2009年11月アーカイブ: ごぼはんのひとりごと

2009年11月30日

もう月末 来月は師走

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ここ最近金曜にの朝事に、今日もう金曜日、はえ~ と叫んでます。
なんかホント日の経つのが早く感じます。
でも充実感は全くありません。
その繰り返しでも雨月ます、そしてアスカ羅網十二月になってしまい、そして再来月は心念を迎えてしまいます。
一生過ぎやすし、それをなんとなく実感してます。
というわけでごぼはんだより179号を発行しました。よろしければご覧になってください
明後日その親鸞聖人講座でお話しをしなければいけないんですけど、全く準備できてません。
ちょっと危機感を感じてます。

2009年11月28日

僧侶というアイデンティティーからの解放

いろんな人のブログを読んだり、いろんな人の話を思い出したり、そして親鸞聖人の祥月命日を迎え、色々考えています。
っていうか、今日、黒部の方までごまんさんのお話しに行かなければいけないので話すことを考えているのですが...
親鸞さんは(官度)僧としてのアイデンティティーが流罪まであったんでないかななんて思ったんです。
法難によって僧籍を剥奪され、そして僧侶から解放の道を歩んでいったのかな、なんて何となく思っているんです。
宗祖は九歳の時に出家得度されたと言われています。
これに意義と称える知人がいて私は同調しています。
いくら慈円がいたからと言って九歳で毒度できるわけがないって思うのです。
そして、また比叡山に入寺してもすぐ得度するとは限らないのではと思うのです。大きなお寺には小坊主さんみたい人がいたと思うのです。アニメ一休さんのように、その人たちはお寺に入っていわゆる修行のようなことをしているけど、ホントに毒度できているのかと言えば、違うと思います。私の記憶が正しければ当寺官度僧として認めてもらうには、興福寺や、延暦寺の許可が要る、また官度僧と言うことは国家公務員なわけだから、そうたやすく小さい未成年の子どもが毒度できるとは限らない、得度はしてないけど、出家したという人も沢山いたのでは、そういう感じが宗祖九歳の時であったのではないかと思うのです。
それはともかく、とにかく訳あって宗祖は比叡山で出家したわけです。底での歩みは、帰る場もない宗祖としては僧侶として生きていくしなかったのでは、そこで僧侶として一生懸命生きていこうという志強き人だったのでは。
僧侶としての生き方、
僧侶としてあるべき姿、
そういうものをすごく追いかけられていた方だったんではないかと、
私は想像するのです。
多分成人して官度僧となった宗祖は、いわゆる立派な僧侶として生きていこうと一生懸命歩まれていたのではなかったのでしょうか。
そういうところで「大乗」と言うことが課題になったのでは。
ということで十九歳の時、
和国の教主なる聖徳太子のお墓にこもられ、「日域は大乗相応の地」という夢告を受けられたのではないのでしょうか。
大乗の僧侶として立派になろうという歩みの中で色んな課題が、悩みが湧いてこられた。
そして、志と我が身の現実のギャップを感じて行かれた、と思うのです。
そしてまた末法の世を悲しまれた。
その中で末法のための教えとしての念仏に気づかれていかれ、
29歳の時、十九歳の時汝が命根十余歳なるべしとお告げを頂いた命根尽きる歳に今一度聖徳太子ゆかりの地、六角堂に参籠され、念仏を選び取って行かれたような気がするのです。
まだまだ官度僧としての自負心、誇りのようなものを抱え込んでおられたのではないでしょうか。また、三十三歳の時、寿像を書き写すことと、選択集を書き写すことを許された宗祖は、ある意味言葉は悪いですが、有頂天だったのではないでしょうか。
これこそ末法の僧侶の歩むべきまことの路として浄土往生の道を歩んで行かれたことなのではないでしょうか。
片州に末法を生きる僧侶として順風満帆の歩みをされているとき、
法難に出会われ、流罪に処せられたともいえないでしょうか。
悔しくて悔しくて仕方の解雇とだったでしょう。流罪にあったこと、そして僧籍を取り上げられたこと。
だからこそ、
同じ念仏を称える僧侶である曇鸞が、梁の天子に菩薩と礼拝され、神鸞と呼ばれていた、ことと自分を比べられていたことでしょう。最初のウチは。何でオレは、ッて。
だけど、流罪の地で田舎の人々と出会うことによって、
僧籍を持つ持たないと言うことにこだわることのばからしさに気づいて行かれたことなのではないでしょうか。
僧侶として立派に生きていく歩みの中で、他を悪と見たり、害としてきた自分に気づいて行かれたのかも知れないと思うのです。
僧侶としてのしがらみから解放の道を歩んで行かれた。
僧侶として念仏を頂いてくのではなく、1人の人間として念仏と向き合っていく歩みに変化されて行かれたのではないでしょうか。それが流罪以後の宗祖の歩みではと思うのです。私は。


こんなような州ぞぞうを画いて今はいます。

結局まとまらない文章に、そして質の悪いフィクション作品みたいになってしまいましたけど、ちょっと、思っていることを文字に書き留めてみました。
これをもうちょっと整理していかなければいけないのかな。
まだまだひとりごとの域を全然超えてない文章でした。



2009年11月24日

御正忌法要勤める

昨日御正忌法要を勤めました。
御正忌法要は、「ごまんさん」「おしっちゅやはん」と私たちの所では呼ばれています。
本山報恩講御満座にあわせて、親鸞聖人の焼酎季語命日にあわせて勤める仏事を言うわけですが、
これは聞いた話しですが、
本来本山の報恩講は真宗門徒は必ずお参りしなければならないものだそうですが、本山から百里離れたところは特例としてお参りを免除されたそうです。しかし、在所の真宗のお寺に参りすると言うことが定めとしてあったというようなことを聞いたことがあります。ということで本山より百里以上離れたところにある真宗のお寺は本山の御満座にあわせて仏事を勤めなければいけない、ということのようです。始まりは。
そういうことで当寺も御正忌、をお勤めしているわけです。本来なら28日に勤めるべきものなのですが、当寺では尼講とあわせてつとめているということもあって、本山報恩講中の日曜日、もしくは休日、すなわち勤労感謝の日に最近勤めるようになったわけです。
私の色んな都合があって日を変更してしまっていると言うことです。

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在所の尼講の方々がお斎の接待をしてくださっています。
今は尼講の方々がお斎の接待をしてくださると言うことがあるから御正忌に多くの方がお参り肉手管さています。ありがたいことです。
御正忌は数少ない住職が当寺で法話をします。当寺では。
正直知った顔が勢揃いしたところで話すのは何ともいえず話しにくいものです。
最近視力が落ちてはっきり参詣席にお座りの方々のお顔がわからなくなって少し楽になったような気がします。詳細な反応がわからないという面で。でも視力が悪い中でも輪郭でこれはあの人やってわかるのですよね。
そういう意味では何ら変わりません。
最近は昔の思いと違って、お勤め中心にしてしまっている私です。
お念仏が称えるようになったら信心をもってお念仏しましょう、
御身人の点検をいたしましょう、報恩講なんだから。
っていうような話しをさせていただきました。
よく考えれば御俗姓に基づいてお話しさせていただいたということになるのですかね。

とにかく今年最後の年中行事が終了しました。

後余裕があれば年末ちょっと前におやこのつどいが出来ればと思っています。
まだ予定ですけどね。

2009年11月22日

昨日、四男坊三歳に!

昨日は四男坊の誕生日でした。
色んなことあって盛大にお祝いを!っていうわけにはいかず、
ファミレスで食事をして家に帰ってから誕生ケーキを食べた、というわけです。
携帯百景(ケイタイヒャッケイ)
私は食べたいものがなったっていうか、夕方までhoujiして飲んでたので、食欲ほとんどなし状態でしたので、ビールとおつまみでおいわしました。
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ケーキを前に記念撮影です。
写真を撮ってると、長男坊が、「みんなで写真取らんが~」と言いだし、私はちょっとビックリ、
忘れていたことにビックリというか長男の言葉にビックリ、でした。
いつも誕生日ごとにきょうだいの集合写真を撮っていても、なかなか非協力的に最近はなった長男、そいつが、そういうんですから、
なんやかんやシッカリしてるやん、思いやりあるやん、なんて感心しました。
長男のリクエスト通りきょうだいの集合写真を撮りました。
ひとつ失敗、作ってもらったケーキの写真を撮るのをすっかり忘れてました。、これアンパンマンなんですよ、目などが見えてませんけど、あるんです、眼も。
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そしてもう一つ、長男坊は用事で席を外していた母親を気遣い、弟たちとケーキを食べるのを遠慮してました。母親が戻ってからケーキを食べるって、格好いいこと言ってました。
私は、いろんなことが気になり、ケーキは切れ端って言うかナイフについたクリームを少しなめさせていただいただけでした。
最近のケーキはクリーム、そんなあまくないって言うのが常識になりましたね。

2009年11月19日

まもなく四男坊、三歳

今週末うちの四男坊が三歳になる。
ふと考えることがある、四男坊の時だけではなく、すべて息子が三歳になるとき思っていたことなんだけど、
俺の父親が亡くなったのは今から40年ぐらい前、自分が三歳になる前、数えの四歳になったその日に亡くなったそうな。
自分のの父親は自分が三歳になった時を迎えずこの世の生を終えていった、っていうことになる。
かわいくてしかたない、我が息子達、
特に三歳の時っていうのはどの子もかわいい。
そういう状態で俺の父親はなくなっていったんだろうな。
なんていう風に、
親心を同じ立場になって察するわけなんですよ。
おまえ達は幸せだ!
いやオレは幸せなんだろうな、ッて。
それと同時に父親の無念さを想像する
自分は父親にとってはだいぶ遅い子、そして望みに望んだ男だった。
当寺の概念からすると男が生まれて一人前、立派な跡継ぎが生まれた、そういうことになるのだろう。
そういうところで止んで往き、この世の生を終えていく、
無念だったろうな、ッて想像する。
どんな思いで我が子、オレを見てたんだろう

父親がいないことが当たり前で育ったオレ、
反対に父親がいて当たり前で育っている我が息子達

なんかいろんなことを思う訳なんですよ。

......

2009年11月18日

ローカルルール

もうすこしで寺院方の報恩講が本年分終わります。
結構、気が楽になってます。
実は気が楽なのはこれだけが原因ではないのですけど、多分最後の方にもう一つの理由を主因とも言うべき理由を書くと思います。
ところで、
報恩講にまつわる富山独特のルールがあります。
ひとつには、報恩講の時住職世奇なるものが作られる。
といっても特別なものが作られるというわけではなく、住職はここに座りなさいという指定席があるということなんですけど...
翠簾の間がある方の余間といえばいいのか、下の余間といえばよいのか、平生法名が安置してある方の余間っていえばいいのか、とにかく底の内陣に近い方で参詣席側に住職が座ることになってます。
住職は内陣に出仕せずに余間に座っては勤行を拝聴するものだということが言い伝えられています。
このことを知人に話ししたら差別的だといわれました。私は全然そうは感じてなかったのに。
報恩講は勤めてもらうもの、という意識が私たちにはあります。
大寺下寺っていうことがしっかりしていた、ということがひとつの原因なのでしょうけど...
報恩講は住職がお勤めするものではなく、お手次ぎのお寺さんや、近隣のお寺さんに勤めて頂き住職は余間に座って拝聴するものだ、ということなのです。
お手次ぎのお寺っていうのは、いわゆるアイジョウコウっていっている寺院のことなのですけど。
報恩講は(おれが)勤めるものではなく、勤めていただくもの、拝聴するもの、そういうことを教えていただく大事な伝統だと私は思ってます。

もう一つは住職焼香というのがローカルルールとして伝統されています。
本山によると勤行するときに焼香をしなければならないのは調声人である、と主張されるのですけど、富山では勤行での焼香は住職がするものだと思われています。
だから本山の意識でいえば、勤行中前に焼香する、または合掌中に焼香するのは代香なのだと、
だから焼香するヒトは御代前前から中啓数珠をもたずに現れ中尊前で焼香をする。当然代行なのでイッサツ、一回する。っていうことになります。
でも富山では基本的に焼香をするのは住職なのだと思われていますので、代行でなく、本人、すなわち住職がする場合も有り得ることになります。そういうときは御門主が本山で焼香するような作法になります。
祖師前から中啓珠をもって現れ、焼香もニサツ、二回して終わりに蹲踞礼るっていう作法が存在してます。
私はこれはあまり好きでないので、っていうか本山の考え方を指示するので、住職である私が焼香するときは、住職焼香ではなく、代香としての作法をやります。

そしてもう一つ、
最初に述べたように報恩講では内陣出仕するのは住職以外となりますので、登高座があったとしても住職はしません。登高座をするのは基本的にはお手次ぎさんということになるのです。本来自坊で登高座するのは許可されていますけど、他のお寺でする場合は許可が要ります。伝授師なるヒトに作法を伝授していただき、許状を授かりそのものだけが出来る、というのが当派での常識です。
だけど、富山ではそうではありません。アイジョウコウのお寺では出来るという意識があるのです。

ということで、本当はここから本題、
今日は私が所属するお鱈がお手次ぎ寺になっているお寺の報恩講の御満座が勤まる日なのです。ですから登高座を私がしなければならない、ということなんですけど、
今回住職が交代して、継承式を報恩講の御満座とあわせてつとめたいということになり、私は登高座をすることから解放されたのです。
免れたのでホッとしてます。
元もと作法を覚えていない、
そして登高座という作法、そして報恩講私記、嘆徳文を拝読するという義気に抵抗感を感じている私なので、立場上しなくてはなりませんけど、気が乗らないことなのです。
気の進まないことをしなくてもよいということで本当開放感に満たされてます。
今日は報恩講を楽しんで行ってこようと思います。
るんるん

2009年11月16日

ダッシュしていきます!今月後半

気づけばもう十一月の後半に突入、
私が所属しているお寺の報恩講が月初めに終わるやいなや、年下の友人が事故死。
ショックショックで...
気づけば今日になりました。
その間にも次男坊の野球の件で、来年六年生ということで役員選定でもやもや、
結局父母会長とかいうものを引き受けるけど、自分でいいのだろうか、自分が出来るだろうか、と不安続出
その中で自分は何が出来るかとまた思案。
今月後半、予定表はぎっしり、
お寺型の報恩講、会議、法事、お説教、色々書いてありますわ。
思うようにはならんやろけど、なるようにしかならん。
まっぁ、突っ走るしかありません。
色んなコト引きずったままで行くしかない。

2009年11月 9日

ご苦労様でした

今日午後からタマネギを植え付けるための畝を作りました。
ヘラスマ(昼寝)をちょっとし過ぎて起きてビックリすぐに野良仕事の準備をしたわけですわ
焦りながら準備をしたので、耕耘機のエンジンをかけようと思ってもなかなかかからない。
原因がわからず色々無意味なことをして、やっともしやガス欠かと思いガソリンを入れてエンジンを回すとちゃんとかかるではないですか!
何事もあわてないのが一番ですね。
無駄な時間をちょっと過ごしてしまいなおさら画業にかかる時間がかかり、二列畝を作るとそろそろ空が暗くなり始めていました。
後片付けをして、後耕耘機を元に戻し、耕耘機の管に入ってるガソリンをぬき。ガソリンに向って「お疲れさん」と声をかけてやりました。
だって、これが多分今年最後の耕耘機の出番でしょうから。
次は多分ジャガイモを植えるときに必要となることでしょう。
一年間本当にありがと、耕耘機ちゃん。
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昨日はちょっと冬支度

昨日はご門徒の方々に出てきていただいて、冬支度をいたしました。
昨日は皆さんご都合が合わなかったと言うことと、今日のお参りが少なかったということで、私も作業に参加しました。
本堂前に往きよけの三角屋根、そして目立つところに気にユキツリを施しました。
縄の結び方がよくわからず誰か教えて~って感じでした。
だから適当縛り、見たらすぐにオレのだってわかります。
ちょっとなれないことをして疲れが出ました。
とさ。
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アイホンから撮影

2009年11月 4日

現実から目をそらす

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何か色々すっきりしなくて、
悶々しちゃって、
ついついこういうものを買ってしまいました。
携帯替えようと思ってたんだけど
イヤなことを忘れたくて
アイフォンを買っちゃいました。
色々いじってます、今も、
その中で感じたことは、
これは携帯電話だっていうより、PDAとか、モバイルパソコンに電話機能がついたものって感じですね。
そういう意味で結構仕事でも使おうと主絵が使えそうだし、遊びにも結構使えそうな感じです。
結局目をそらしたい現実から眼をそらす道具に使いそうです。
目を向けなければならないこともっとあるのに。
気にしなければならないこといっぱいあるのに。
そっちには上手に見ないようにしてしまってます、我ながら。

昨日報恩講の助音に出かけてたんですけど、
底に法話に京都の方からご厚志様が来ておられました。初めて知ったのですがその人のツレアイは高岡の人なんだって。
その人が言ってたけど、
人間の死亡率は100パーセントなんだって。

なんか頷いちゃった。
当たり前のことなんだけど、実感として感じてないオレ。

生死いずべき道と言うことを
長生きがいい。短命がいいというトラワレから解放されること、
なんてようなことも言っておられた。
さすが宗門の大学の教授だと思った。

そして大学の教授にしては、人を笑わせながらちくりちくりと仰っておられた。
それにも関心。
オレには無理だと思った。あんなに人を笑わせながらちくりちくりという才能は私にはない。
暖かいところに住む人の特権かと、偏見的に思ったりもした。

真似する必要もないし、僻む必要もないんだけど、ついつい比べて色々思ってしまうオレ。
自分の出来ることを出来るようにすればいいんだけど。


今日は友人のお通夜です。
同世代の友の死、なんかきついっす。
それを紛らわすのにアイフォン勝買ってアイホンいじってる自分です。

2009年11月 2日

報恩講終える

昨日当寺の今年度報恩講を終了しました。
小学校の学習発表会など色々日程が重なったようで、平年よりは参詣くださった方は少なかったです。
色んな行事が重なる中、わざわざ足を運びお参りくださった方、また思いはあったけど来れなかった方に感謝感謝。です。
ついでに開催日が土曜に日曜日となったということで、僧侶の御参勤も少なかったです。これも仕方のないことです。
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今月も発行しました ごぼはんだより

ごぼはんだよりを今月も発行しました。昨日まで報恩講と勤めていたと言うことがあって、二日付の発行です。
よろしければご覧になってください。
文章はほとんど、意や全くなく、写真が中心です。
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昨晩友人の急な死の知らせが入り、脱力です。
心臓バクバク状態になり、寝たような寝てないような...
諸行無常、という常を目の当たりにさせられた感じです。
突きつけられたという言い方の方が近いかな。

2009年11月 1日

報恩講初日終える

昨日報恩講初日を迎えました。といって二日間、一昼夜しか勤めないわけですが...
一昨日、一昨昨日と報恩講の法話を急きょ引き受け、そして当日午前に法事を済ませて報恩講を迎えました。
一昨日の夕方、友人と、いとこが準備を手伝いに来てくれたりして何とか迎えることが出来ました。
始まってしまえばこっちのもので、あっという間に初日を終えました。
昨晩はおやこのつどいを中止したので、今朝結構からだが楽です。
インフルエンザのこと、そして思っていた準備が間に合いそうになかった、というkトがあって中止したのですけど、しなかったらこれだけからだが楽なのかと今実感してます。
だからといって来年はしないというわけではないですけどね。
小間御仏飯を焚いています。あと7分で猛るよって炊飯器が言ってます。
今日一日報恩講を楽しみます。