2010年2月26日
ここ数日暖かい日が続き畑の雪は99%無くなりました。
そこで先ほど、雨の富楼那か様子を見てきました。
あらゆるところ、モグラが暴れた後、
そしてタマネギを植えたはずのところには何にもありませんでした。
結構ショックでした。
今期初めて種からタマネギを育ててみたんですけど、種を蒔くのがめっちゃ遅すぎたと言うことがあって、まだ成長しきらないまま定植したのが原因だったのかな、それに今期の思わぬ積雪。ネギが溶けて行っちゃったかな。
でも苺、そして豆系は一応育ってます。そいつらの成長を楽しみに草むしりを楽しむしかないですね。
水がしっかり引いて、土が乾いたら
ジャガイモを植えようかと思います。
2010年2月24日
同朋新聞届く
昨日、sagawaの兄ちゃんが段ボール箱に入った同朋新聞を走って運んできてくれた。
同朋新聞というのは教団が毎月一回発行する新聞。
さっと見しました。
ふと、これって名前は新聞だけど、新聞じゃないよねと思ったんです。
どちらかと言えば、通信とか、工法って言うたぐいのもののような気がした。
date、記事的なこと、先月怒った教団内の出来事というものがほとんど無いんだもの。めーっせー時、コラム的なものばっかり、担当人数が少ないのだろうから、しかたないんだろうけど、なんか寂しいよね。
私はそう思う。
2010年2月23日
意外と...
昨日午後から連区の差別問題研修会に向けて、連区の代表者会議が開かれました。「自殺」とテーマにしていくと言うことを伝えたのですけど、案外と抵抗がなかった。自分のかなで結構、差別問題研修会で「自殺」をテーマにするのはいかがなものか、なんていう抵抗はあったのだけど、そういう抵抗感があったのは私だけ?チョッと拍子抜け、
自分の中では自殺について学ぶことは全く抵抗はないのですが、差別問題研修会で学ぶのはいかがなものなのか、という思いがあった。その中で、自殺と言うことを学ぶことによって、私たちがなぜ部落問題を学ぶのかという視点が明らかになる、なんて納得していた。自殺を防止するための学習会にとどまるのではイヤ、自殺という現象を見つめ直す学習会になればと思っています。
誰かの言葉だったような気がしますけど、自殺をさせてもらえない社会はいかがなものか、共私は思うのです。
有縁の方が自ら命を絶たれていくのは悲しいことで阻止したいことは間違いないことですけど、自殺防止対策がいつの間にか自殺する人を許さない、悪にしていくことが怖い。自殺願望者撲滅運動になっていくことが怖い。何でもかんでも防止防止となっていくこと自体が窮屈な社会であり、そのことが心の病になってしまい、結果自殺者が増えていくと思うわけ何です、私は。
その会議が終わり、数人でご飯を食べに行って、何を間違えたか、教区の合掌の練習に参加してしまいました。五線譜に書かれている(゚゚)~お玉杓子を見ると嫌悪感を感じてしまう私にとってはつらい時間でした。歌うこと、歌の練習をすることには何の抵抗はないのですけど、五線譜見ることがすごく圧迫眼があるわけです。つらくなってしまいます。義務教育での音楽教育のおかげだと思っています。
お玉杓子に気がとらわれて、休符が全く目に入らず、フライングばかりしてました。入るタイミングがわからないし、声を出さないということがわからない私でした。
2010年2月21日
久々に 一処
今日は久々に一処でなくて一緒に風呂に入りました。
誰かと言えば、それは...
次男坊です。
毎回のように四男坊とは風呂に入ってるのですけど、
次男坊とは半年ぶり?一年ぶりぐらいに風呂に入りました。
ただ、彼は、自分が入っている風呂が熱すぎるって、一時退散していきました。
でも、四男坊は当たり前のようにお風呂に入ってます。
兄ちゃんの入っていることを真似して、熱い、熱い、っていいながらも、風呂に入りながら楽しそうです。
それとは逆に次男坊は、本当に熱かったみたいです。四男坊が次男坊に風呂のお湯をかけたら真剣に逃げてました。
これってどういうこと!
おまえ、今までどんな風呂に入ってたんや。どんな温度の風呂に入ってたんや!
私からすると暖まりもしない風呂に今まで入ってたんやうな、ッて想像してしまします。
つい「このやろ~」となってしまいます。
お風呂が熱すぎて一処におれず、逃げていった次男坊でした。
2010年2月13日
感覚の違い
今日の雪、昨晩の降雪で横の道をホイールローダーが諸説してます。
その音を聞きつけてめっちゃ興奮気味のウチの四男坊、
そしてホイールローダーが除雪しているのをみて興奮パワーアップ。
うちの子は重機とか、ゴミ収集車、救急車、消防車みたいやつ、いわゆる働く車が大好き!
この間であった子ども、東京に住んでいて、おじいちゃんのお葬式のために冨山に来た子だったけど、雪をあまり見たこと無かったって言うこともあってか、除雪車が除雪するのがきらいだとか、雪を持っていかれるのがイヤんだとか。だから除雪車に向って「雪をっ持っていくな!」って怒ってたたらしい。親御さんに聞くと元もと働く車系はあまり好きでないとか。
おんなじ子どもだけど、除雪車への反応がこうまで違うのか。
おもしろい。
違うのがおもしろいね。
みんなちがってみんないい
っていうヤツですね。
2010年2月11日
井波別院巡回法座勤まる
昨日は井波別院の法宝物巡回法座が当寺で勤まりました。
昨日は自分的に気ぜわしくて、っていうか、四男坊がチョッと風邪気味で保育所を休み、私も少年野球父母会の作業をしていて、食事以外は全く顔を出せませんでした。
布教使は藤井さんでした。ここ数年続けてきていただいています。以前から親しくしてもらっていると言うこともあって、変な意味どんな話をされるのだろうって言う興味も湧いてきません。任せっきりです。
多分20名ほどのお参りだったんかな?
法座が終わる会やな、私は教務所へ、教区の正副組長会議があって昨年は休んだので、今年こそは出席しないといけないと思い、野球の練習の地気合いは休んで行ってきました。
教区お待ち受け法要の話し、そして御遠忌団体参拝の報告が主でした。
気が重くなってしまいます。
2010年2月 7日
遅ればせながら 節分を考える
もう過去のことと言ってもいい時期になりましたけど、ちょっと節分について...
節分衛について以前から気にはなっていたんですけど、《鬼は外》という言葉が中心に疑問を感じていました。
鬼はうちという言葉に代えればだいぶ問題は解消されるのかという感じで受け止めていたんです。
だけど...
テレビのニュースを見ていて考え直したんです。
節分の風景を知らせるニュースで
保育園児が鬼の格好をして鬼は外といって豆まきをしてました。
そのときは滑稽だとだけ感じてたのです。鬼が鬼払いしていると。
でもあの相が私たちだともあとから気づかさせてもらいました。
あの滑稽と感じる相が多分自分のことなのだろうと。
そう知っていくこと、頷くことが私たちにとって大切なこと。
燃してもう一つ、
鬼はうち、といって鬼と仲良くなっていくのも違うと考え出したんですよ。
嫌い鬼のまま、こわい鬼のまま鬼と出会うことこそ大切なんでしょうね。
こわい存在と、受け入れがたい存在都道で会うか、これが私たちにとって大事なことだと思うんです。
鬼が福を持ってくる存在にしても鬼が鬼でなくなってしまうんでないかな。
福も、悪もそれは私たちの計らいでしかない、自分の経験だけを元にしての感覚でしかないんです。


