげで私の所にも仏教がやってきている。
 祠堂経会は私の所にやってきた仏教の歴史に触れ、大いなる願いにであってほしい、先祖からそういう願いが込められ営まれてきたのではなかろうか。
どうぞお参りに来てください
115.jpg 最近「憲法改正」という声がよく聞こえてくる。憲法について色々多くの人と話し合うことは大事なことでその中で憲法改正ということであるのならば、それもそうなのだろうと思ってしる。しかしその中で気になっていることがある。今の日本に憲法があわなくなってきているから憲法を改正しなければいけない、というこの意見がすごく私は気にかかる。
 現実に日本には自衛隊という軍隊がなし崩し的に存在する。その中で憲法第九条があわなくなっているということは、その通りである。これだけ日本が経済的に豊になればその財産を守りたくなる、このことも当然なことなのであろう。近年、各家々が経済的に豊になって鍵を厳重にかけるようになったことと同じことなのであろう。盗んでいかれる物がなかったらそんなことを心配をする必要もなかったのであるが...。
 私は日本国憲法が作られた願いを大事にしていかなければならないのではないかと感じている。憲法はアメリカに押しつけられた、という人もいる。でも日本人も作成に関わっていることも事実である。憲法作成の時どんな日本にしたいのか、そのことがいろんな立場で語り合われたことであろう。そういう語り合いの中で日本国憲法が出来上がったと私は思っている。
 先人達が戦争を体験し、そして敗戦ということを経験した。その中で感じていたことを憲法を作る、どんな国にしたいのかというところにその願いが込められているのではないだろうか。この先人達の願いを無視して、今という時代を自分勝手に生きている自分たちの都合だけで、いろんないろんなものを自分たちの都合のいいように簡単に変更していってもいいのであろうか。

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