2011年12月16日

新年は何があってもめでたいのであ~る

郵便局が年賀状の受付を始めたとか何とか、
わたしはまだまだ年賀状に全く手が着いてない。
テレビを見ていると、来年の年賀状には、「おめでとう」という言葉を書かないという人が多いとか何とか、
わたしもここ数年年賀状にはおめでとうという言葉を書いていない。
それには、何で年が明けるとめでたいのかよく分からなかったし、正月どころではないという人もおられるからと思い、おめでとうの文字を書かないことが続いている。

多分今年も書かないだろうと思う。
でも、こういうときだからこそ今年は書こうかななんて言う気が少しわいている天邪鬼になっているわたしなのである。


でも新年はめでたいのだ、なんて言うことは何となく最近分かってきた。それが今私達はわかりにくくなっただけなんだろうと思う。

新年明けましておめでとうとは、言い換えればお誕生日おめでとうございます。とだいたいにた意味のだと言うことに最近気付いたんです。わたしは。
一つを年をとらしてもらいましたね。おめでとうございます。そういう意味なんですよね。

今歳の数え方は法律によって禁止されているというか、推奨されていない。
年齢に関する法律をまとめたことがあるので、これを見てみてください。

今年齢を満年齢で数えるので新年がめでたくなくなったって言っても良いのかもしれないですね。

新年明けましておめでとう、とは、また一つ歳をお互い年をとらせてもらいましたね。めでたいことです。ありがたいことです。
そういう意味なんです。
喪中だから新年の挨拶をしないというのはちょっと違うんだと思うんです。
喪中やろうが何だろうが、一つ歳をお他が年をとったことを喜ぶ。
一年生きさせていただき、また今年も生きさせて頂きます。
そういう事なんですよ。

だから、
新年明けましておめでとう
なんですよ。

わたしなりにもっと正確に言うなら、

新年明けましてありがとう

こういうこっちゃないですかね。

新年をお祝いする気になれないというのは大事な気持ちかも知れないですけどね。
いちゃならない言葉では決してない。

私はそう思います。

2011年12月 8日

親 ○ 会について

先日当寺において組の事業として、寺院運営講習会が開催された、手間は、カルトに学ぶ、講題は、親 ○ 会の現状と課題でした。
これから書くことは、イツモのごとく講師の方が言われたことではなく、その講義の中で自分が考えたこと、思ったことであります。あしからず。

自分の中で親 ○ 会というのは、カルト教団としてみてなかったと思う、今でもかもしれない。
異安心の宗団、なんていう感じて見ていたと思う。
だから、彼らは、と言うか、彼らの教祖が、もし、大谷派と関係していたら立ち上げなかっただろうなぁと言う、ノンキさで思っている、いた。
こういう評価は大谷派にとって、ほめ言葉なのか、どうなのか、そういう事も考えていかなければならないことだ。でも、そういう教団だからこそ、自分は、存在しているのだろうな。とは思う。

まぁ、ぁかれらは、反社会的な行為を目立っていしているわけでもない、また、社会を破壊しそうな教団だとも思えない。
ところでカルトって何なんだろう。
反社会的な教団というのなら、私達真宗教団もその中に入ることだろうし、入らなければいけないと思う。浄土を求める私達だから、今、浄土に生まれなければならない、今生きている社会について何らか疑問を持っているからこそ、浄土に生まれよう、と言う歩みが生まれるからである。しかし、浄土というのが、死んでから行くあの四的なものであるとするならばそういう事はいえないのかもしれない。

カルトかどうかと言うことを抜きにして、名前だけの教団ではないかと思うのは、宗教の名を借りて、お金儲けをしているそういう宗団だろう。そう言うのは許せない。

彼らも、話によるとお金を集めなければならないそうな。講師と言われる人たちは、念仏とときながら、自分の話に共感してくださった方々に対して、懇志をお願いするそうな。その金額は大変なものだそうだ。私達の教団も、ある意味集金はするけど、今は、信心の問題としてお金を集めたりはしないはず、そう信じたい。昔、信心の問題として、助成などから髪の毛を集め柱を立てるために毛綱を造ったそうだ。こういうやり方は問題なような気がするけど、今はそういう事はしてないと思う。

彼らは三願転入の論理を使い、お金を集めるらしい。

何かそのことが悲しい。

講師と言われる人たちも、三願転入を利用してお金を集めているなんて言うことに疑問を持ちもしていないだろう、間違いなく罪悪感はないだろう。だす方も、仕方ないことだと思っていることだろう。

みんな信心獲得のために、がんばっているんだろう。一生懸命なんだろう。その心を利用して、集金システムを確立している。

そのことが腹立たしい。
講師と言われる人々、や下部の信者さんにではない。
利用してお金儲けをしている人たちにだ。


彼らがもし、自分たちのことに気付き脱会したとしても、念佛を嫌いになってほしくはない。仏法を嫌いになってほしくはない。念佛の輩になり続けていてほしいものだ。


またこういう団体に多くの人たちがひっかからないためにも、私達もネットをもっと利用しなくてはならない、ネットでいろんな事アナウンスしていかなければいけない。そうしないと彼らがネットでアナウンスしている事しか。ネットでは見ることが出来ないからだ。そして彼らは自分たちのことを明らかにせず、偽名やありもしない団体を名告って、いろんな活動をしている。
私達もだからこそ、私達もネットでいろんな事をアナウンスしていかなければならないと思う。そういう事が新しい入信者を増やさない大事な手だと思う。

イツモながらまとまらない文章だし、何を書きたかったか分からない文章になってしまった。

お許しを

久々の書き込みでした。