2009年10月アーカイブ: ごぼはんのひとりごと

2009年10月21日

お道具磨き

今日午前中、在所の尼講の方々により、お道具磨きをしていただきました。
三十名ほどの方が参加してくださいました。
今は、磨き粉で磨くことが少なくり、界面活性剤につけて汚れを落としていくという形になっているので、お磨きというよりは洗うって言う表現の方が正しくなりつつあります。
お磨きが終わった後阿弥陀さんの前に磨き立ての三具足にお花とお光りをお供えして、皆さんで正信偈のお勤めをしました。お政治ではないですが、三具足がいっそう輝いて見えてました。
いつもながら、ああでもない、こうでもないと仰られながら、わいわい賄がやがやと楽しそうな時間を過ごしておられて、お寺を管理するものとしては嬉しいことです。
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正信偈のお勤めが終わった後は庫裡座敷でお茶を頂いて行かれました。底でもわいわいがやがや、本当に楽しそうです。
毎年は菜に千両のお寿司にしていたのですが、今年は笹寿司にしてみました。
お味はいかがでしたでしょうか。とちょっと心配です。
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2009年10月20日

人権感覚の薄さ? インフルエンザ関係

私の住むところではインフルエンザが流行ってます。っていうか、息子達が通う学校で大流行のようです。
そういうことでいろんなところが敏感になっているというか、私からしたら過剰反応のようにも感じられることがあります。
小学校に隣接している保育所、今四男坊はみんな家にいるので通わしていません。
その前まで、保育所に入るやいなや、息子がアルコール消毒させられていました。
そして今日、聞いた話しなのですが、
知り合いで、
兄姉が発熱したと言うことが知られると、子供は事務所預かり、発熱した子がインフルエンザの反応テストがはっきり出るまでの処置だそうで、そのこの兄姉がでたので、そのまま還らされたそうです。
そしてもう1人、これは聞いた話し。
朝子どもを保育所に預け、その日は園外保育で、シルエットシアターを見に行ったそうです。
しかし、そのお兄ちゃんが発熱して学校から帰らされてインフルの反応が出たと知るやいなや、その子を迎えにシルエットシアターを見ているところまで迎えに行かされたそうです。
ホント、冤罪のような話し。
二人とも発熱も、ましてやインフルの反応は出ていないのです。ただ、兄弟姉妹の中にでたというだけですぐさま還らされる。
これはいかがなものかと思う。
ある意味管理者としてやっていることはわかるのですよ。
保育所の中にインフルエンザ菌を入れたくないって言うことは、
だけど、
連れ戻されたり、事務所で待たされたこの気持ちなんかを考えると、行き過ぎでないのかなんて私は思う。
そして聞いた話しだけど、明日以降保育を希望するのならインフルエンザの検査をしてかかっていないって言う証明書を書いてきてもらえとのこと、
もうあきれました。
だって、熱が出ないとなかなかその検査反応しないらしいじゃないですか!
だから平熱でその検査をしてもあまり意味がないと私は聞いてる、そういう検査をしてこいって言うことはどういうこと、
単なる責任逃れとしか言いようがないと思う。
管理者として安心がほしいだけ、
そう思ってしまう。
これは過剰反応でしかないと私は思う。
子どもにマスクをずっとしていてというのは無理だということはわかるけど、
だから預からない、というのはいかがなものだろうか。
麻原彰晃の子どもが学校に通わせてもらえないのとおんなじ現象としか私は思えない。
私の子どもがそういう対応されたら、間違いなく、苦情ものというか、意見を言いにいくだろうな。問題にするだろうな。

こういう感染する病気は感染した人を隔離するのが一番よいと言うことはわかる。よいというか、これ以上広がらないために跛行するしかないと言うことはわかる。
でも、隔離されている人の気持ちということをおもんばからなければホント失礼なことだと思う。
こういうことがハンセン病問題などを学んだ中で得ることが出来た感覚なのかな。

報恩講案内札あげる

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ようやくと表現した方がいいぐらい、せっぱ詰まって報恩講の案内札をあげました。
今月末には報恩講が始まるというのにほとんど今年は何も出来てません。
今月何をしてたんだろうって言うくらい何も出来てません。
報恩講直前に費にも報恩講の法話の仕事を受けてしまったし、
どうなることやらと今から心配が絶好調です。
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明日はお道具磨きです。

2009年10月19日

畑 覚え書き (秋)

この間の日曜日お参りの時に聞いといたことここにメモっとく、
キヌサヤは10月20日過ぎに種を植える!

わすれそう

もう一つ、
トマト、
はじめは畝には肥やしを与えない、元肥なし。、花を持つ頃に肥やしをやらないとダメ、だって。

やっぱ、本を読んで勉強するより、近所の人に聞くのがよい。楽!

2009年10月17日

マスク着用で

今息子達の通う小学校で、インフルエンザが流行し始めてます。長男と三男のクラス、というか一学年一学級しかないので、来週は学年が学年閉鎖となりました。
というわけで本日より、月参りに行くときマスクを着用してます。
これはもらわないと言うことよりも私が運び屋にならないようにという思いが強くてです。
実は、じつは、
長男、インフルエンザのA型と判断されたからです。
私はまだ発病してませんけど、
キャリアになっている可能性大。
だから、運び屋にはならないぞ!ということです。
でも、
使っているマスクは、ウイルス対応にはなってません。よく見ると。
花粉埃は九十数パーセント除去とは書いてありましたけど、ウイルスって言う字は全く書いてありませんでした。
だけど、想像だけど、50パーセントぐらいは飛散するのをしないときよりは抑制できるのではとは思ってるのですけど。

とにかく運び屋にはなりたくない。そう思ってます。

御遠忌という言葉を思う

二年後に宗祖親鸞聖人の御遠忌が本山で勤まる。
他派では大遠忌とも言うみたいだ。
年忌の大きなヤツって言う意味だろう。
ここ最近「忌」という時が引っかかってた。
忌み嫌う年という感じで読み取ってしまってて、なんでそんなことせなならんのや、と。

wikipediaには

忌み・斎み(いみ)とは

    1. 神に対して身を清め穢れを避けて慎む事。斎戒
    2. (転じて)忌み避けるべきこと。禁忌。はばかり。


とある。
お斎につながるのが本義のようだ。
身を清める、身をただすという意味合いの法が本来だったということを今知る。

「年忌」というものに際して、身を正す。
死別したことを身をただしていただく。
もうお会いできないことを身をただしてうけとめる
そういうような意味が、年忌、遠忌という言葉なのだろう。

宗祖として存在される親鸞聖人がお亡くなりになられて750年経つ
その事実を身をただして受け止めること。
宗祖の教えが7501年も経った今でも私の所に教えとして伝わってきている。
そのことは嬉しいこと何よりも喜ばしいこと。
だけど、
その私の所にやってきているものは宗祖の願いにかなってるものなのか、という問いが湧いてくる。疑いが起こってしまう。私は。
そのとき、宗祖親鸞聖人に直接お会いできないこと、このことが悲しい。
今わたしに教えがやってきていることは嬉しいけど、でもその中に、悲しみが見え隠れする。
いろんな人の手垢がつきまくって教えが私の所にやってきている。
それは多くの人が教えとしていただいてきたという事実でもあるけど、
つきまくった手垢によってそのものがくすんでしまっている、そう見えることも事実だろう。手垢を拭き取りたいと思うこともある、読み取るために。

私は仰せを仰せとして聞き取っているか、仰せ無きことを仰せと頂いているのではないか、
そういうことを確認する場が、御遠忌というものであるのではと思う今日この頃です。
「忌中」という意味も改めて受け止めてみなければいけない朋夫もう。
「忌」とは厳粛な言葉として頂かなね。

2009年10月16日

発行してまた次に取りかかる ごぼはんだより

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ごぼはんだより出来上がってました。報恩講案内号です。正直、昨年とほとんど変ってません、曜日を替えただけです。
めっちゃ手抜きです。行事案案内関係のヤツははここ四年は変ってないかも。もしかして。
そろそろ来月号に取りかかります。
なんて立って報恩講の次の日に発行となるわけですから。
先に仕上げとかな、どうもならんと思います。

2009年10月13日

かやい(かゆい)

ちょっと、顔と手がカヤイです。
ちなみにカヤイというのはかゆいって言うことです。わかりますよね。
原因はわかってるんです。
これです。
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今朝、銀杏を向いてました。
銀杏を拾ったのはもう二週間も三週間も前だったんですけど、
なかなか無効という気になれなくて、そして金沢別院の10日間のロードもあって、なかなか出来てませんでした。
今朝ようやくというか、なぜか、
やろう!
っていう気になって、
早速1時間ぐらいかけて奇麗にしました。
ずっと水につけてあったので作業は結構楽でした。
ただ、作業を終えて手と顔がカヤイので、気になってます。大事にならなければいいんですけど。
手はしっかり手袋をしてたんですけど、水が入ったかな、顔に汁がかかったかな?
まだまだアマチャンです。

2009年10月10日

本師曇鸞梁天子

本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩礼
三蔵流支授浄教 焚焼仙経帰楽邦

<試訳>

曇鸞大師は梁の王に菩薩と頂かれ常に向き礼拝された

菩提流支に『観経』を授けられてすぐさま仙経を焼き阿弥陀仏に帰依された。

(このように、曇鸞の)自分の行と他人への教化は流れ流れて弘まった。魏主(ぎのこうてい)は彼をたっとんで神鸞といった。勅を下して幷州大寺(ビョウシュウダイッジ?)に住まわせた。(『続高僧伝巻六』大乗仏教中国日本編14高僧伝:中央公論社刊71)

名山に往き、(仙)方をたよりに(仙術を)おさめようとした。落下(らくよう)にあるいてゆき、中国三蔵の菩提流支に逢った。曇鸞は往って申し上げていった、「仏法の中でもし長生不死の法で此土(ちゅうごく)の仙経よりも勝れているものが有るでしょうか」と。流支は大地に唾(つばき)していった。それは何という言葉なのか。あい比べるどころのものではない。此方(このよ)の何処に長生の法があるのか。たとい長生(ながいき)できても少時(しばらく)死なないだけだ。結局こもごも三有(さんがい:欲界色界無色界)に輪廻するだけだ」と。すぐに『観経』を授けていった、『これは偉大な仙方である。これによって修行したならば、きっと生死を解脱することが出来よう」と。曇鸞はついで頂礼をして受けた。持ってきた仙方はみな火で焼いた。(『続高僧伝巻六』大乗仏教中国日本編14高僧伝:中央公論社刊71)

魏の主勅して并州の
大巌寺にぞおわしける
ようやくおわりにのぞみては
汾州にうつりたまいにき

魏の天子はとうとみて
神鸞とこそ号せしか
おわせしところのその名をば
鸞公厳とぞなづけたる

本師曇鸞和尚は
菩提流支のおしえにて
仙経ながくやきすてて
浄土にふかく帰せしめき

:(りょう、502年 - 557年)は中国の南北朝時代に江南に存在した王朝 天子:祖武帝をさす、蕭衍(しょうえん)は南朝梁の初代皇帝、皇帝菩薩」とも称された。熱烈な仏教徒だった。 :曇鸞をさす 三蔵流支:菩提流支をさす。北インド出身の僧。サンスクリットのbodhiruci、बॊधिरुचि (skt.) の音写、「菩提留支」とも音写する。北魏の都、洛陽で訳経に従事。大乗の経論を30部余り翻訳する。また漢訳して「道希」とも呼ばれる。無量寿経如来会、『浄土論』を訳す 淨教:浄土の教え、観無量寿経共『浄土論』を授けたと言われている。 焚焼(ぼんしょう):もやすこと。たくやく 仙経:仙人が伝える経典、当寺盛んだった同教の経典、長生きの法 楽邦:極楽邦国、すなわち阿弥陀仏の浄土
神鸞と親鸞  
魏の天子はとうとみて神鸞とこそ号せしか
おわせしところのその名をば
鸞公厳とぞなづけたる
 竊かに以みれば、聖道の諸教は行証久しく廃れ、浄土の真宗は証道いま盛なり。しかるに諸寺の釈門、教に昏くして真仮の門戸を知らず、洛都の儒林、行に迷うて邪正の道路を弁うることなし。ここをもって興福寺の学徒、  太上天皇 諱尊成、今上 諱為仁 聖暦・承元丁の卯の歳、仲春上旬の候に奏達す。  主上臣下、法に背き義に違し、忿を成し怨を結ぶ。
 これに因って、真宗興隆の大祖源空法師、ならびに門徒数輩、罪科を考えず、猥りがわしく死罪に坐す。あるいは僧儀を改めて姓名を賜うて、遠流に処す。予はその一なり。しかればすでに僧にあらず俗にあらず。このゆえに「禿」の字をもって姓とす。空師ならびに弟子等、諸方の辺州に坐して五年の居諸を経たりき。  皇帝 諱守成 聖代、建暦辛の未の歳、子月の中旬第七日に、勅免を蒙りて、入洛して已後、空(源空)、洛陽の東山の西の麓、鳥部野の北の辺、大谷に居たまいき。同じき二年壬申寅月の下旬第五日午の時、入滅したまう。奇瑞称計すべからず。『別伝』に見えたり。(教行信証後序 聖典398)
曇鸞大師476~542
出家後四論(中論・十二門論・大智度論・百論)と仏性の研鑽に従事したと言われる。その後大集経の注釈を志すが、途中病で倒れる。
しばらくして、長寿を説く仙経を求めて当寺道教の大家、陶弘景(とうこうけい)を訪ねた。仙経十巻を授かり、気と、落陽において菩提流支と出会う。彼に長生術を誇るが、それは迷いの境界における上寿に過ぎないので結局迷界の流転を免れないと教示を受けて、観無量寿経(1sつに半城土論)を授かった。


2009年10月 6日

せっかく金沢へ通っているので、いってきました。

十日まで金沢別院の定例法座でお話しをするご縁を頂いてるので、今日お話しが終わってから本願寺展へいってきました。心づもりでは今週の後半を考えていたのですが、台風が来るというし、今日月参りも少ないしということで急きょいってきました。
金沢教務所に立ち寄り、駐在さんにバズでの生き方を聞いて出かけたのですが、バス停に行くと結構の時間待たなければバズが来ない感じだったので、結局タクシーを拾っていきました。
800円でした。
中に入って展示物を見せてもらったんですけど、本願寺の歴史を感じさせていただきました。天皇との書簡、歴史の教科書に出てくる人たちとの書簡、その他本願寺留守式の譲状、
私が一番興味を持ったのは善光寺に伝えられている聖徳太子の往復書簡(?)の写し。
その他色んなものを見させていただきました。



ただただ、
その中で考えさせてもらったこともあります。
私たちにとって宝とは何なのか、
国宝や重文に指定されているから宝なのか、
そういうことを考えさせていただきました。
うわさによると金沢でも、我等が大谷派の至宝展が年末あるそうですけど、
そういうところで物足りなさを感じることでしょう。
大谷派ではなおさら本願寺として相続してきたものが少ないので、特にそういうことが問われて当然のことだと思います。
全く期待はしていないんですけど...
ヤッパリ念仏という視点で本願寺の歴史を見て行くべきだと私は思った訳なんですよ。
そういうところで展示していくことが大事だと感じました。
美術的価値、いわゆる歴史的価値、そういうものも大事なことなのか間違えないことですけど、
念仏史的価値ともいうべきをもっと大切にしていかなければならないことなのであ~~る。
何となくえらそうにいっちゃいましたけどね、
とにかく明日は今感じていることを定例法座でお話しさせていただく予定です。

2009年10月 2日

見つけた! あの変な歌

以前も書いたけど、昔ファボーレで聞いた変な歌、
今日ネットをウロウロしていたら、タイトルが判りました。
産地直送くれは梨、
っていうみたいです。
ちゃんとCDも撃ってる見たいです。アマゾンにもありました。
 
どんな曲か興味のある方は、
ちょっとすっきりした、っていうか、
奥につっかえってたものがとれた気分です。