天上天下唯我独尊
四月八日はお釈迦様がこの世に誕生された日であると伝えられている。それは今から約二千五百年前のことである。伝わってきている話によればお釈迦様がお生まれになったとき、七歩お歩きになられ、「天上天下唯我独尊」と名告られたそうである。この世の中において我ひとり尊し、このように宣言されたというのである。「俺は偉いんだ」というふうに解釈できるかも知れない。でもどうだろうか。私は「今、私は不思議なご縁をいただきいのちを授かり我となった。そういう私はこの世の中においてなにものにも替えるることが出来ない、尊い我となって生まれた」というように言葉を足したい。
私たちはいのちのながれのなかで人として生まれている。何故人として生まれているのか?よくわからない。また私たちは両親より生まれてきている。両親が夫婦にならなかったら私は存在しない。私の両親も親から生まれている。私が私である、私が人であるということは不思議なことである。私が私として今現に生きているから、不思議とはあまり感じないが、私が私であることはよくよく考えると不思議である。どうして私は生まれてきたのか、それはよくわからないことだけれど今、人として生きている。珍しきことであり、喜ばしきことである。
私は今いのちを授かり生きている、ほんとうに尊いことである、有り難きことである。本当にそのことのことが尊く有り難いことであると頷けたとき、その人は本当に尊い存在なのである。私たちはは自分が生きていることどう思っているだろう。
四月八日はお釈迦様がこの世に誕生された日であると伝えられている。それは今から約二千五百年前のことである。伝わってきている話によればお釈迦様がお生まれになったとき、七歩お歩きになられ、「天上天下唯我独尊」と名告られたそうである。この世の中において我ひとり尊し、このように宣言されたというのである。「俺は偉いんだ」というふうに解釈できるかも知れない。でもどうだろうか。私は「今、私は不思議なご縁をいただきいのちを授かり我となった。そういう私はこの世の中においてなにものにも替えるることが出来ない、尊い我となって生まれた」というように言葉を足したい。
私たちはいのちのながれのなかで人として生まれている。何故人として生まれているのか?よくわからない。また私たちは両親より生まれてきている。両親が夫婦にならなかったら私は存在しない。私の両親も親から生まれている。私が私である、私が人であるということは不思議なことである。私が私として今現に生きているから、不思議とはあまり感じないが、私が私であることはよくよく考えると不思議である。どうして私は生まれてきたのか、それはよくわからないことだけれど今、人として生きている。珍しきことであり、喜ばしきことである。
私は今いのちを授かり生きている、ほんとうに尊いことである、有り難きことである。本当にそのことのことが尊く有り難いことであると頷けたとき、その人は本当に尊い存在なのである。私たちはは自分が生きていることどう思っているだろう。
