
一心一向
私たちの宗派のことを「一向宗」といっていた時期があります。それは私たちが阿弥陀仏に一心一向に頼んでいたすがたから表現された名称なのでしょう。良 く考えれば当たり前のことなのかも知れませんが、他の神仏に頼むことなく、ただひたすらに阿弥陀仏に救済を頼むのが私たちの特徴であるといえるのでしょ う。
一向に頼むすがたが宗派の名前になるということは日本においてただ一仏に頼む教えが少なかったということでもあります。だから特徴となり、名前にまでなったことなのでしょう。
私の信仰を見つめるとき、ただ念仏する、一心に頼むということが掛けていると反省します。いろんなことが気になり、まだ他の道が自分にはあるのではない か、自分にもっとふさわしい道があるのではないだろうか、ふと思ってしまいます。ドモまでも阿弥陀仏を信じ切れず、疑いの心を払拭でき図にいる私が明ら かにさせられます。一心に阿弥陀を頼む相に頭の我がル思いがします。
日本において信仰というものは「自由」であったとはいいがたいものがあります。一般民衆において神仏を自らが選び信仰するということはほとんど無かった 時代であったと私は理解しています。地区の体制者にとって都合の良い神を信仰させられていたのが親鸞聖人が生きておられた時代ではなかったかと思います。 仏教でさえも、国家を守るものとして公に日本に持ち込まれ、民衆に信仰させていたのでした。当時民衆は押しつけられた神仏に選び取られるように一生懸命好 かれるようにということに気を遣い神仏にびくついていた時代だったのです。
誤解を恐れずにあえていうならば、神仏に選ばれる時代に親鸞聖人は自分に必要な佛を自分が選び取っていかれた方だったのです。付け加えなければいけない のは自分に都合の良い佛を選ばれたのではなく、生きとし生けるものが必要としなければいけない佛を選び取って行かれたのです。
押しつけられた神仏ではなく、自分が選んだ阿弥陀仏だからこそ、私たちの先輩方はふたごころ泣く一心に阿弥陀仏を頼むことが出来たことなのではないでしょうか。
法事においてお経を読誦する僧侶は仏様に向かって読んでいますので、一見すると仏様に捧げるものであるように見えますが、そうではありません。お経は仏様から現代を生きる私たちにたむけられているものです。読誦している僧侶も仏様の教えとして聞いているのです。僧侶も、参詣者も共に仏様の教えを聞くという事が形取られているのが法事です。
先祖を供養するためにという願いで法事が勤められる場合が多いですが、その場でお経様が読誦されてきた願いを私たちは訪ねていかなければ行けません。お釈迦様の教えを教えとして聴き、相続していく歩み姿勢が何よりも尊いことなのでしょう。お経様を相続して、お釈迦様の教えを教えとして聞き続けていくことが先祖を供養することにつながると考えられてきたことでしょう。 法事を催し先祖の願いを訪ねていくことも法事を催す大切な目的です。自分の思いを先祖に向けていてもあまり意味のないことです。

6月29日~30日まで当寺祠堂経会を催したところ、お忙しい中また天候の悪い中、たくさんの方々にお参りをいただき、そして厚いご懇念をお運びいただき、誠にありがとうございました。心より感謝申し上げます。また、お運びいただきました御懇志金はは大切に常入寺の維持管理のため、そして仏法興隆のために使わせていただきます。
今後とも常入寺維持運営にご協力いただきたくお願い申し上げます。
御文をいただく 其の二 五帳目第一通②
在家止住
浄土真宗の特色を言い表す言葉として在家仏教という言葉があります。仏教は伝統的に一度出家をして厳しい修行を積みお釈迦さまと同じさとりを開こうと志すことが一般的でした。家を出る、自分の関係、家族友人、社会での様々な関係を捨てることが求められたわけです。ところが親鸞聖人が私たちに残してくだされた浄土真宗の教えは、出家しなくてたすかっていく仏教の教え、在家のまま、いろいろな関係を保ちながら救われていく教えといっても良いと思います。
出家してお釈迦さまと同じ悟りをひらく仏教から、在家のままで仏の教えに従い救われていく仏教への転換とも言えると思います。お釈迦様と同じ悟りをひらくということは本当に魅力的なことであります。しかし悟りをひらくには素質ということも必要でしょうし、また出家できる環境、関係を捨てる勇気も必要なことでしょう。なかなか素質や環境に恵まれた人は少ないことでしょう。また今は末法といって悟りを導いてくだされる仏様も存在しない時代なのです。悲しいことなのですが。
しかし、悟りをひらき佛にならなくとも、み佛のみ教えに従い生きていく道も救いの道の一つです。そのことを私たちの宗祖親鸞聖人が南無阿弥陀仏という念仏を称える歴史の中に発見されていったのです。そのことは限られた人だけが救われていく道から智慧才覚環境を問わず多くの人々が救われていく道への変わりめを意味するのです。在家の仏教は救いの質が落ちたのではなく、救いの裾野が広がったことを意味するのです。
私たちは一度、我が身を振り返り、私には限られた人だけが救われていく道を歩むのか、あらゆる存在が救われていく道を歩むのか選ばなければ行けないことではないでしょうか。一度ゆっくり考えてみなければ行けないことです。質の高い救いとは、どんな事なのでしょうか。
在家止住
浄土真宗の特色を言い表す言葉として在家仏教という言葉があります。仏教は伝統的に一度出家をして厳しい修行を積みお釈迦さまと同じさとりを開こうと志すことが一般的でした。家を出る、自分の関係、家族友人、社会での様々な関係を捨てることが求められたわけです。ところが親鸞聖人が私たちに残してくだされた浄土真宗の教えは、出家しなくてたすかっていく仏教の教え、在家のまま、いろいろな関係を保ちながら救われていく教えといっても良いと思います。
出家してお釈迦さまと同じ悟りをひらく仏教から、在家のままで仏の教えに従い救われていく仏教への転換とも言えると思います。お釈迦様と同じ悟りをひらくということは本当に魅力的なことであります。しかし悟りをひらくには素質ということも必要でしょうし、また出家できる環境、関係を捨てる勇気も必要なことでしょう。なかなか素質や環境に恵まれた人は少ないことでしょう。また今は末法といって悟りを導いてくだされる仏様も存在しない時代なのです。悲しいことなのですが。
しかし、悟りをひらき佛にならなくとも、み佛のみ教えに従い生きていく道も救いの道の一つです。そのことを私たちの宗祖親鸞聖人が南無阿弥陀仏という念仏を称える歴史の中に発見されていったのです。そのことは限られた人だけが救われていく道から智慧才覚環境を問わず多くの人々が救われていく道への変わりめを意味するのです。在家の仏教は救いの質が落ちたのではなく、救いの裾野が広がったことを意味するのです。
私たちは一度、我が身を振り返り、私には限られた人だけが救われていく道を歩むのか、あらゆる存在が救われていく道を歩むのか選ばなければ行けないことではないでしょうか。一度ゆっくり考えてみなければ行けないことです。質の高い救いとは、どんな事なのでしょうか。
祠堂経会厳修
二〇〇八年六月二十九日午前十時より
三十日午後四時まで
六月二十九日
午前の部、並びに祠堂のお勤め
午前十時より
尼講のお勤め 午後二時より
午後の部 引き続き
六月 三十日
午前の部のお勤め 午前十時より
午後の部のお勤め 午後二時より
※二十九日は尼講による昼食の振る舞いがございます。
それぞれのお勤めのあとに法話があります。(午前の部十二時頃、午後の部四時頃終了予定です)
法話は、三十日は石川県かほく市の寺本菜都奈さんにお話しを頂きます。二十九日は住職が行います。
いつもお参りには女性が多いので30日にお話しいただく方を女性にしました。残念ながら29日は男性で住職ですがおつきあいください。今回お話しいただく寺本さんは以前東本願寺でよくお会いしたお方です。私自身も久しぶりにお会いしますので、どんなお話しを頂けるかとても楽しみです。
皆さんといっしょに聞法いたしたいと思っています。
ご近所の方々をお誘いの上お参りください。お待ちいたしております。
祠堂とは先祖の位牌などをまつるお堂を指す言葉でした。そしてそのお堂に対してお経を読むことが「祠堂経」です。ですから先祖を供養するためにお経を読むことが祠堂経とということになるのでしょう。
しかし、浄土真宗では位牌というものを用いませんし、当然祠堂というものも真宗寺院にはありません。
また、私たちこの世を生きるものたちが私より先にこの世の生を終えお浄土というきよらかな世界にお生まれになられた方々を供養できる存在なのかという問いが親鸞聖人より問いかけられています。先祖を供養しないといけないという思いは日本に住み、日本の文化の中で生きてきた私たちには当然わき起こってくる思いです。そういう思いを完全に否定する必要は全くないことですが、先祖を供養したいという私の思いに先立って先祖の方々もこの世を生きる私たちを何とかしたいと思われています。先祖は私たちが供養しないと救われない存在ではありません。先祖は浄土という阿弥陀如来がお作りになられた世界に今既に存在されるのです。この世を生きる私たちと違って今既に救われている存在なのです。いますでに救われている方々が私たちを見て何とかしないとと深く願われているのです。そういう先祖の思いを大切にされてきたのが私たちの念仏を宝とされてきた先輩方々なのです。
そういう浄土真宗の歴史の中で何故祠堂経が相続されてきたのでしょうか。私は祠堂経が絶え間なく営まれてきたという歴史が間違えであったとは思っていません。
先祖を供養すること、その行為の根底にある先祖を大切に思う気持ちを一つの表現方法として祠堂経であると思っています。先祖が大事にしてきたお念仏を相続していく、先祖が自らの宝物としてこられたお念仏の教えを自らが受け継ぎ、未来永劫にまで伝わり続ける、そういう仕事を自分も担っていくと言うことを確認する行事が祠堂経であると私は頂いています。お釈迦さまのお経を相続し、経をひろめるということを目的として建てられたお寺を大事にしていこうということを確認する場が祠堂経という行事の持つ意味だと私は思っています。
私たち一人ひとりが仏法を自分が受け継ぎ未来に残していくという仕事を、リレーの選手のようにバトンを次の人に受け渡しという仕事を担う一員に皆さんでいたしませんか?
御文をいただく 其の一
五帳目第一通
御文と聞いてピント来ない方は御文章といえばわかる方がおられるのではないでしょうか。どれも同じものをさし、お東(真宗大谷派)とお西(浄土真宗本願寺派)での呼び方の違いです。何故呼び方が変ったのかということは今答えるのを差し控えておきます。
御文という言葉も御文章という言葉も知らないという方でも、「末代無知の...」「あなかしこあなかしこ」という言葉が聞き覚えがある方がおられるのではないでしょうか。御文は東西両本願寺に関係するものにとって親鸞聖人がお作りになられた正信偈に次いで浸し身のあるものではないでしょうか。ちなみに御文は本願寺八代の蓮如上人が念仏の教えを分かり易く伝えるために書かれたお手紙を後の世の人が集めたものです。
末代無知
もしかすると「末代無知」と言う文字を見て腹を立てる人がおられるかも知れまえんね。おまえは末代無知だ!なんて言われている気がして...
末代というのは永遠に、ずっとという意味ではありません。末法の時代という意味です。仏教の歴史観には正法・像法・末法というものがあります。お釈迦さまが涅槃に入られても、―お亡くなりになられたと言えば簡単なのですが、お釈迦さまは佛という存在なので永遠のいのちを頂いていると考えるので亡くなったという表現はいたしません。現にお釈迦さまの言葉が私の所に届いて私のところで働かれていますから。―お釈迦さまと同じさとりを拓く人がいる時代を正法といいます。像法とは、正法の次の時代でさとりを拓く人はいないけどお釈迦様と同じ修行をなさる人がいる時代です。そして末法とはさとりも修行もする人がいなくなったけど、お釈迦様の教えが教えとして残っている時代を言い、今私たちが生きている現代を指します。次に無智とはさとりのないものという意味です。無智と無知は違います。
「末代無知の」とは、お釈迦様がお姿をお隠しになられ二千五百年以上も経っててしまっている今、お釈迦様の教えを直接聞くことの出来ない、指導を直接受けれなくなってしまっている時代をまことを、本当のことを何も知らずに生きている私たちはとまず私たちに呼びかけられているのです。
被差別部落の起源について、かつては"江戸時代に民衆を支配する手段としてつくられた"というような近世政治起源説が主流でした。部落問題に関する啓発資料などにもそのように書かれていましたが、今日、歴史研究が進む中で大きく見直されてきています。
また、それぞれの地域の部落史研究が重ねられ、全国的に共通する面とその地域特有の面があることが明らかにされるようになり、そうした地域の歴史的背景を踏まえた人権啓発・人権教育の重要性が指摘されています。
しかし、富山では一部の研究を除けば研究例は少なく、私たちの住む地位の多くの史料・資料は、埋もれたままになっていると言えるのではないでしょうか。地域に根ざした歴史教材もないのが実情であり、被差別民衆に支店を当てた歴史的背景を理解することも重要ではないかと考えます。
このたび、下記のように石川県同和教育研究協議会の角谷正人さんをお招きし、富山・石川における被差別部落の歴史についてお話しして頂きます。角谷さんは加賀藩時代から近代に至る被差別部落に関わる史料を丹念に分析されておられる方で、私たちの地域の特徴を分かり易くお話ししていただけるものと思います(富山県は江戸時代、加賀藩と加賀藩の支藩であった富山藩の影響下にありました)。なにとぞお誘い合わせの上、ご参加ください。
日時 2008年6月9日【月】午後4時00分~5時30分
演題 『加賀藩における部落の歴史』
また、それぞれの地域の部落史研究が重ねられ、全国的に共通する面とその地域特有の面があることが明らかにされるようになり、そうした地域の歴史的背景を踏まえた人権啓発・人権教育の重要性が指摘されています。
しかし、富山では一部の研究を除けば研究例は少なく、私たちの住む地位の多くの史料・資料は、埋もれたままになっていると言えるのではないでしょうか。地域に根ざした歴史教材もないのが実情であり、被差別民衆に支店を当てた歴史的背景を理解することも重要ではないかと考えます。
このたび、下記のように石川県同和教育研究協議会の角谷正人さんをお招きし、富山・石川における被差別部落の歴史についてお話しして頂きます。角谷さんは加賀藩時代から近代に至る被差別部落に関わる史料を丹念に分析されておられる方で、私たちの地域の特徴を分かり易くお話ししていただけるものと思います(富山県は江戸時代、加賀藩と加賀藩の支藩であった富山藩の影響下にありました)。なにとぞお誘い合わせの上、ご参加ください。
日時 2008年6月9日【月】午後4時00分~5時30分
[総会議事:午後3時10分~3時50分]
会場 浄土真宗本願寺派富山別院(西別院) 2階研修室(富山市総曲輪2-7-12 電話076-421-6672)
会費 無料演題 『加賀藩における部落の歴史』
講師 角谷正人さん(石川県同和教育研究協議会・調査研究部長)
主催 部落解放にとりくむ富山県連絡会議
☆ 部落解放にとりくむ富山県連絡会議(通称:富山解放連)
富山県下で『部落解放にとりくむ各界・各層の広範な相互連絡を深めると共に、協力関係を拡大、推進し、部落問題の速やかな解決を図る』ことを目的として、1986年3月に結成されました。被差別部落大衆をはじめとし、企業や宗教関係者、労働者、市民など幅広い層の団体・個人によって構成されています。結成以来22年、学習会・市民公開講座の開催や会報の発行などの取り組みを行っています。
☆ 会員になってください。会員加入を呼びかけてください。
団体、個人を問わず、会員加入を呼びかけています。年会費[4月から翌年3月まで]は一口1,000円で、団体にあっては5口以上、個人にあっては1口以上をお願いしています。
富山解放連事務局:富山市総曲輪2-8-29真宗大谷派富山教務所内 電話076-421-9770(三枝)
有縁の方々がこの世の生を終えられたときお参りに行くことを「おとむらい」といいます。漢字で表すと、「弔」となります。漢字辞典を見てしったことですが、「吊(つるす)」という字は元々弔うという字だったそうです。そのことを考えるといろいろな思いが湧いてくるのですが...、そのことは今はさておいて、「弔」と言う字は、人が弓矢棒を持っているすがたが形になり感じとしてできあがっていたそうです。死体が食べられないように弓矢棒きれを持って追い払うことを昔していたことが弔うという漢字になっていったとのことです。
今でも近所の人や親類の者が家に集うのは、元々は、ネズミや野良猫野良犬からご遺体を守るためだったそうです。遺族を訪れて故人が亡くなったことを悔やむためだけではなかったようです。また、「とむらい」と言う言葉も「とぶらい」という言葉が変化したものであるといわれています。とぶらうというのは今でいう訪れるということです。
有縁の人が亡くなり訪れるのは単に遺族に会いねぎらったり故人がなくなることを単に悔いるためだけではないと私は思います。ある意味応えてくれるはずのない故人に会うために訪ねるのです。ご遺体を動物から守るのは故人と二人っきりの場を作り訪ねるためになのです。焼香をするというのは他を追い払うという意味があるそうです。
有縁の人の死を他人の死にとどめるだけではなく、弔いに来ている私も同じくいつかこの世の生を終えるときが必ずくる、そのことをご遺体とお会いする事を通して確認していくことが大切だと私は思います。
この世の生が終わること、死を迎えなければならないのは今を生きている私たちも同じです。だからこそ死に向かってどう生きていくのか、そのことをご遺体と対面することによって私が訪ねる。生きとし生けるものは必ず死を迎えなければならないという悲しみを故人と、ご遺族と共に感じることが弔いをすることの仏教的な意義であると私は思っています。
ご遺体と対面することによって必ず自分が死を迎えなければならない悲しみに気づかせていただくことが、故人を仏様として出会う第一歩でしょう。
故人は人間としてはもう出会うことはできませんが、仏様として出会うことはこれからもずっとできるのです。仏様とは人間の生き様を悲しみ私たちを救わんと願われ動いておられるお方であります。
先月、三月四日より六日まで「第七回真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会in高山」という集会に参加してきました。この集会は真宗大谷派(東本願寺)の主催でハンセン病回復者の方々、そしてハンセン病回復者と関わっておられる方々、ハンセン病問題に関心のある方々が集った集会です。三日間で延べ千人を超える方々が参加されたそうです。
昔お世話になってなかなかお会いできることにない先輩僧侶の方々にもお会いできましたし、また以前であったハンセン病回復者の方々とっも少しお話ができ、集会名には「ハンセン病問題」という重たい名前がついていますが、私には本当に楽しく充実した集会でした。
前回もこの集会に参加したのですが、回復者の方々の参加が少なくなられたと感じました。回復者の方々の高齢ということが原因のようです。回復者の方々が何の遠慮無くいろんなところに行ける社会、いろんなところに住めるような日本に少しでも早くしなければと実感させられました。そのためには私たちがハンセン病問題の歴史をしっかりして過去の過ちを知り正しく理解することが大切なことなのでしょう。
富山県にはハンセン病の療養所が近くにないということもあってハンセン病という病気自体は今私たちにとって凄く他人事なもの、意識できないものになってしまっているのですが、決してハンセン病問題は終わっていないのです。富山県出身のハンセン病回復者のMさん、数年に一度ぐらいしかお会いできないのですが、私は富山でいっしょに酒を飲みながらいろんな話しをしたいです。そう強く願っています。だけど、高齢ということもあったり、そして家族に迷惑がかかるのでは、また差別されるのではと心配なさってなかなか来てくださいません。家族を心配なさってしまう経験が記憶がなかなか薄くならないからなのではないかと私は思っています。これはMさんの問題ではなく、私たちの問題だと思います。Mさんが安心して、何の心配もなく、あいつがいるなら富山に帰ろうと決意できる私にならなければと思うのです。私が変わらなければいけないのです。
人間に帰りましょう!
「人の迷惑をかけてはいけない」そう思っている人もいることだろうし、自分の子どもに言い聞かせている人も少なくはないだろう。
また若い人たちがつかう省略語で「自己チュー」というものもあった。これは自己中心的という言葉を短縮した言葉らしい。これは世の中に自己中心的な人が増え、それに迷惑を被った人が増えているからこういう短縮した言葉が生まれてきたのだろう。それだけ今の社会の問題となっていることを指し示している言葉といえよう。やっぱり人に迷惑を掛けられるのはイヤなことだ。だから人に迷惑を掛けることはいけないことだと思うことなのでしょう。私もそう思うのですが、反対に本当にそうなのかというふうに思うこともあるのです。
迷惑というものも人によってイヤなことだと思ったり、イヤなことだけど仕方ないと思ったり、そして迷惑を掛けられたことがうれしく感じたりすることがあるのではないでしょうか。その人との関係によって同じ事でも感じ方が違うと思うのです。余り関係の深くない人だとイヤダという感情が強くなり、関係が深ければ薄くなっていくように思えます。
また、私たちは人に迷惑をかけずに生きていくということがあり得るのでしょうか、私はそうは思えません。ちょっと極端な喩えになってしまうのですが、私たち命あるものはものを食べないと生きていけません。その食べ物は食べ物として存在しているわけでは決してありません。私たちと同じ生きものとして生きているのです。食べられるために生きているのではなく、生きるために生きているのです。私たちは当たり前のように食事をしていますが、食べられる方からすればとんでもないことです。迷惑なことではないでしょうか。私たちは迷惑をかけることは減らすことはできましょうが、なくすことはできないのです。
ここ最近私たちは、誰かに迷惑をかけることを恐れる余り、近所・親類・友人というような人間関係のつながりを細くしてきているのではないでしょうか。私はこれでいいのかと思うのです。今私たちは迷惑をかける勇気を持ち、お互い様という精神であらゆる人々と関係を深めていくよう心がけることが大事なのではないかと思うのです。お互い迷惑を掛け合うことにより絆が深まっていくのではないでしょうか。
私たちは関係性の中で生きており、その中で人として成長し続けています。関係を絶っていくという方向性は人として生きることをやめるという事になるのではないでしょうか。

