ひとりごとの最近のブログ記事

昨日の夕食でシシトウを食べた。
自分の畑でとれたものを火であぶって醤油をかけるというシンプルなもの。
機能はとにかくあたりが多かった。
へぇ~い から~~~っ
ッてのが多かった。
ついでに種も多かった。
種の多さでちょっと秋を感じたってわけですよ。
とにかく、辛かったり秋を感じながらシシトウを頂きました。
おかげで酒の量が増えてしまいました。

とさ。
ふと、いまはなきKさんの話を思い出した。
彼がインドを旅してたとき、あるヨーロッパ人と仲良くなり、海苔を一切れあげたそうな。
それを彼は凄く気に入り、Kさんにほしいといったそうな。
なにをおもったかKさんは海苔というのは植物である。これを地面に埋めて毎日水をやると海苔がイッパイできると教えたそうな。
彼は毎日毎日水をやってたそうな。
海苔の木が芽を出したかどうかは誰も知らない。

朝起きて
トイレでふと外の音に耳をかたむけると
ツクツクボウシと
虫たちがコラボで
演奏会をしてました
秋ですね
豪雨の後涼しい日が続いています
ほんと すごしやすくなりました
ブログの調整も後もうちょっとでOKって感じです。
カレンダーをつくればいいのだろうと勝手に思っています。

さて、
昨日の午後は大雨というか豪雨、rain
バケツをひっくり返したような雨とはこれを言うんだろうと思わしていただきました。
それも一時間ぐらい降ってました。
ということで、
家の横を流れている用水があふれてしまい、その横にある道も川と化しました。
何軒か床下に水が入ったそうです。
でも、夕方にはすっかり雨じゃなく、水も引いてしまい、いつもの感じに。
月参りも豪雨のため中断してたんですが、水が引いたので、仕方なく、再会しました。
残念!weep

今日は昨日と違って良い天気、
八月前半の疲れもあってか、脱力感、
空気も秋のもの、そして空も
だからつきまいりをしながら秋を勝手に感じてました。
周りを見渡せば梨がいろみだし、農家の方は出荷作業に大忙し。
とにかく今秋を感じてます。

明日は多分暑いと歎いていることでしょう。

昨日、入棺のためそのお宅に坊守さんに運転してもらっていったのです。
あまり訪れたことのないお宅なのでおそるおそる行きました。葬儀の案内があることを確認してドアを開けようとするが鍵がかかっている、不思議に感じながらも呼び鈴を押すが、反応無し、もう一度圧しても反応無し、ちょっとどきどき。
頭の中で現状を把握整理する。
何故だ!
考えれるのは時間を間違えたか、場所を間違えたか、
時間を間違えたのならばおられるはすだし、先に行くという事はないだろう。
場所は確かに喪主さんの名前が書いてあるお宅だし、葬儀の案内塔がかかれている。
考えられる一つは入棺を葬儀会場でする、って事。
私の住むところは農村部で私のお寺が関係するお宅はほとんど農村部、そして一軒屋。
だから入棺はたいがい自宅。
でも能く能く思い出せば、昨日の打ち合わせで、すべて葬儀会場だって行ってたような気が知るし、児文でも何気なく書いていたような気がする。
っていうことで大あわてで葬儀会場に向かうことに、
途中遺族の人から電話があり、事情を正直に説明し、
予定時間の三十分おくれで会場に着く。ついてからは平然と儀式を執り行ったのですが、
心の中で、心臓がばくばくしてました。

久しぶりの大失敗で、
ご遺族の方に本当にご迷惑をおかけしてしまったわけです。
訳あってヨメハンが家を出ていたんですが、帰ってきてくれることになりました。
火曜日にどうも帰ってきてくれるようです。
その間、お寺の仕事、そして家事、
やってました。
私としてヨメハンのいない間、馬車馬のように働いていたつもりです。働いています。
間にお葬式、そしてお葬式のお手伝いが入りだいぶまいりましたけど、
やっと終わる日のめどがつきました。
専業主婦って凄いんだなぁと感心しました。
頭を切り換え、限られた時間内に色々やらなければいけない、
自分の時間のなさに気づかされました。
自分のしたいことが出来ないことにストレスを感じました。
ということは自分の時間を作ろうとすると誰かにしわ寄せがいってたって事かな。
多分専業主婦も大変だ、
まだ経験したことないし、これからも予定はないけど、
自分の好き勝手に生きることが一番楽な生活で、それ以外はやっぱ、なんやかんやで大変なんだ。
とにかく火曜日から兼業主夫の生活が終わります。

三男坊が耳の手術を終えて帰ってきます。
ヨメハンも付添を追えて帰ってきます。

まだ終わってないけど、あるいみよい経験でした。

今朝四男坊を保育所に送っていくと、四男坊と同じ年齢ぐらいの子が近寄ってきていっしょにあそびだした。当然会話は成立しない。
でも言葉?いや声を出して会話しているように見える。
そして楽しそうだ。
ふと、
言葉が通じないのに何がおもしろいんだろうと思ってしまった。
でも、この考え方は主に言語でコミュニケーションをとっているものの思いこみ。
そりゃぁ言葉が通じ合えばなおさらコミュニケーションがとりやすいのだろうけど、
声だけでも楽しくコミュニケーション取り合える。
ボディータッチだけでも結構楽しい。
猫や藺牟田値だって、言語は存在しなくてもちゃんとコミュニケーションしあってる。
人間とペットの間でも、

いろんなコミュニケーションの取り方があるのだろう
一つがダメでももう一つがある、ソレがダメでもまだあるさ

そんなことを今朝子ども達から教えられたような気がした。
最近急に畑をやっている人からカラスの被害がひどいという、悲鳴のような声を聞くようになった。
そういわれれてみるからだろうけど、やっぱカラスがよく目にはいる。
偏見だろうけど、ずるがしこそうに見える。
去年はカラスは黄色が嫌いだからといって、黄色の肥やし袋をぶら下げたり、黄色いビニールテープが貼られていた。
今年はそれをほとんどみない。
ソレは効かなくなったのか、効かなかったのか...
今年は黒色のゴミ袋みたいものがぶら下がっているのが目につく。
グロちゃんな所は、
ホンモノのカラスの死体をぶら下げてある。
これは以前から聞くといわれていたものだ。
頭がいいから見せしめなのだと。
カラスとの戦い、
昔からも続くし、これからも続くのだろう。
うちの次男坊は、
自分だけ損をするのが大嫌い、
「何で俺だけ!」
「何であいつ化け!」
「ひきょう~」
なんて言葉が毎日のように口からなだれ出てくる。

でも昨日お昼ご飯に民亜でおラーメンを食いにったら、
あいつザルラーメンとおにぎりを頼んだ。
おにぎりになすびの漬け物がついてきたのだけど、
これはみんなで食べるって行った。
もしかするとなすびの漬け物が嫌いなのかも知れないけど、
その漬け物を食べてないこれを知ってて、
最後の一個だけ残ると、
「これはお父さんのっ!」
っていってくれた。lovely
ちょっと涙が出そうだった。crying
俺だけ損をするのも嫌いだけど、
知った人が損をするのも嫌いみたい。

ちょっと見直した場面でした。
でもその後で何故か、そんなことでだまされてはいけないのだなんて思ってしまう、
疑い深く、業の深い私でした。
きょうひさしぶりにおかあさんといっしょをみた
そうすると私の好きな曲を歌ってた。
「ぼくときみ」って歌です。
蓮如さんの御遠忌テーマだった、
ばらばらでいっしょ、っていうことのイメージをふくらませてくれます、私は。
歌詞をみてください
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=S00924

歌詞を無料で検索表示する音楽トータルサイト/うたまっぷトップ
最近自転車が乗りにくかったんです。ママチャリなんですが、足が地面にいいのにつかなくて、設定したときにはちょうどだったのに...
でも今日、通販で買ったげたがようやく届き、早速履いて自転車に乗って月参りに行きました。
そうすると、自転車に乗ってもちゃんと足がつきます。乗りやすいジャン!
そっか、下駄のはがなくなって足が届かなかったんだな。
そういやぁ 下駄のは、1センチもなかったかも知れない。それが原因だったんだね。
俺の足が短くなったんじゃなかったんだ。
ちょっとホッとしました。

こんかいの下駄は全然かいかったところで購入しました。ここ発送の連絡や注文を受けとった連絡が無くて少しいやなんですが、
何といってもここの下駄の歯につけるゴムがお気に入りです。歯のすり減りが遅いし、音はしないけどちょっとはする。鼻緒も結構選べる。
そういうことでもう一度ここで買うことにしました。
昨日の夕方、
そして先ほど、
蝉の鳴き声を聞きました。
夏ですねぇ~impact
昨日おみやげにメッツゲライイケダのソーセージの詰め合わせを頂いた。
まだお店に行ったことはないんだけど、うちからめっちゃ近いところにあるお店、そこのものをおみやげにもらったんだけど、
昨晩早速、その中に入ってた牛肉の昆布〆を頂いた。beer
富山は何でもかんでも昆布〆かよ!なんて声が聞こえてくるかも知れないけど...
最近は竹の子、ワラビ、その他のものも実際昆布〆にしちゃうんだけど...lovely

話しは元に戻って、
美味しかったです。
といっても、ほとんど私の口には入らず、バカ息子たちが値段を考えず、がつがつ食べてました。実際いくらするか実は私もしりません。勝手に高いものだと想像してます。私の口に入ったのはホント数きれだけcrying
ここのお店は、どこやらで何とかという賞をもらったことのあるお店らしいです。

牛肉の昆布〆はネットでは販売してませんでしたけど、
今日からウインナーを肴にいっぱいやることになるんだろうなぁ~happy01beerbeer

当寺の祠堂経、そして隣の組のお寺での祠堂経法話、が合間無くあり、今日はちょっと休憩できそうです。coldsweats01
ブログ記事で絵文字を使えるようにしたので使ってみたくなってちょっとやってみました。絵文字自体をもう少し増やしたいと思っているんですが、そしてコメントでも使えればいいんですが、今試行錯誤中です。
crying
でも明日は組の三役会、その前にsun晴れれば次男坊のやきゅうの練習のつきあいです。rain雨だと休みです。
しなければ行けないこと、やりたいことがいっぱいです。
でも今日は何もしないと思います。


さっきいいおとなが
昔はよかった、とか
今の若いもんは...、とか
今のシャバはなんていう話をしていて
腹立たしく、
そして、そういう子どもを育てたのはだれた!
そういう社会をつくったのは誰だ、
なんて叫びたくなりましたが、我慢してました。

自己を問うということは
正義の味方にならないというか
なれない
ということかな

なんていうことをその場を我慢しながら考えさせていただきました。

来週の週末終えらで祠堂経をつとめるのだけど、
その準備をといろいろ頭の中で予定を立てるんですよ。
それがどんどん間に合わなくなっていくんです。
教務所の会議が結構は行ってきたり、
要員研のレポートがなかなか書けなかったり、
ナマクラ癖が出たり、
体が休みたいと行ったり、
...
いろいろ用事が入ってくるんです、っていうか用事を入れチャンです。
だから予定がホント絵に描いた餅状態。
予定は立派にいつも出来ているんだけど、なかなか実行できない。
いつものことなんです。
だから学習すればいいんだけど、
なかなかダメなんですよ。
今日もよくお世話いただいていたおばちゃんが亡くなり、葬儀を執り行うことになり、
また色々と日程調整をしたり、祠堂経の準備をしない理由になったりしていくんですワ!
そして何でこんなに思い通りならないのだと何故は腹が立ってくる。
どっかで思い通りに行くもんだって思いこんでるんですよね。おれ。
自分の人生で自分の思い通りになったためしそんなにないのに。
何か勘違いしてるんですよね、俺。
俺の思い通りに行くわけないとどっかで思ってるのに、またどっかで行くと思ってる。
変な俺ですワ!


真宗大谷派が男女同権の改正 男性の坊守を容認

2008年6月10日(asahi.com)

 真宗大谷派(本山・東本願寺)の宗議会(僧侶の議会)は10日、住職の妻の呼び名だった「坊守(ぼうもり)」を、女性住職の夫にも適用する寺院教会条例 改正案を賛成多数で可決した。約400年の歴史を持つ同派は96年に女性に住職の道を開いたが、住職の夫は坊守としていなかった。男性中心だった寺院運営 にも男女共同参画の流れが広がった形だ。

 坊守は寺で門徒の対応などにあたるほか、僧侶の資格があれば法要を営むこともある。今回の改正は、教えを広めることにも坊守が主体的にかかわるように定めた。同派の住職は昨年7月現在で7738人、このうち女性は約90人。

坊守が男性住職のツレアイの名称だったものが住職のツレアイを坊守ということになり、坊守に男性坊守が誕生することになった。
ある意味男女同権なんだろうけど...
住職ののツレアイを坊守という名称で呼ぶということだけであればあまり問題を私は感じないのだけど、「教えを広めることにも坊守が主体的にかかわるように定めた」とあり、坊守はどうも職分のようである。そして其の職分はその人がしたいとかしたくないという意志を無視されて自分のツレアイが住職の場合勝手にならされるわけですね。その人の信条、宗教、そういうものが問題とされない。自分の信じる宗教が違っていても真宗を広めるという仕事をしなくてはならない。
やっぱこれっておかしいよ。
ある意味憲法違反だよ!
職業選択の自由が保障されていません。
こんな制度おかしいよ!

なんていうことが男性坊守が誕生するということになって、改めて気づかせていただいたことです。
何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
(日本国憲法第22条第一項)
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今日は昨日と違ってお日さんがしっかり顔を出しています。
暖かくなりそうです、いやあつくなるかも。
朝ちょっと時間があったのでオクラを五本植えました。
それとトマトを何本か挿しときました。根がつくとうれしいです。

今日も次男坊と三男坊は練習試合です。同じ所に行きます。
予定では、三男のチームは二試合、次男のチームは一試合です。

私は今日は全然つきあえません。
上市のお寺まで祠堂経のお話しに伺います。
午前中のお話しは大体姿を現しているのですが、午後からの分は夜霧のようです。
こちらのどうなる事やら、車の中で考えます。
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今日は朝から雨です。

その中三男坊のやきゅうの練習試合がありました。
何故か私が審判に出させられ、
びちょびちょに濡れました。
子ども達は守っているときだけぬれますが、私はずっと外で立っていないと行けないので、ぬれっぱなしでした。
ちなみに三男坊の出番はありませんでした。
もう一つ天気が良ければ
三男坊と次男坊の試合、って感じだったんですが、雨で中止。
今から風呂に入って体を温め、
午後から次男坊の練習にいっしょに行ってきます。
昨日研修会を終え教務所でコーヒーを頂いていた
本棚をのぞき込んでいたら、
「災害と向かい合う宗教」
という題の本が目に入った。
中国ので自身があってなお目に映ったのだろうか、凄く気になった。
著者は、五百井さんだった。
五百井さんやんかと思ってもっと見てみると、出版元が、日本基督教団兵庫教区被災者生活支援・長田センターとなっていた。大谷派でないのかっていうちょっと残念な重いと、五百井さんのネットワークの深さを感じさせていただいた。

ちゃんと買わせていただきました。
優先度の高い順番で読まさせていただこうと思います。

でも私五百井さんと直接お会いしたことは多分ありません。
でもしっています、また何故か近親感があります。
今朝FMラジオを聞いていたら(クロス
スガシカオがゲストとして出ていた。
彼はどうも本名らしい、
ちょっとびっくり、結構びっくり、
さっそくウィキで調べてみると
菅 止戈男
と出てきた。納得、そんな漢字か~ ヘェ~~
スガさんなんだ、スガシさんでないんだ!
そして年代も結構近い
彼のこと何も知らなかったなぁ~、

TS3C0100.jpg

久しぶりに、純粋に話が聞きたくて講演会に足を運びました。
そんなに人の話を聞きに行く私ではないということもあるのですが、
また、聞きたいっていう思いがあってももう一つ、仕方ない、とか役職だからなぁ~っていうおも意が同居しながら人の話を聞きに行くことは、あるのですが、
今回は隣の教区の事業というか、富山別院の修復事業の一環というかそういう学習会に足を運びました。
阿満さんの話が聞きたいという思い出足を運びました。
彼の本を何冊か読み、といっても正確には一冊半ぐらいかな、
(読んでないやないか!)
凄く気になる人で一度生でお話が聞きたかったのです。
ということで足を運びました。
富山別院は富山藩の合寺令を縁として造られたお寺、別院です。...だそうです。
ということで講題は、宗教と政治でした。
初めてお顔を拝見してびっくりしたのですが、白髪の人でした。というのも、自分の中ではもうちょっと若い感じっていうか、白髪っていうイメージがありませんでした。
いろんな単語をメモしたのですが、
「政治と宗教というのは真逆なものだ」というような言葉が印象に残っています。政治は暴力であり抑圧それに対し宗教はじだというようなことをおっしゃっておられました。記憶が確かなら...
本当に念仏を大事にしておられる方だっていう感じを受けとりました。
だから真逆なんていうようなことをおっしゃられるんだとも思いました。
やっぱ親鸞法然の念仏に出会えばそういいきるのは当然という感じも私にはあるんですが...
でも宗教教団寺所属する僧侶としてはそうなんだけど...、なんていう思いも私にはあります。私の所属する宗教団体は法然親鸞の流れを間違いなく受け継いでいるのですが...
私の教団は、教団護持のため政治に寄り添っていった。教団の権威をというものを表現するために天皇制を利用していった。だから私はそういう歴史が頭にちらついて
宗教と政治は真逆なんて言い切れない。

それと阿満さんは凄く同朋会運動を評価されていると思った。
恥ずかしいぐらいだった。
誤解だっていいたいぐらいだった。
阿満さんの視点からいえば私も同朋会運動に関わっているものとして受け取られているんだとも感じた。私はそんな自覚は薄く、同朋会運動とは結構遠い存在で批判する存在としてある意味あるのだけど、

とにかく阿満さんの話が聞けたことがうれしかった。

宗教は慈悲、政治は抑圧といわれたけど、
真宗僧侶である俺、
子ども達には抑圧ばっかり、抑圧の中で何かを伝えようとしている。
そんな自分が情けなくも思った。
それをやめれそうにもない、そのことも情けない。

今日は長男の誕生日です、何歳かと聞かれると考えなければわからない、と言うか考えてもダメかも知れません、ダメ父ちゃんです。小学五年生になっています。
あやふやなんですが、十一歳かな?。ぅ~~ん
人のお言葉をかれれば、私も十一歳。長男の父親をさせてもらって...
ホントはしてやってっているなんていう言い方のほうがあたっているかも。
最近はがみがみ父ちゃんって感じです。
やきゅうの練習にいってもがみがみジジィ。
どこか、自分の思い通りに操ってやろう、なんていう思いに支配されています。

長男にはちょっと後ろめたいところがあります。
最初の子どもっていうところで気負いがめっちゃあって、いろんな思いがあって、
結局プレッシャーばかりかけていたような気がします。
実は長男は一年前ぐらいまでよく手をしゃぶっていました。
そういう姿を見てしゃぶるの病めっていえなくて、反対に申し訳ないっていう思いが先に来ていました。
でもその長男も親になれてくれたというか、だいぶ扱いやすい(?)感じになってきました。こういう言い方はしる礼な言い方なんでしょうが、
少しずついろんなことを聞くにしゃべってくれるようになってくれている感じです。
でも、もう少ししたラドン土は反抗期になるのかも知れないですが...
TOPに拡張なんと向き合うことによって、四人の子ども達と生活し、彼らを意識することで、いろんな自分に出会わせてもらっています。

ここ二週間ぐらい思うことがあって、次男坊のやきゅうの練習に大体最初から最後までいる。
自分が出来ることはそんなにないので、球拾いぐらいである。
今日初めて北電グランドの練習につきあった。
今日はこどもの日ということで、紅白戦とコーチ陣が決めたみたいだ。
自分のんきにじっくり息子のがんばりを見ておればいいのだろうって安心していると、
塁審をしてほしいとのこと。
俺そんなことしたことない、自信ない、
そんなこと言う暇もなく試合が始まった。
セカンドの塁審だったんだけど、どこに立っていいのやらわからず、ちんぷんかんぷん、
悩みながら、悩みながら、いつの間にか終了しました。

今京都に向うため高岡駅で列車を待っています。
気持ち寒いかなって感じです。
とにかく列車がくるまでまだ時間があります。
貨物列車が入ってきました。ガタゴンガタゴンと音を立てて入ってきました。何か懐かしい音です。
最近この音がなかなか聞くことができません。
むかしむかしちっちゃかった頃、たまに電車ごっこをして遊びました。そのときは当たり前のようにガタゴンと声に出して遊んでいました。
でも今電車に乗ってもガタゴンと余り音がしません。駅ぐらいです。これは電車の性能がよくなって静かになったのと、線路のつなぎ目がめっちゃ少なくなったからです。
なんて書き込んでいるうちに、すでにサンダーバードに乗り込み、もうすぐ富山県と石川県の県境です。

ハチドリのひとしずく いま、私にできることこの話しをたまにお説教で読まさせていただくことがあるんだけど、
最近ふと思ったことがある。
周りが火事だと気づけば逃げ回ったり、何とか火を消さなければなんて思うだろう。
火事に気づけば動きが起こる!
気づけなければどうもならない。
この世を生きている事実を山火事が起こっているなんて俺思って生きているだろうか。
のほほんと何とかなる差なんておきらくに生きてしまっている。
世の中平穏だと思って実際生きている。
そんなことないはずなんだろうけど。
私が人間として生きてることがずっと続くように思って生きているし、死ぬとしてもまだまだだと思って生きているのが実際。
逃げ回る森の動物よりたちが悪い私です。

聖火リレー、緊張の長野 コース変えず警備強化

2008年04月11日03時00分(asahi.com)

 国内では26日に長野市で予定されている北京五輪の聖火リレー。世界各地での混乱を受け、主催者側が神経をとがらせている。警備の強化から情報の管理徹底まで。波乱の火種を消していく作業に追われている。


オリンピック開催に向けて聖火が全国各地を回るようになったのはいつからなのだろうか。
その聖火が聖火としてみられていない感じがする。
今チベット問題に対して中国に非常に冷たい風が向けられている。
私の持っている情報の中では仕方がないことだし、中国がしっかり対応してもらわないとと言う思いは私は強く持っている。
そういうメッセージを込めて、聖火がねらわれたり、パレードがねらわれている。
これは行き過ぎのような感じもするし、こういう事が続くことによってもしかすると中国政府が態度を変化させるような気もする。
複雑な思いがある。
そもそもこういう事になると言うことは、聖火が聖なる火としてみられていないということがあるのだろう。聖火という名前の人しか見られていないっていうことだろう。大事な火ならやっぱそういうことは起こらないと私は思う。
ところで聖火ってなぜ聖火なの、何故聖なの?
オリンピックって私たちにとって何?
何で大事なの?
自分の中では全然明らかでない。
単なるイベント、単なる商用イベントとしか見えていない。
多分大事な歴史、オリンピックを大事にしてきた方々がたくさんおられたのだろう。
だらら続いているのだと思う、のだけど...
今教団では宗祖親鸞聖人の750回御遠忌に向かってよそ見をする暇なく猛進している。
その教団の中にいる私も当然としていつの間にか気になってくるし、気にしている。
最近御遠忌って何なんだろうって考える。
何故御遠忌を勤めるのか、何故50年ごとに大きな法要を勤めるのか、なんて考える。
御遠忌の忌という字は「いむ」という字だ、嫌うということになるのだろう。
宗祖がお亡くなりになり750年遠く経つことを嫌う、哀しむ。
そういう意味が一つ私はあると思う、っていうかそういうことが大事だと感じる。
釈迦如来かくれましまして
 二千余年になりたまう
 正像の二時はおわりにき
 如来の遺弟悲泣せよ
と言う正像末和讃の最初のうた
宗祖と仰ものが宗祖がかくれましまして750年経つことを悲泣する
宗祖に直接お会いできないことを悲しむことが一つ大事だと思う。

そしてもう一つ
像末五濁の世となりて
 釈迦の遺教かくれしむ
 弥陀の悲願ひろまりて
 念仏往生さかりなり
宗祖が亡くなられて750年経つけれども、でも、宗祖の教え、念佛の教えが今わたしの所に伝わってきている。750年かけて私の所に手から手へとリレーのように念佛が私の所に運び込まれていることを喜ぶ。教えが伝わっている事実を喜ぶことも大事だと思う。

悲しむだけでなく、でも喜ぶばかりでなく、
悲しみと喜び、この二つがバランス良く戴く必要があるのではないと思うんですよ。
喜びと悲しみが何故か同居しているみたいな感情が、私たちには大事なんではないかと。

今の教団の御遠忌は、何か喜び、を強調しすぎ、喜びを押しつけしすぎと私は感じています。
真宗門徒一人も無し
っていうか、
末法の確認、凡夫の確認というものを、
私たちの真宗大谷派は末法の世の凡夫が作る教団だったっていう確認をみんなでしていくことが大事だと...。
親鸞の教えを伝える教団なのだけど、親鸞の願いを伝えているのか、受け継いでいるのか、750年経ってどうなんだ。なんていう問いを私は御遠忌を迎えるというご縁でこのことを大事な問いと私もしていかなならんと思うし、教団もしていかなければならんと強く思うわけであります。

肩の痛みがまたひどくなっています。
原因に心当たりがあります。
実は今週の日曜日に我が家にWii(「Wiiリモコンジャケット」同梱)(アマゾンの段ボウルに入ってやってきた)がやってきたのです。
わざわざ買ったわけではなく、この間ひかり電話に変更したことの得点として送られてきました。
これはNTTのキャンペーンじゃなく、代理店のキャンペーンでした。
それでwiiを取り付けてゲームをダウンロードして、
あそんでいたのです。
誰にでもできる卓球のゲームをやっていたんですが、
おきらくピンポンっていうヤツ
結構真剣にリモコンを振っていて、どうも肩を痛めたというか痛みが復活してきました。
情けないことです。


Wii
年度末、年度初めでテレビでは番組が変わったり出演者が変わったりしている
今NHK富山放送局では「わかがえる」
なんていうコマーシャルをやっている。
ニュースのキャスターが変わるらしく
そのお知らせらしい
でも「わかがえる」なんていうのがちょっと気にくわない
事実今までのキャスターから比べると若いみたい
若返るのは間違いないんだけど...
だけどこの若返るキャンペーンが気にくわない
今までのキャスターに失礼だと思う
これからは若狭で行きます。
今までは年寄だったのがいけなかった
なんていうふうに私は聞えてくる
若いのが一番なんていう社会、もうやめにしない?
若いのもいいし、年寄もいい!なんていう感じが私は好きだ。

これからは若返ります、じゃなく、
今までの人にありがとうっていう感謝の気持ち
これが大事だと思う。
そういう気持ちがあったら、
これから若返ります
なんていう言葉は出てこないだろう。

やっぱり今NHK富山で流れている
若返るっていうコマーシャル
嫌いだ!
今日から四月ですね
富山県ではまだ桜の開花宣言が出ていませんが、先日太閤山に行ったとき桜が咲いているところもありました。
ここはあったかいとコロナのかなって勝手に思った次第です。

今日からおかあさんといっしょの歌のお姉さんとお兄さんが交代している。
朝他のテレビを見ていて出だしを見逃し途中から四男坊といっしょに見たんだけど、
歌声は、もうちょっとって感じかな。
声につやというか、まだはりがない。
まぁ当然のことなんだろうけど、
少しずつ良い声になってくると思う。
前のお姉さんより今のお姉さんの方が私的には好みだ、顔が。

朝ドラも今朝見たんだけど、まだ何ともいえませんね。
西田敏行がどう暴れてくれるのかなんていうところがおもしろくなるかならないかっていうところに『』になるのではなんて思ってみていました。

まだ政新番組になれません。


チベット情勢についての声明

 日本の伝統仏教界唯一の連合体である財団法人全日本仏教会および世界仏教徒連盟日本センターを代表し、現今のチベット情勢について、以下の通り表明いたします。
 全日本仏教会は世界仏教徒連盟の唯一の日本センターとして、世界仏教徒連盟に加盟する各センターとは、その所属する国家・地域の政治形態の如何に関わりなく、同じ仏・法・僧の帰依三宝の立場から対等な関係を築いてきました。その立場は今後も変わることはありません。
 ラサ市はチベット仏教の聖地です。今回、そのラサ市をはじめ中国各地において僧侶・市民と治安部隊の衝突により多くの死傷者が出ている深刻な事態に対 し、私たち日本の仏教徒は深く憂慮しています。関係者に対しては、暴力に訴えることなく、対話による問題解決の可能性を模索するよう強く求めます。
 なお、私たち日本の仏教徒は今後ともチベット情勢の推移を注視してまいります。 

 

合 掌

二〇〇八年三月十七日
財団法人全日本仏教会
理事長     安原 晃

全日本仏教会が美ベット問題に関して以上のように声明を出している。
正直物足りない声明だと思う。
非暴力などを訴えることは間違いないんだけど、
何故こういう状態になったのかっていう原因を明らかにした上での声明でなければ意味がないと思う。どちらにも非暴力を訴えることは間違いではないが、もう一つ踏み込んでほしい。
中国政府に対する配慮が感じられすぎる。
チベット民族と漢民族が共に歩める世界を!
チベット民族と漢民族の格差をやっぱり解消する方向に歩むしかないと、私は思う。
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