2010年1月14日

思いをかなえてくれる神仏 こそ...

私たち日本に住むイメージから言うと、神仏というのは、
願いを叶えてくれる存在、
願いを叶えてくれるから礼拝の対象となることが多い。
それはそうなんだけど、
ほんとうに今を生きる私たちにとって必要な存在なのだろうか。
私たちにとって大事な存在なんだろうか。

ふとおもったことは
神仏が自分の願いばかり聞いてくれると、私たちはどうなっていくだろうか。
そう考えると、
自分勝手な人間になっていくのではないだろうか。
人間の思いを中得てくれる神仏は自己中の人間を生産していく。
そうなんではないでしょうか。
それでいいんでしょうか。
今私たちに必要なゾンザイハ、自己中心的には生きていってはいけない、
自分勝手な生き方をしてはいけないというはたらきなのではないだろうか。
「自分の思いは叶わぬもの」
「和(やわらか)」をみだしているのはおまえなのではないか
そういうことを言い当ててくれるはたらきこそ、今を生きる私たちは大切にしていかなければいけないのではないかと思うんです。

神仏に願を掛けてはならないなんて言うことは思わないけど、
そういうことを願うことはとういう事なのかなんて考えることが自分たちには大切だと思う。
そして、人生思い通りには行かないもの」と言うことを尊くも言い当てていただける存在、頷かせてくだされるはたらきとして、神仏に礼拝していくことが大切だと思う。
そういう存在こそ、我等が本尊、阿弥陀仏なのだろうと思う。

私が必要としている佛と、
私が必要にしなければならない佛がいる、

2009年12月28日

【紹介】ラジオ法話

砺波地方のコミュニティーFMでラジオ法話という番組が放送されています。これは私が所属する大谷派の砺波地方の僧侶が語っています。
コミュニティーFMなので視聴できる地域は本当に限られていますが、
しかし、このFM局のHPにて聞くことができるらしいです。
私の家からもどんなにアンテナをのばしてもこのFM局は聞くことは無理です。
バックナンバーまではそろっていないのが残念ですけど、その時の一人のお方のお話に逢うことができます。
よろしければ聞いてみてください。

ちなみに私は来年の五月頃に話す予定になっているみたいです。多分?

ラジオ法話

『ラジオ法話・私にとって念仏とは』

Hana

井波別院瑞泉寺・城端別院善徳寺・高岡教区第1組・第2組・第3組・第4組の僧侶の皆さんが命の尊厳を訴え、心悩める方々に問いかけようというもの。 送時間 毎週月曜日18時40分~ 火曜日6時15分~ 水曜日14時~ 金曜日6時15分~




FMとなみhttp://www.fmtonami.jp/

ケータイ用アドレス

2009年11月28日

僧侶というアイデンティティーからの解放

いろんな人のブログを読んだり、いろんな人の話を思い出したり、そして親鸞聖人の祥月命日を迎え、色々考えています。
っていうか、今日、黒部の方までごまんさんのお話しに行かなければいけないので話すことを考えているのですが...
親鸞さんは(官度)僧としてのアイデンティティーが流罪まであったんでないかななんて思ったんです。
法難によって僧籍を剥奪され、そして僧侶から解放の道を歩んでいったのかな、なんて何となく思っているんです。
宗祖は九歳の時に出家得度されたと言われています。
これに意義と称える知人がいて私は同調しています。
いくら慈円がいたからと言って九歳で毒度できるわけがないって思うのです。
そして、また比叡山に入寺してもすぐ得度するとは限らないのではと思うのです。大きなお寺には小坊主さんみたい人がいたと思うのです。アニメ一休さんのように、その人たちはお寺に入っていわゆる修行のようなことをしているけど、ホントに毒度できているのかと言えば、違うと思います。私の記憶が正しければ当寺官度僧として認めてもらうには、興福寺や、延暦寺の許可が要る、また官度僧と言うことは国家公務員なわけだから、そうたやすく小さい未成年の子どもが毒度できるとは限らない、得度はしてないけど、出家したという人も沢山いたのでは、そういう感じが宗祖九歳の時であったのではないかと思うのです。
それはともかく、とにかく訳あって宗祖は比叡山で出家したわけです。底での歩みは、帰る場もない宗祖としては僧侶として生きていくしなかったのでは、そこで僧侶として一生懸命生きていこうという志強き人だったのでは。
僧侶としての生き方、
僧侶としてあるべき姿、
そういうものをすごく追いかけられていた方だったんではないかと、
私は想像するのです。
多分成人して官度僧となった宗祖は、いわゆる立派な僧侶として生きていこうと一生懸命歩まれていたのではなかったのでしょうか。
そういうところで「大乗」と言うことが課題になったのでは。
ということで十九歳の時、
和国の教主なる聖徳太子のお墓にこもられ、「日域は大乗相応の地」という夢告を受けられたのではないのでしょうか。
大乗の僧侶として立派になろうという歩みの中で色んな課題が、悩みが湧いてこられた。
そして、志と我が身の現実のギャップを感じて行かれた、と思うのです。
そしてまた末法の世を悲しまれた。
その中で末法のための教えとしての念仏に気づかれていかれ、
29歳の時、十九歳の時汝が命根十余歳なるべしとお告げを頂いた命根尽きる歳に今一度聖徳太子ゆかりの地、六角堂に参籠され、念仏を選び取って行かれたような気がするのです。
まだまだ官度僧としての自負心、誇りのようなものを抱え込んでおられたのではないでしょうか。また、三十三歳の時、寿像を書き写すことと、選択集を書き写すことを許された宗祖は、ある意味言葉は悪いですが、有頂天だったのではないでしょうか。
これこそ末法の僧侶の歩むべきまことの路として浄土往生の道を歩んで行かれたことなのではないでしょうか。
片州に末法を生きる僧侶として順風満帆の歩みをされているとき、
法難に出会われ、流罪に処せられたともいえないでしょうか。
悔しくて悔しくて仕方の解雇とだったでしょう。流罪にあったこと、そして僧籍を取り上げられたこと。
だからこそ、
同じ念仏を称える僧侶である曇鸞が、梁の天子に菩薩と礼拝され、神鸞と呼ばれていた、ことと自分を比べられていたことでしょう。最初のウチは。何でオレは、ッて。
だけど、流罪の地で田舎の人々と出会うことによって、
僧籍を持つ持たないと言うことにこだわることのばからしさに気づいて行かれたことなのではないでしょうか。
僧侶として立派に生きていく歩みの中で、他を悪と見たり、害としてきた自分に気づいて行かれたのかも知れないと思うのです。
僧侶としてのしがらみから解放の道を歩んで行かれた。
僧侶として念仏を頂いてくのではなく、1人の人間として念仏と向き合っていく歩みに変化されて行かれたのではないでしょうか。それが流罪以後の宗祖の歩みではと思うのです。私は。


こんなような州ぞぞうを画いて今はいます。

結局まとまらない文章に、そして質の悪いフィクション作品みたいになってしまいましたけど、ちょっと、思っていることを文字に書き留めてみました。
これをもうちょっと整理していかなければいけないのかな。
まだまだひとりごとの域を全然超えてない文章でした。



2009年4月16日

同朋唱和は宗風の回復運動

標題のことを最近思ってたんです
同朋唱和は同朋会運動の新たな運動ではなく、以前当然のように行われていたものを回復を目的とするものではないだろうか、なんて思うんです。
そもそも同朋会運動もお講組織の回復運動だと考える私です。
でも最近持論に疑問をもつんです
元来正信偈の草四句目下の勤行を当たり前にしている私たちですが、本来お朝事は草四句目下ではなく、舌々二淘、本山でも別院でも、末寺でもそうだった。
この早いお勤めを昔の人は出来たんだろうか。
この理解しにくいお勤めを門信徒の方々は当たり前に出来たのだろうか。
また月参りというのが昔からあったことなのだろうか。
そんなことを思うと疑問を持つ
そしてそして、お内仏を持つお宅は今のようにたくさんあったのだろうか。
土地を持っている農家や、商売をしている家は持てただろうけど、

歴史をしっかり調べてみないと判らないな
自分の持っている常識の中だけでいろいろ想像しても限界があると思う。

2009年4月15日

芽生えはじめる

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ニンジン

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水菜

この間種を蒔いた種ニンジンと水菜芽を出しています。
この二つはいつも蒔いて結構早く芽を出してくれますし、育てるの簡単です。
ニンジンと同じ日に種を蒔いたほうれん草はまだ芽を出していません。
ポットに種を蒔いたオクラトウモロコシ枝豆は当然まだまだ芽を出す気配がありません。
いうまでもなく一昨日蒔いた青梗菜はまだまだです。大根もそうです。

2009年4月 3日

浄土の顕彰

顕彰とは個人の功績や善行を讃えるということであろう。
私たち念仏者の顕彰とは還相の菩薩として顕彰するということになる。
還相の菩薩とは私を浄土に導いてくださった菩薩様ということ。
故人を浄土に導いてくださったお方として讃えるということは
私たちの概念としてのほめたたえるということとはちょっと違うのではないだろうか。
私が浄土に生まれることとして大切なことは「世を厭う」ということであろう。
浄土を願う心のもとを私に植え付けてくださった方が還相の菩薩様なのだろう。
「愚者になりて往生す」という法然上人のお言葉をたよりにするなら、
愚者の自覚をくださる方が還相の菩薩となろう。
我が身は罪悪深重煩悩熾盛
火宅無常の世界はよろづのこと、みなもっと、そらごと、たはごと、まことあることなき世
を私たちに示してくださっているのです。
そういうことを指し示してくださったお方として讃えていくことが浄土の、浄土真宗の顕彰、浄土真宗のちぃちょうということなのではないでしょうか。
人間の愚かさを身をもって示していただく方としてほめたたえていくことも浄土の顕彰となることでしょう。
立派な人として讃えていくというよりは
尊いことを教えてくださったお方と讃えていくことなのでしょう。






そういうことを昨日東本願寺の全戦没者追弔法要に参加していただき思わせていただいた次第です。

2009年3月 6日

「門徒」という言葉

浄土真宗の檀家を門徒と一般的に言うわけです。
檀は檀那を指す言葉で施しをする一という意味で、極端に簡単に言ってしまえばパトロンって言うことだろう。
檀家ではなく浄土真宗では門徒と行ってきたわけだ。
家から徒と変化していることは現代の視点から見ると家から個人という感じですごいことなのだろう。
でもこの言葉私は気になるのだ。
ある意味もっと大事にしたいのだ。
すごく引っかかるのは、
○○寺門徒っていう言い方に疑問を私は感じる。
自分も、どこどこの門徒さんといってしまっているのだけど、やっぱ気になる。
門徒という詞書きになるのではなく、門徒という言葉の前にある言葉が気になる、といった方が正確なのかも知れない。
私は門徒の前にくる言葉は、浄土と真宗、という言葉しか前に来るべきではないと思うのだ。
本願寺でもおかしいと思う。
門徒は所有物ではない、
僧侶も門徒だ。

もんと 【門徒】

同じ宗派に帰依して宗教生活を送る人。本来は、同一の系譜に連なる僧侶を指したが、浄土真宗において在家の信者の意に用いられたため、中世後期以降、もっぱら真宗信者一般に対する呼称となった。
Excite辞書エキサイト
とある。もともと僧侶を指した言葉だったそうな。門徒も檀家も関係ないって言うところからこういうようになったのかも知れない。
それなのに。
現実、「門徒」と僧侶を区別している。
深い深い溝を作ってる。
檀家を門徒といっても何ら現実変わらない関係。

だから自分は檀家って言う言い方をわざわざすることもある。

浄土真宗で檀家のことを門徒というんだって言うことで終わるのではなく、何故そういう言い方になったのかなんていうことを大事にしていかないといけないんだろうな。
変化していかないと、ちかづいていかないと
門徒って言う言葉に失礼だ。なんて私は思う。

2009年2月15日

すすめる心

昨晩ある組の同朋の会があってお話ししてきたせいか、また眠れず今ここに座っています。
その会である方から質問、
さわりを外にあると感じている人に対してあまりにも素っ気ないのではないか、だから他の宗教にいくのでは、そういうことがお寺と「門徒」の溝としてあるのでは、なんて言うことを後から考えればされていた質問を受けた。
そのときはそういうふうになかなか聞くことが出来ず、的外れな答えを今思えばしていた。ちょと反省。
霊を怖がる人々に対して、災い、祟りを現実に怖がっている人に対して私は今まで簡単に否定しすぎというよりは、簡単に聞き流していたのかな。そう思う。
見下していたのかも知れない、そういう人たちを。
せめて念仏を、南無阿弥陀仏を称えることはすすめることが出来たのでは、と遠い昔を後悔する。

民衆仏教としての真宗と言うことが、私の上に欠如しているようです。


私たちはたまたま専修念仏の教えに出遇い源に歩んでいる。
自分が外にさわりを探していた頃のことを忘れてしまっている。今も自分自身がさわりだと思ってなんか生きてはないのに。
何故か自分は信を獲たエライ人で信を獲てない迷っている人に対して見下してものを考えている。
そういう自分に今出会わせてもらった。同朋の会での質問を今やっと思い出し
自分は何を聞いてきたんだろう。

自分の抱え込んだ真宗を自分の言うことが判ってもらえる人にだけ判るように語っていたのかな。今まで。
あらゆる人々に南無阿弥陀仏と念仏を称えてもらうことも私の大事な仕事です。
また、あらゆる人々に念仏を称えてもらいたいと強く願わない、勧めることを全くしていない自分の信ていうものは何者なのか!
落ち込む私です。
一昨日階段から滑り落ち、昨日法事をすっぽかして落ち込んでしまっている私、そん中、また落ち込んでいるフリをしています。
今思っていることを来月の同朋の会で、めっちゃ整理をして今一度話しをしてみたい。

2009年1月29日

供養ということを考えさせられる

泡瀬埋め立てによって失われるいのちを弔う

(浦島悦子2009/01/28JanJanニュース)
1月15日から開始された国(沖縄総合事務局)による泡瀬干潟の埋め立てによって失われるすべてのいのちを弔いたいと、浄土真宗沖縄東本願寺の僧侶らが呼びかけた供養式が25日、沖縄市泡瀬の海岸から延びる埋め立て工事用の仮設橋梁入口で執り行われた。
(中略)
焼香台を設置したあと、十数人の参列者の前で3人の僧侶による読経が行われ、次のような誓いの言葉が読み上げられた。

 「......願わくは、仏陀が教える『私たちはこれ以上貪る必要がなく、足りていることを知れ』といういのちの教えに耳を傾け、いまを生きる者として、何を願っているのかをあらためて問い、この果てしない欲求を追い求める生活の中で、真実の生き方を回復したいものです。
 今、このときに当たり、失われていくいのちを供養し、私たち人間が生き物たちから願われていることに耳を傾け、すべての生き物を救いたいという阿弥陀仏の本願をよりどころとして、その深い願いに生きることを誓います」(後略)
はじめ多分大谷派の僧侶であろう人たちが頑張っているな、と思いこの記事を読んでいった。
沖縄には大谷派の寺院は1ヶ寺しかなかった記憶がある、だからどういう方がやっているのかよくわからないが、親鸞さんの教えが明らかになるかも知れない大切な儀式だと思った。
でも、供養式と題され、また表白であろう文章に供養という言葉が使ってあり、ちょっとドキッとしたが...
こういう供養ならありかななんていう気もした、私は。
私自身供養という言葉をあえてあまり使わなかったり、真宗としても伝統的には肯定的にしてきてない。「私に供養が出来るのか」という問いが私にはこの問題を考えるときに問題となる。不回向、他力回向ということを思ってしまうからだ。
私たちにはヤッパリ供養したいという気持ちがどこかしらある。教義からしておかしなことかも知れないけど、抜けきらないというか、供養したくなる。
良く考えれば、私は供養という言葉を弔うという言葉に代えて使っていたような気がする。
供養と弔うことが違うことなのか、同義なのかということはよく調べていないこと、言葉狩りを恐れて弔うという言葉に代えて私は使っていたような気がする。

衣食を供給し養っていくことが供養ということの始まりだったと思う。どこかのリーフレットに
供養は、仏さまの大いなる世界を私がいただいたことの表現です。

供養とは、「仏法僧の三宝」として現されている真実の世界に対してなされるものです。本当に尊敬されるべき世界、本当に大切にされるべき世界を見いだすこ とです。それは自分を中心にして生きているものが、自他平等のいのちを現す仏さまの世界に、われもひとも共に生きることのできる世界を見いだすことです。 その感動が供養の形をとるのです。
という言葉があったことを思い出す。
「我も人も共に生きることの出来る世界を見出すこと」を願うとき、失われていくいのちが目の当たりに明らかになったとき供養したい!とまた願うのではないだろうか。
それが供養ということでないかと思ったのです、私は。
自分の身を守る道具としてでない、供養という思いが私のなかで湧いてくることも有り得ると思いました。
この記事を読み、
供養ということを完全に否定するのではなく、
追善という供養は自我の何者でもないことだけど、
追弔という供養は大事にしていかないとと思った訳なのです。
先のリーフレットをよく嫁化くようということは完全否定されていない。
自分が真宗の教えをどこまでも善悪の問題で聞いていたのかな、そんなことも明らかにしてもろた。

このこともう少し考えていこ!

結論のないというか、とりとめのない記事になってしまいました。
以下のようなWEB署名を見つけました。

2008年11月19日

ごまんさん

次の日曜日私が所属するお寺ではおっひっちゃはんがつとまります。
自分の中でこの行事の名前が定まってません、おっひっちゃはんといったり、ごまんさんといったりしています。
元々11月28日の親鸞聖人のご命日に勤めていたのですが、諸事情により本山の報恩講中の日曜日に催すようになってます。
おっひっちゃはんはお七昼夜という言葉がもとになってなまった言葉だろうと思ってます。本山の報恩講は七昼夜勤められることからそういわれるのでしょう。
ごまんさんは、御満座という言葉が、人格化した(?)形なのでしょう。御満座も本山の報恩講最終日の日中のお勤めを指す言葉です。
とにかく親鸞聖人のご命日に勤める仏事です。
昔聞いた話しでは、
本山から百里以内に噎すものは真宗門徒は本山の報恩講に参らなければならなかったそうですが、百里以上離れているところでは、近くの真宗のお寺にお参りしなければならなかったそうです。
本山の報恩講にお参りできない人のために末寺では、本山の御満座にあわせてつとめていたようです。私の所属するお寺では私が小さいときは一昼夜勤めてました。御伝鈔の読誦も報恩講では上巻を読み、ごまんさんでは下巻を読む、っていう感じになっていたそうです。

とにかく私の所属するお寺の今年最後の年中行事です。
年の瀬を感じます。ちょっと早いかな。
討のごまんさんでは伝統的にお説きの時、シイナのごはんが出されます。
シイナというのは青じそを乾かしたものをごはんに塩と混ぜたごはんです。
後は報恩講と同じような内容です。いとこに(報恩講の時はいとこ煮でなく小豆の味噌汁です。愚が小豆と豆腐。)、大根の煮染め、花麩、昔はほうきん(とんぶり)の胡麻和えも添えられていたような気がします。

2008年11月17日

仏事としての獅子舞

いろんな迷想の結果、今獅子舞について考えて遊んでいます。
越中の獅子舞のほとんどは江戸後期、明治初期より始まった「芸能」であります。特徴としては、ムカデ獅子です。春祭りや秋祭りの時にかく村々で舞われます。最大の特徴は何といっても、獅子討がいることです。花笠をかぶった子どもがすることもありますが、天狗のお面をかぶって獅子討をします。
基本的には百獣の王の獅子がいるということによって悪魔が近づくことが出来ない、そういうことがイメージされるものなのでしょうが...獅子に悪魔払いをしてもらうということが基本なのですが、越中ではそうではないのです。獅子討といいますけども、多分、獅子を司る、操る、調教する存在ががいるのです。獅子の調教したるものが獅子討だと思うのです。その獅子討は巫女をイメージする花笠をかぶった子どもが演じたり、山伏をイメージして天狗の面をかぶったものが演じたりします。
所によっては、花笠をかぶった子どもが獅子討をしてもどうにも出来なくなり、天狗が変って征伐するという物語に準じて舞われるところもあるようです。
基本的に伸司として越中でも獅子舞は見なされるのですが、
私は獅子討として天狗がいることに注目をします。
悪罵払いをしたり、紙成る存在との接点を結ぶのは巫女や神主だけではなく、天狗なるる修験者がするのだということが、越中の国には常識としてあるのだと私は思います。
考えてみれば神社は各村落にに少なくとも一つはあります。でもその村落すべてに巫女や神主がいるかといえばそうではありません。住職のいないお寺は少ないですが、神主のいない神社は結構あります。そしてその社を守ったり、村の悪魔払い的な仕事をしていたは、少なくとも明治初期までは、山伏や、聖(ひじり)といわれる非僧非俗の仏教者だったのであったのではないかと私は越中の獅子舞より推測するわけです。
神を操るという表現は変ですが、神との接点として、神の通訳者として山伏たちがいろんなところに君臨していたのではないかと思います。
真宗の勢力が強い北陸ということを考えても、親鸞の弟子のほとんどが善光寺聖であったという説があるぐらいですから、善光寺聖も越中の各地を回ったことでしょうし、立山白山の修験者、医王山の修験者やその他の山伏は越中の国を結構うろうろしていたのではないかと想像します。
越中の獅子を天狗が操って悪魔払いをしていくという獅子舞は私は
神事ではなく、仏事だと思うのです。
それがそうしたといわれればそれまでなのですが、仏教者としてそんなことを自己主張したいのです。明治以後廃仏毀釈により山伏さんたちが各村落の社から切り離され、食べていくのに困って、山伏がどんどん減っていったことなのでしょう。

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2008年10月12日

愚禿が名告り

愚禿という名告りについて、非僧非俗という得の名告り、そして愚者になりて往生すという言葉を頂いての名告りだと私は思ってた。
でも最近ちょっと修正しています。
得というのは聖を表す言葉、
民衆仏教として民衆への梯として仏教を運ばれていた肝心聖を意味する言葉だといた抱き直しています。非僧非俗というのも間違えではないけど、そういう意味で言えば非僧非俗は親鸞の専売特許ではなく、聖の方々の専売特許うだったものいつの間にか元祖が奪われた形だと思う。ついでに言えば肉食妻帯も。
ということで愚禿という名告りは
(専修)念仏聖を表す言葉だと私は今頂いています。
専修念仏と、民衆仏教の融合と言うことが親鸞さんの大きな課題であるということがあらわされているお名前だと思う。
念仏は民衆仏教としてふさわしいものなのだけど、専修念仏はどうだろ。

少なくとも私たち清沢満之に毒された、ちょっと言い過ぎかも知れないが、信心と言うことを哲学的視点で表現され、それを聞いてきた私たちの抱え込んで市まっいる、立派に見えるように飾ってたお念仏が民衆仏教なりうるのだろうか。融合し得るのだろうか。
雑修雑多な念仏は民衆化しやすいだろうけど、専修念仏はどうだろうって私は思ってしまう。
それを融合させるって言うのは凄い大きなロマンだと私は思う。
大事業だと私は思う。、

2008年8月 3日

真宗の御利益

最近お話しをさせていただくご縁を戴く度に一度は、
タイトルのような話しをさせていただいています。

真宗には御利益がない
っていうことは申していません。

真宗には御利益がありますよ、っていっています。
結論から言えばその御利益とは
我が身が念仏申す身になる、
なんていうことです。
もしくは念仏申していこうという決意が生まれること、かな。
渡した賃先輩方というか親鸞さんは、
多分御利益とはあえていわれずに、
他力、
如来より賜りたる信心
といわれていたことでしょう。
そういわれてきた歴史も大切なことだと最近は思いお話しもさせていただいています。

やっぱり得るものがあるから念仏が相続されていくのだと思います。
だjから御利益があるのです、南無阿弥陀仏には。だから私の所にやってきたのです。沢山の人を経て、長い歴史を経て。

ただ私の期待するような御利益かどうかということは別のことです。
手向ける側と、戴く方では温度差があるというか、価値観の違いがあるわけですけど。
その違いをはっきりしていかなければいけないことだと思います。

ただ念仏申す身になれるっていうことはホント凄いことですし、大切なことです。
でも、平生生活していると凄いこと大切なことと思えずにいるのです。

2008年5月22日

八百万の神々

日本はインドのようにいろいろな神々がいるとされる
宗教を利用した政治の歴史
また政治に金の鎖をつけられ骨抜きにされた様々な宗教
政治の絶対性を主張するために宗教が使われる
日本にも豪族の国々にそれぞれの神が存在した
政治を司る神が
そして力ある国が弱い国を占領するとき
強き国の神を押しつけづに
強き国の神が弱きくにの神を支配化する
しかし、宗教儀式は占領した神の儀式であらゆる神々と対話してゆく
神は八百万存在するが、神々を支配する神が存在する
仏教の仏も日本では支配される神としていまだに存在する
何度か仏の復権も何度か試されただろうけど...
日本に住む限りは天皇の臣民として生かさせられる
いつのまにか地域の文化・言葉まで奪われてしまっている
特にここ百年

在日琉球人を名告る方が、ヤマトの国には文化が存在しないと言った
天皇制を指示する限り文化は存在しないと

私は思う
天皇制という文化は存在する
また地域文化は面影は少し残っている
足跡はまだ残っている
しかし
このままでは、東京の文化、天皇制文化だけが文化として残される
臣民として演じ生きることが文化として伝承されていく

地域文化 我が文化 八百万の神々のそれぞれの文化をそれぞれ認め合いながら輝きあう社会
それが仏の国
阿弥陀の国 極楽だ

2008年2月15日

葬儀表白作りました ご意見お待ちいたしております

思い立って、葬儀の時に読む表白を作りました。
なんか決意文みたいになってしまっていてまだまだ完成度は低いと私は思っています。
でも、実は今日読む決意をしているのです。

ご意見ご感想を頂ければ幸いです。
参考にさせていただき作り替えていきたいと思います。


表白

おもうに、いのちの終末は 時も ところもえらばず また老い若きにも関係がない 人との出遇いには必ず別れを伴う 私の思いが全く間に合わないのである

また家族の絆、友の絆は絶つことができない だから別れの悲しみは無くならない

本日 法名 釋○○ の葬儀にあたり仏前にお香やお花などをおかざりし また 故人の生きておられた時の姿を思い出し心に刻み

いままさに人間の無常・我が身の限りある事を故人より尊くも私たちに知らされていることであります。

ここに集う縁ある我等 この導きをたよりにし、深くみ佛のみ教えに出遇いを我が身、我が人生を明らかにしていく決意をいたさなければいけないのです。

いままさに宗祖親鸞聖人の正信念仏偈を皆共に聴聞し、南無阿弥陀仏を宝にいたし我が人生を全うせんことを誓うのであります

常入寺住職 敬いて申す


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