2011年4月20日

御遠忌って何だろう?

被災地を思い念仏 東本願寺 親鸞750回遠忌法要始まる

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全国から集まった門信徒が御影堂を埋め、厳かに始まった真宗大谷派の御遠忌法要(19日午後1時5分、京都市下京区・東本願寺)
全国から集まった門信徒が御影堂を埋め、厳かに始まった真宗大谷派の御遠忌法要(19日午後1時5分、京都市下京区・東本願寺)

 真宗大谷派本山の東本願寺(京都市下京区)で19日、浄土真宗の宗祖親鸞をしのぶ750回御遠忌(ごえんき)法要が始まった。約5400人の門信徒が参拝し、東日本大震災の被災地に思いをはせながら念仏を唱えた。

 大谷派は3月の第1期遠忌法要を「被災者支援のつどい」に変更したため、今回が遠忌の幕開けとなった。

 御影(ごえい)堂には大規模な法要でのみ使う五色幕を新調してつり下げ、親鸞像の周囲には桜をあしらった「仏花(ぶっか)」を供えた。

 はじめに大谷暢顕門首が「震災によって生死無常の世界を生きている身の事実を知らしめられ、その中で御遠忌法要の仏事をおつとめするご縁をたまわった」と法要の意義を述べ、参列者が声を合わせて読経した。3月12日以降、全国から義援金約1億4千万円が寄せられ、被災地へ水や食料、毛布などの物資約35トンを送ったとの報告もあった。

 遠忌法要は28日まで。5月にも行う。


ようやくともいうべきなのだろうか、東本願寺で宗祖の御遠忌が始まったようだ。
中止になった第一期時にご縁のある方々と団体参拝する予定だったのが中止となったので、いろんなことを思う。
この間京都で集会があったときある方が、「御遠忌法要は専修念仏でないので、元々やる必要はない」なんていう発言をされていたことを今更ながら思い出す。私はそこまでも考えてないけど、発言に対して賛成もしたくない。どちらかという塗装であってほしくはない。と思うのである。
今回の大進大で御遠忌は基本的に「歌舞音曲を禁ず」ということらしい。その中で舞楽、雅楽がなくなっている。ひねくれている私は、正信偈は教えだけど、それに音曲をつけて歌っているけど、それはどうなの?なんて思ってしまう。
また御満座では七条袈裟の着用ということになっていたらしいけど、それも取りやめ。七条袈裟は派手な衣体なのだろうか?とも考えてしまうのである。
御遠忌は専修念仏ではないとの発言。すごく気になってます。でも、というか、とにかく、この発言を肯定したのが、大谷派の内局だと思う。だって、第一期を中止したのだから…華美なもの、歌舞音曲を取り除いて専修念仏に基づいたものだけにしようとしたら、何も、残らなかった。だから第一期を開催せずに中止したのだろうと、私は解釈する。
御遠忌法要自体純粋に専修念仏に基づく行事であるとは思わないし、あるべきだとも思わない。不純な私たちは純粋なものにどれだけ憧れるだろうか、なじめないと思う。ある程度華やかさが必要だと思う。楽しみ、祭りみたいなもの、そしてイベント的なことがあって当然のことだと思う。
でも、ご縁があって要らないものを取り除かなければならないとなったとき、何を残して何をなくすのか、雑行を棄てて本願に帰すという言葉に基づいて御遠忌からぞうぎょうをすてるとどうなるのか、そういうことを考えておく必要があったのだろう。

間違いなく今回、大震災を通しておまえ達にとって御遠忌とは何なのか!と強く問われていることだと思う。
私たちの観念として御遠忌法要とはいつもしない節譜や勤行をして、派手なイベントとしての法要をすることだと、思い込んでいただけなのではないだろうか。
本当に私たちにとって御遠忌法要とは何なんだろうか。
そう思うのです。

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