2011年4月20日

御遠忌って何だろう?

被災地を思い念仏 東本願寺 親鸞750回遠忌法要始まる

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全国から集まった門信徒が御影堂を埋め、厳かに始まった真宗大谷派の御遠忌法要(19日午後1時5分、京都市下京区・東本願寺)
全国から集まった門信徒が御影堂を埋め、厳かに始まった真宗大谷派の御遠忌法要(19日午後1時5分、京都市下京区・東本願寺)

 真宗大谷派本山の東本願寺(京都市下京区)で19日、浄土真宗の宗祖親鸞をしのぶ750回御遠忌(ごえんき)法要が始まった。約5400人の門信徒が参拝し、東日本大震災の被災地に思いをはせながら念仏を唱えた。

 大谷派は3月の第1期遠忌法要を「被災者支援のつどい」に変更したため、今回が遠忌の幕開けとなった。

 御影(ごえい)堂には大規模な法要でのみ使う五色幕を新調してつり下げ、親鸞像の周囲には桜をあしらった「仏花(ぶっか)」を供えた。

 はじめに大谷暢顕門首が「震災によって生死無常の世界を生きている身の事実を知らしめられ、その中で御遠忌法要の仏事をおつとめするご縁をたまわった」と法要の意義を述べ、参列者が声を合わせて読経した。3月12日以降、全国から義援金約1億4千万円が寄せられ、被災地へ水や食料、毛布などの物資約35トンを送ったとの報告もあった。

 遠忌法要は28日まで。5月にも行う。


ようやくともいうべきなのだろうか、東本願寺で宗祖の御遠忌が始まったようだ。
中止になった第一期時にご縁のある方々と団体参拝する予定だったのが中止となったので、いろんなことを思う。
この間京都で集会があったときある方が、「御遠忌法要は専修念仏でないので、元々やる必要はない」なんていう発言をされていたことを今更ながら思い出す。私はそこまでも考えてないけど、発言に対して賛成もしたくない。どちらかという塗装であってほしくはない。と思うのである。
今回の大進大で御遠忌は基本的に「歌舞音曲を禁ず」ということらしい。その中で舞楽、雅楽がなくなっている。ひねくれている私は、正信偈は教えだけど、それに音曲をつけて歌っているけど、それはどうなの?なんて思ってしまう。
また御満座では七条袈裟の着用ということになっていたらしいけど、それも取りやめ。七条袈裟は派手な衣体なのだろうか?とも考えてしまうのである。
御遠忌は専修念仏ではないとの発言。すごく気になってます。でも、というか、とにかく、この発言を肯定したのが、大谷派の内局だと思う。だって、第一期を中止したのだから…華美なもの、歌舞音曲を取り除いて専修念仏に基づいたものだけにしようとしたら、何も、残らなかった。だから第一期を開催せずに中止したのだろうと、私は解釈する。
御遠忌法要自体純粋に専修念仏に基づく行事であるとは思わないし、あるべきだとも思わない。不純な私たちは純粋なものにどれだけ憧れるだろうか、なじめないと思う。ある程度華やかさが必要だと思う。楽しみ、祭りみたいなもの、そしてイベント的なことがあって当然のことだと思う。
でも、ご縁があって要らないものを取り除かなければならないとなったとき、何を残して何をなくすのか、雑行を棄てて本願に帰すという言葉に基づいて御遠忌からぞうぎょうをすてるとどうなるのか、そういうことを考えておく必要があったのだろう。

間違いなく今回、大震災を通しておまえ達にとって御遠忌とは何なのか!と強く問われていることだと思う。
私たちの観念として御遠忌法要とはいつもしない節譜や勤行をして、派手なイベントとしての法要をすることだと、思い込んでいただけなのではないだろうか。
本当に私たちにとって御遠忌法要とは何なんだろうか。
そう思うのです。

2011年4月16日

ふるさと

ハンセン病回復者の方々は家族、名前、そしてふるさとを奪われた方々がほとんどだ。今もそうだ。過去形ではない。
その方々にふるさとをお返しするということは大切な運動だと思う。
そのためにはハンセン病もと患者の他科方が変わればいい、変化する必要があるわけでは絶対にない。
ふるさとに帰る、家族に帰る勇気もそんなにたいした問題ではないと思う。

変わるべきは私たちだ
ふるさとが変わるべきだ
ふるさとが変われば元患者さんも帰れるようになるし、家族へも帰れるし、その家族もふるさとへ帰ることができる。

私にとってふるさと問題とは、
自分があらゆる人にとってふるさとの人に変わることであり、自分の住んでいるところがあらゆる人にとってふるさとになりうる場に変わることだ、そう思った。
そしてそのことを誰か一人でも良いから伝えること。

そう思う。


将来構想? ちゃんちゃらおかしいぜ!

ハンセン病療養所の将来構想が問題になっているそうな。
厚労相は療養所に住んでいる方々にそのことをおまえらが考えろっていっているようだ。
唾を吐きたくなる。
考えなければならないのはどっちだ!

療養所の将来構想は、最後の一人まで、人間として療養所で生きることができる、そのことしかないと思う。

そのためにどうするのかは政府が考えるべきことなのではないだろうか。
経済的に苦しいので、こういうことをしたいと国が療養所の方々に打診するべきことだと思う。
私たちも一人ひとりが人間として生きていけるそのことを補償していかなければならない。
優先順位などあり得ない。
お金がどれだけかかっても仕方のないこと、
それが基本法の理念だと思う。

ハンセン病療養所の将来構想は、一人ひとりが人間として生きることのできる施設、それしかない。

「市民の皆さん御協力…」を考えた

全国交流集会で感じたこと第一弾です。
全療協を代表されて神さんが何度か発言された
その中でよくいわれた言葉が
「市民の皆さん御協力お願いします」
的な言葉

何となく抵抗を感じた。

違うなと思った。

私たちは協力するという無責任な立場で良いのだろうか。

厚労省を動かすには市民の関心が大切だとも仰った。
そうなんだろう、
だけど構造的に違うと思う

政府、厚労省には責任があって、市民には責任がないように聞こえて仕方がなかった。

ハンセン病問題をどうするのかというのは、政府だけの問題ではない、ましてやハンセン病回復者の皆さんだけの問題でもない。

「市民」たる私たちの責任をはっきりしなければ

差別した責任
そして無責任、無関心の中で結果として差別を助長した私たちの責任がしっかりあることだと思う。

神さんは「国」と対峙する姿勢がしっかり見えた、「国」という言葉を何度も言われた
その国という概念の中に私たちがいることだと思う。
国の中に政府と国民があること忘れてはならないと思う。

無関心という罪を何とか表現してゆきたいと思った。
政府だけが謝罪すればいいわけでない、「国」全体が心から謝罪する気持ちにならなければ…

2011年4月15日

一つだけ芽を出しました

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暖かい日が続いたおかげか、トウモロコシ一つだけ芽を出してくれました。
ビニールは薄様のビニールで覆ってあったので、なおさら暖かったのでしょう。
もっと大きくなり、もっと沢山目を出してくれたら植え替えです。

2011年4月14日

第八回真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会

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一人ひとりの京都宣言2011
 2011年4月、私たちは京都・東本願寺に集い、「人間に帰ろう一しんらんさんと考えるハンセン病問題-」のテーマのもと、ハンセン病問題のこれまでに向き合い、これからを考え、そして共に、この問題の全面解決に向けた道を歩み抜く決意をいたしました。
 本年は、「らい予防法」が廃止されて15年、その法律の持つ非道さを厳しく問うた「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」勝訴判決10年の年です。
 そして真宗大谷派にとっては、宗祖親鸞聖人七百五十目御遠忌法要を厳修する年であり、隔離政策への協力を謝罪し、教団あげてハンセン病問題に取り組んでいくことを表明して15年の節目の年となります。
 さらに東日本大震災の発生が、私たちに2011年を決して忘れることができない年とさせました。
 ハンセン病問題をめぐるこの15年は、ハンセン病回復者の声が市民に届き、そして国を動かす、まさに激動の時でした。その中で、ハンセン病問題基本法の制定など、「公の解放」は大きく進みました。しかし、そのことが本当に「一人の解放」につながっているのかと言えば、いまだに道は半ばです。
 東日本大震災の発生により交流集会の開催自体が危ぷまれる中、私たちが間いた声は「この問題は待ったなしなのです」という回復者の悲痛な叫びでした。その待ったなしという言葉には、まさにこれまでの取り組みの中で見えてきた課題のすべてがつまっていました。
 「予防法廃止がもう10年早ければ」「あと5歳若ければ」。隔離の被害者の方ノマのこの実感は、隔離の時間があまりにも長かったことを象徴するものです。
 今、私たちは「失った時間を取り戻す運動」をはじめなければなりません。
 「時間を取り戻す」、それは回復者の方ノマにとって、家族、故郷、名前、安心して生活するということ、それら奪われたあらゆるものを今、ふたたび取り戻す生き方をはじめることだと思います。私たちが選はなければならないのは、その生き方に共感し、「隣人として歩む」という自らの生き方ではないでしょうか。
 「時間を取り戻す運動」、それはまた隔離を容認してきた私たちが、そのことによって見失ってきた人間のありかたを回復する運動であり、善意や無知、無関心といった、共なる解放を阻害する「内なる壁を壊し続ける、壁を転じて扉とする運動」です。
 隔離とは、名が奪われるということにあらわされるように、その人の存在を無かったことにしてしまう恐るべき政策です。
 しかしそこには間違いなく隔離の中でいのちを生き抜いた人がいたのです。その人たちの、悲しみ、痛み、怒り、驚き、喜び、叫びは、隔離の中になお自分自身の存在をこの世に証ししようとするものでした。その願いに呼応し、その人が確かにそこに生きたということを、今度は私たちの方から証
ししていく営みを始めなければならないのではないでしょうか。
 この集会においてはっきりと私に届いた声、それは「私はここにいます」という声です。その声を間いたひとりの責任として、宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌をお勤めするこの年に、震災に向き合い、「ハンセン病問題を背負う」ことから、次の50年に向けたあらたな扉を開いていきたいと思います。
2011年4月14日
  第8回真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会 参加者一同


一人ひとりの京都宣言2011 「行動指針」
 「願いから動きへ」を理念として取り組んできたこれまでの活動を振り返るとき、そこには間違いなく「願い」にうながされて「動き」出した「ひとり」がいた。そしてそのひとりによって、新たに動き出す新たなひとりを生み出してきた。交流の輪が広がる中で実感したもの、それは私たちの活動は広がり続ける運動にしていかなければならないということである。さらにその広がりはハンセン病問題だけにとどまるものではない。他に起こる様ノマな問題について、この私を問い、この時代社会に問いかけることにつながる運動。まさしく終わりなき運動である。
 貴賤、浄稿の観念が渦巻き、戦争や飢餓によりいのちがそこなわれる、まさしく濁世の中で、聖人は、その底辺に生きる人だちとのつながりの上に、人と人とが互いのいのちを尊び合う世界を、念仏の教えに見出していかれた。そのような聖人の教えと生きざまに、私たちの取り組みのあり方を絶えず照らし、私一人の課題として、ハンセン病問題を背負っていくことを指針として、次の活動に取り組んでいく。
 ① 地域から孤立しない安心して暮らせる療養所へ
 療養所を、隔離の場所から、地域から孤立しない、入所者が本当に安心して暮らせる場所に生まれ変わらす。これは入所者にとって死活問題であり悲願でもある。平均年齢81歳超。もうこれ以上解決を先延ばしにすることは、絶対にあってはならない。そのための切り札として制定された「ハンセン病問題基本法」は、現在たなざらしにされている。私たちは、基本法の理念に基づいた取り組みを、あらためて強く国や地方自治体に求め、市民として、療養所が隔離の場所から、解放の場所となるよう取り組んでいきたい。

 ② 療養所退所者、非入所者が安心して暮らせる社会へ
 現在、確認されるだけでも全国に約1300名の退所者、約80名の非入所者がおられる。「ハンセン病問題基本法」では、国や地方公共団体が、退所者、非入所者に対する医療体制の整備と、日常生活、社会生活を円滑に営むことができるよう措置を講じることを定めている。しかし、法制定以降具体的施策を実施している地方自治体は皆無といってよい状態である。退所者のおかれている実態をよ<知り、偏見・差別の克服に向けて、啓発活動もふくめ、積極的な取り組みを行っていきたい。

 ③ ハンセン病回復者と家族、故郷との絆の回復に向けて
 この課題への取り組みは、ますハンセン病回復者、遺族・家族と、この問題に向き合っていこうとするものとの地道な交流から始まるのだと思う。そこで発せられる、一人ひとりの故郷や家族への叫びやささやきを聞きもらさす、それぞれの形での絆の回復に向けて取り組みを起こしていきたい。また、この課題を問い考える「揚」を絶えず開き続けていきたい。
 
 ④ 同朋会運動としてハンセン病問題に取り組む
 療養所を訪問する宗教者と、それを受け容れる入所者には「救うもの」と「救われるもの」という壁が存在した。その壁を突き崩し、扉と転ずることで、人間を非人間化させるものから共に解放されていく対等な関係を紡いでいく。まさしく一人の人間を同朋として見いだす、「われら」という世界を発見していく。それはそのまま、同朋会運動という名の取り組みといってよい。そのような運動を展開していきたい。
2011年4月14日
      第8回真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会 参加者一同

しばしお待ちを! もう少ししたら感じたことを書きとどめます。
大いに学びとてつもなく楽しい場でした。私にとってなぜかふるさとに帰ったような落ち着きがありました。スタッフの皆さまご苦労様でした。ありがとうございました。

2011年4月11日

たのむぞ、若い衆

昨日、法事の後のお斎の場で、仙台に今言っているんだという方と少し話しをしました。
道路の補修の工事をする会社にお勤めなそうで、今日は法事のために帰ってきたけど、還ってきてしまうともう行きたくなくなるって仰っておられました。
毎日食べるものはカップラーメンばかり、もう食べ飽きたって言っておられました。値上がりしているものも結構あるとも仰っておられました。
そして現場に出れば、すごい、の一言だそうです。
また、この間は福島の法にも生かされたそうです。
安全だから行ってこいと言われ、若いのでその方が行かされたそうですけど、
奥とおまえらなんて言う格好をしているのだ、防護服を着ろっていわれたそうです。
唖然としたそうです。安全と行ってたのに…って感じだったそうです。
そういう話しをしながらたらふく蟹やら寿司を食べておらえました。見事な食べっぷりでした。
しばらくまた食べられないもんね。といいながら色んなものを食べさせておられました。

たのむぞ!若い衆、

レトルトカレーやさんができるぐらい

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この間、その被災者支援のつどいで集まったお米とレトルトカレーの仕分けを昨晩ちょっとしていました。私が住職を務めるお寺で集めた分と併せてお米は、300kgちょっと越えるぐらいありました。レトルトカレーも、結構集まりました。色んなレトルトカレーがあるんだな~と種類別に仕分けしてました。
不謹慎かも知れないけど、これで一日か二日ぐらい晴れとるとカレーやさんができるのでは、なんていうことも思いました。
正直な話しこんなイッパイ集まるとは思ってもいませんでした。今の流行の言い方(?)でいえば想定外の集まり方でした。
それで問題が、これをどうやって本山に送るかっていうことです。
教務所は、御遠忌の団参のバスに乗せて持って行けばっていうんですけど、これだ化乗せたら参拝者の荷物乗りません。
どうしたもんだと思案中です。もっと資金のある組ならばこんなこと悩む必要ないんでしょうけど、ダメ元で支援本部にでも電話けようかとも思ってます。

2011年4月10日

俺、たまには褒められるんです

9日は在所にあるお宮さんの春祭り、獅子舞がいろんなところで舞われます。それを避けるように月参りをします。巻き込まれたくないので…
地域の役員をなさっておられるお宅が月参りの日でした、獅子舞が舞われるのはそのお宅は午前中だから、午後から行くことに、
そのお宅にいってやばいと、座敷に人影が、出直そうかと思いながらも、玄関に入った。ヤッパリ宴会中だった。出直そうかとお宅の人に聞いたら、な~んいいって。
親戚中でまいるのだと。
そして恐怖の一言が、おまえ飲んでけ!と
まだ仕事が残っているかといって断ろうと思ったのだけど、その方の声の勢いがあって、声なき声として、「俺んちの酒が飲めんのか!」と勝手に響きわたったた。
お参りが終わった後、遠慮なく一杯をよわれることに。
どう考えても俺だけ素面。温度差を感じます。
そういうことを感じながら話しを聞いてました。
話しがあっち行ったり戻ったり、おんなじこと言われたり、しながら、
でも褒められました。
おまえの説教これまで聞いたことなかったけど、○○さんちのお通夜に行っておまえが追って、喋っとった。はじめて聞いたと。
100点満点ではないけど、良かったと。中ぐらいだと。
良かったっていってくれました。
やっぱ褒められると嬉しいものですね。

本当はお通夜でお話しするの私苦手です。また法事の時も結構苦手です。
そしたらどういうときなら良いのか、といえば、別院などの定例です。これはハナしやすいです。機構という姿勢がありますし、聞き慣れた方が沢山おられるという思いがあってこっちにも甘えがでて、気楽に喋れます。

法事の時は、次のお斎のことが皆さん機になって、バスなどが止まる音など使用ものなら、ほとんどの方心ここにあらず状態。そういう状態で喋るのは心苦しく喋りづらいものです。

お通夜の時も、お通夜にお参りに来ただけで、話しを聞こうなんて思ってない、という視線を感じてしまう。近親者が船体の割合が多い場合もあるのですけど、そうでない場合は、喋りづらい空気が漂ってます。また真宗の門徒さんばかりではないし、宗教に関心のない方もおられる。変な宗教への固定概念をもっておられる方もおられる。
言葉に気を遣って喋らざるをえません。そういう意味で疲れるわけですよ、イツモよりは。誰に向かって喋ろうか、ということで迷いも生じます。
やっぱ、喋りにくいものです。

そういう喋りにくいところで喋った話しを聞いて褒めてもらったわけですから、うれしさ倍増です。
ただ、法事での話しを褒めてもらったことは全くありません。ここが課題ですかね。
褒められればいいというものではないですけど、
相手に届く話しをいつでもしたいものです。


近くのサイクリングロードに植えてある桜五分先ぐらいになりました。
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2011年4月 9日

近くのお宮さんの春祭り

今日9日は近くにあるお宮さんの春祭りです。
けっして在所の春祭りとはいいたくありません。正確にお宮さんのお祭りといいたい私なのでした。
春祭りに雅楽を入れるというので、動員されいってきました。,毎年のことなのですけどね。
ノリトの中では今回の大震災についてのことも述べられてました。しっかり聞き取れなかったのですけど、ただ、宮司さんが自分でお考えになられたのか、それともたたき台があるのか、そういうことに関心がいってました。
儀式が終わった後、地域の獅子舞保存会の方々が獅子舞をまかれました。
仕事柄常は遺伝の中にいたので、そこから写真を一枚。
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この後、獅子舞の方々は、在所を回ります。私のお寺にも獅子舞をされにきます。
天狗がいるということで、神事ではなく,仏事ということで、御容赦ください。
今日は小雨が降ってます。胴幕が重くなっていくと思います。本当にご苦労さんです。
友人知人を保存会に入ってます。
獅子舞は夜遅くまで舞われます。
昔みたいに一軒一軒舞うということはありませんけど…


桜満開?

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写真は昨日の夜家に帰る途中松川縁で撮ったものです、桜ヶ映ってるつもりです。ストロボ機能がないのでこんな写真しか撮れてませんでした。
昨日は、夕方、ハンセン病ふるさとネットと山の総会があるということで、富山東別院に行きました。
大遅刻でした。
実は今期から副なんやらになってたんですけど…
代表を務める藤野さんが昨年度までおられた富山の大学をお辞めになられ、4月から新潟の大学に行かれています。ということで、藤野さんは新潟からおおこしになられたようです。
総会の後記念講演があったのですが、代表の藤野さんがお話になられました。藤野さんのハンセン病問題との出会いについてお話しくださいました。

その後懇親会、場所を変えて、隣の富山西別院。
余談ですが、おもしろいことに富山の東別院は西側にあり、西別院は東側にあります。

そこでオードブルで一杯でした。
そこに藤野さんからのおみやげが、奥さんがお選びになられた笹団子を頂きました。
色々食べ歩かれて一番美味しかったものを選んでくださったようです。

藤野さんが富山におられなくなったということ大きなことですね。

藤野さんの残した足あとを特別記念物のように大事に保存していくのか、
彼が踏み出そうとしたであろう一歩を私たちが後をつけるのか、
問われていることでしょう。
足あとをしっかり残しとかないと、行き先がわかりません。
でも、大事にし過ぎると次の一歩が歩み出せないような機がします。



高岡教区第8組 被災者支援のつどい開催される

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以上のような行事が当寺でありました。元々親鸞聖人講座を開催することになってたんですが、名前だけを残してというか、冠として残しておいて被災者支援のつどいを開催したわけです。副組長である私が組長にお願いしてこうなったわけです。

本山では御遠忌が中止となって、「被災者支援のつどい」が開催されてました。私のお寺からも実は24日に参拝する予定だったのですけど、御遠忌でなくなったということで団体参拝を中止しました。
どうして御遠忌をやめて支援のつどいなのだという反感があったのですけど、ネットで支援のつどいが配信されるということで興味本位で見ていました。見ていてこういうことも大事だと思ったのです、支援も教えを危機ながら支援をするというスタイルがちょっと気に入りました。その中で、わざわざ本山に行って(動員かけて)勤めるものではないけど、地方においても、教区、組、そして末寺でもやるべきだと思うようになったわけです。

どれだけの方々がきていただけるのか、ということが結構不安でしたけど、
前日には、組内の住職さんが、総代さんにお願いしてもらってきたといって、米80kgと、買ってきたといってレトルトカレーを沢山持ってきてくれました。また他のお寺の方も持ってきてくれてました。
何となく嬉しく思いました。
当日20人ぐらいかなと思ってたんですけど、30名ほど住職、組門徒会の方々がきて管さっり、ホッとしました。義捐金をビックリする金額を持ってきてくれる人、お寺から預かってきてくれた、という人、米を沢山もってきてくれたひと、心一杯の方々が参加してくださいました。
当寺に縁のある方々も一度お米を支援のためと頂いている人もまたお米を持ってきてくださいました。
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正信偈をみんなでお勤めをして、
在所にある曹洞宗のお寺の住職さんが先月末支援物資を持って東北に行かれたということでその報告をしていただきました。
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阿弥陀さんに手を合わせ仏前でお話しさて手もらうことは本来ではないけど、こういうときだから宗派を越えて支援して行かなくてはならないときだから、といって、しっかりお話しをしていただきました。
ありがらいことです。心から感謝します。
その後、本山の支援のつどいに寄せられた高さんのメッセージを読ませてもらって、もらいその後渡しが話しを少しだけさせてもらいました。
震災という事実をどのように縁としていくのか、ということと、支援をしながら、私たちの支援する心を問うていかなければならない、小慈悲でしかない私たちの慈悲に悲しみ如来の大慈悲に少しでも知かずいていこうとする歩みが必要なのでは、ということを伝えたかったわけですが、同様に語れたか、殿様に伝わったのかということは別のことかも知れません。

思ったより沢山の方々が参加してくださり、また心一杯の物資を,義捐金を十八番比丘刺さったことに本当に嬉しく感じました。
また、支援したいと思っている方々はまだおられる、でも殿様な支援が良いのかわかっておられない方々が、まだまだいる、そういう方々のお手伝いが今回できたことだと思いました。そして、こういうことがお寺がどんどんしていっても良いのだとも思いました。
当寺ではまだまだ気長にごはんいっぱい運動をとりあえず今年の報恩講まで続けさせてもらうつもりです。

次男坊中学校入学式

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今月七日、次男坊の中学校の入学式があり行ってきました。
通り道桜が一つだけ咲いてました。
彼は入学が楽しみだったのか、学ランを朝早くから来ていました。七時半にはきてました。まだ、私は8時になってもパジャマ姿だったんですが…
全く緊張感なし、不安感なし、と私からは見えました。
頼もしいというか、そういう所がちょっと不安です。

今年から来られた校長の祝辞を聞いたのですが、結構分かり易い言葉で話しておられました。
共生ということを大事にしたいと、いじめの原因は他を認めないことだ、と仰っておられました。
頼もしく感じました。
またイツモだと、自転車通学は、交通安全教室が終わり、学校の許可が下りてからと言うのが例年だったのですが、なぜか次男坊の時代は、卒業式の次の日からもう乗ってきても良いと。
校長のエイコウかと、勝手に理解してます。
校長に期待し過ぎなのかな。
とにかく、楽しい中学校生活を送ってもらいたいものです。


2011年4月 6日

ホント久々に鍬を持つ

今日ジャガイモを植えました。
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一昨昨日、一昨日と昨年秋からそのままになってた、茄子などを植えた畝にかぶせてあったマルチをのんびりと外していました。
本当は一昨日のうちに耕耘機をかけてやろうと思ってたんですが、耕耘機に全くガソリンがなく、断念。
そして昨日の朝、ガゾリンは買ってこなくてもヨメハンの里からもらった、もしかしたら質が落ちてるガソリンがあるはずだと言うことで探して、耕耘機に注入。
ジャガイモだから浅く耕せばいいと思いつつもちょっと深めに耕やかしてしままってました。やり過ぎて疲れ次の作業に入れず、
そして今日ようやくジャガイモを植えることができました。
男爵9kg メークイン3kg
秋冬に何も植えてなかったので、ゆったりと植えることができました。

でも、


昨年秋、お寺の前庭をつぶして駐車場にして、その時にできた残土を畑に入れてもらったのだけど、その時はそんなに移徙がないという風に見えてたんだけど、雪が積もり解け改めてみてみると移徙だらけ、それも大きいのばっかり、これどうしようか思案中です、まぁ、移徙をずらしながら耕していくしかないのですけどね...(>_<)
ジャガイモを植えていたら色んな鳥の声がした。心が和んだ。
福島原発が大事故を起こしていることが夢幻のような感じがした。

でも、還相でも何でもない、源に起こっているのだ、信じれないあの事故が...

2011年4月 4日

 いかがでしょうか? 原発事故税

震災用の税金と言うことが何となく言われてるけど、
もう一つ原発事故の処理、補償に関する税金というものも必要な気がしてなりません。
東電が事故処理、補償するのが原則だけど、
各電力会社の原発一基に月いくらって感じや、原発の発電量に応じて各家庭などの使用電力に税金をかけると言うことが必要なのかな、なんて思ってます。
電気なしでは生きていけない、(正確に強いられてきたという表現が正しいのかも知れない)電気に頼りすぎた生活をしている私たちの責任として。
そして電力会社を選べることができるようになれば尚おもしろいと思う。
電気料金が上がり使用電力量が下がる。
そして電力会社がその中で選ぶことができるようになれば、徐々に原発が下がって行くと思うんですよ。

こんなアイディアいかがでしょうかね。

2011年4月 3日

選挙カーはトマトがお好き?

小ネタを一つ
午後からちょっと畑に出てました。本来ならしなければいけなかった夏野菜の後始末というか後片付け。全部は終わりませんでしたけど半分は終わりました。
四男坊が近居の分のようについて回りました。
今冨山県議会選挙中で選挙カーの絶叫が何度か聞こえた。
そん中四男坊が一言、、
選挙カーはトマト好きながかねぇ~
何でと聞くと、
お願いしますとばっか言っとるから
だって。
始め話しがつながらなかったんだけど、
四男坊の中には四男坊がだすきなトマトを食べたいときには「お願いします」と言わないといけないと思ってるらしい。
トマトが食べたいお願いします。といわせておったかも知れない。おれ

挙げ句の果て四男坊は、
もっとちゃんと言わならならんよね。トマト食べたいです。お願いします。ッて。

だって。

なんかとっても和んだ一瞬でした。


あともう一つ、四男坊はウチの近くに唐揚げやさんがあるという、
青い看板が上がっててミルクポットの絵が描いてあるヤツ。
私はローソンとか。コンビニと言っていますが、
そういうみせは四男坊にとっては唐揚げやさんらしい。いつもなにを買ってるかわかってしまいますね。

ばかばかしいお話しでした。

キカンバーハン

今ぼちぼちと震災支援のためつきまいりをしながらお米を集めてます。
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基本的にはお米しか集めていないのですが、これでもいいと集めていないものまで盛ってこられたり預けられたりする。何とかなりそうなものは一応預かることにして、預かってから引き受けてくれるところを探すと言うことになる。
今日はお金を預かった。一円玉、十円玉ばっかりだ。話しを聞くと三年か四年間で集めたそうな。この婆ちゃん、キカンバーハンというか強情な婆ちゃんです。でも最近歳を取ったせいか優しくなりにかかってる。でも、キカンバーちゃんです。そのバーちゃんがくれました。スーパー袋一杯に、重さで破けそうなぐらいくださいました。
私の住んでいる瀞子にはお寺が二つあり、なぜか二ヶ寺とも救援物資を集めてます。競うつもりも何もないんですか、そうなってます。支援しやすくなればいいかなと思ってます。多くの方がもうすでに募金をされていると思うのですが、わざわざお寺に持ってきてくださったり、月参りの時「これっ」て言って、渡してくださいます。こういうとき、お寺模すてたものじゃないと自画自賛するわけです。
話しは戻ってキカンバーハンがくれたのです。多分募金しようと思って貯めていたものでなく、自分のために間違いなく貯めていたもののはずです。それを今回思い切って私に託してくれました。24時間テレビで瓶一杯に持ってこられた募金を受け取るときに気持ちってこんなものかって、そう思いながら預かりました。自転車でお参りに行ったのです。ついでに四男坊を後ろに乗せてお参りに行ったのです。帰り重たかったです。有り難かったです。
やっぱキカンバーハン好きです。想定外のことしてくれるから、困らされることもあるけど、そうでないこともあるけど。ビックリさせてくれるそういう意味では好きです。腹の立つこともいっぱいあるけど...
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2011年4月 1日

春やってきてた

気づけば春がやってきてますね。
テレビのニュースでは高知では桜満開だとか...
私の家の蕎麦にはそんなに桜がないので、実感ないし、富山ではまだまだだと思う。
でも春を今日観じました。
それは通称SSの音です。響き渡ってました。
SSとはどんな略なのか全然判りませんが、農家の人たちがそうよんでます。
梨畑に農薬をまく赤い乗用の機械です。
轟音響き渡らせてました。今朝。
梨の収穫が終わってしばらくするとこの音が聞こえなくなります。そして春になると、農薬散布が始まるのです。二週間に一遍か三週間に一遍響き渡ります。
朝早くこの機会を使われることはないのですけど、私からしたら早朝にこの音がして、目が覚めるんですね。家の中にいても。
こういう音で春を感じてしまったわけです。
今日はその他に選挙カーの声がまだ美しい声で聞こえてました。
県議会議員選挙のようです。
今回は今まで以上に人柄と言うことでなく政策で、そしてどれだけ実行力があるのか、そういうことで投票しなければ、と思ってます。

とにかく春です。
そろそろジャガイモを植えなければ...