2009年7月31日
2009年7月30日
只今合宿中
昨日の午後から城端別院に来ています。毎年のごとく本堂布教を一日の朝までさせて戴くご縁を頂いているからです。
講題を
「草仏教としての浄土真宗」
とさせていただいています。
正直マーヒーさんのブログ名のパクリなんですけど、
まぁご勘弁ください。
朝三〇分ぐらい、午後1時間ちょっとの時間を話すことになっています。
三食付きで残りの時間はフリーの時間です。
特に午前中たっぷり時間がありますので、なるべく本を読むよう努めようと思っているわけです。
あくまでも目標なんですけど、
今回は寺報をつくることでいっぱいかなとは思っています。
昨日の参詣は最初二人、途中から合わせて四人でした。
仕方ないんです。
私が話すわけですから...
それと前日の二八日まで別院では虫干し法会が執り行われていたわけですから、参詣人が減るのは仕方のないことです。
これ以上減ると私の責任となります。
ゆっくり話してゆきます。
昨日家を出る前、バジルを見てみると花を持ってました。
こういう花をつけるんですね。
知らずに植えてる私です。
来月も同じ日程でお話しさせていただくことになっています。
2009年7月28日
2009年7月24日
2009年7月23日
二日間酒ぬいてます
二日間酒抜いてます。
これ私にとってはすごい珍しいこと。
一日酒抜くのは年に一度か二度あるぐらい、
それなのに、二日連続で酒飲まないっていうのは本当希なこと。
肝臓君にはいい休養になった、って言いたいところだけど。
でも、風邪引いて頭痛腹痛がひどく、飲む期になれなかったのだ。
酒を抜いたというのではなく、風邪がひどく酒を飲む期になれなかった。っていう感じ。
昨日医者に言っていつもの薬と、風邪の薬も出してもらったので、
肝臓の休養になっているって意宇の疑問がのこる
お参りも少ない日だったので、必要最小限の仕事だけして寝る二日間でした。
今朝は薬が効いてきたせいか、PCの前に座る期がおこったっていうわけです。
人から言わせればこんなに暑い日に長袖を二日間着ていても寒かったです。
今日は今んとこ半袖のTシャツ一枚着てます。
こんかいの風邪本当に強烈でした。いやいや、現在進行形です。強烈です。
2009年7月19日
2009年7月18日
きのうのこと
何となく気ぜわしく過ごしています。
昨日の午後教務所に行ってきました。
組同朋の会教導協議会というのがあって、
組長さんから以前同朋の会の教導になってくれっていわれ、何気なく了承していた。
なったからといって何か仕事をした覚えが全くなし。
同朋の会教導が教導としてどう仕事をしていけばいいのか、なんていうことを確認する場だったのかな。
同朋の会を推進、開設をしていくっていうのは無理!
いろんなことが話し合われ、
今後どうしていきましょうかということになり、
教導の同朋会でも作ってみますか、ッてつい行ってしまった私、
その発言のあと沈黙が続く。
毎月これないよねって自分で言ってしまったおれ。
そう思ったし、そういう空気だった。
帰り、ふと
私たちが自分たちで同朋の会を作ろうって言う歩みにならないのだから、同朋の会推進ていうのはあり得ないことだと思った
自分の中に同朋の会の大切さが実感されてない
でも、会って作る必要あるのかな、
集まるっていうことは大事なことだと思うんだけど、
会員を募集するっていうのはいいことなんだろうか、
メリットはあるのだろうけど、デメリットもあるんではないかと思う。
集団を作ると、自然と排除が始まる。
これをどう克服するのかっていうことが会を作るとき問題としていかないといけないと思う。
ホント自分もそうだけど、
御遠忌がちかずいているのに、
熱を感じることが出来ない、
もう、消化次回の雰囲気が私の中にある
せめて自分の中だけでも、宗祖に出遇うっていうことをしてゆきたい。
2009年7月15日
野菜救出作戦実行中
お寺の祠堂経会前あたりから畑の世話がなかなか出来てなくて、そして今月に入ってからの雨、
野菜達も育ってくれてますが、それ以上に雑草たちが成長してます。
っていうことで阿竹が畑でなくなってる状態です。
だから今週に入って畑の草むしりに入ってます。今回は草刈でなくて草むしり、一生懸命根っこも抜いてます。だからなかなか作業が進みません。
また一昨日の雨でまたは竹が粘土状に、
程よい土の湿り気は草を抜くにはいいのですが、ほどを過ぎると根っこに泥がまとわりついてきて重かったり、泥がねばり、抜けにくくなります。
昨日はついでに蒸してきたので、作業は朝1時間して挫折してしまいました。
一角は救助したのですが、
これは第一期救出作戦ニガウリ胡瓜
これは一昨昨日終わった第二期、ピーマンオクラ救出作戦
他の区画が進みません。
畑遊びは、植え付けたり、成長を楽しんだり、収穫するのは楽しいのですが、草をむしるっていうのが何ともいえず苦痛です。
根性が無く長続きしません。
草原が畑に復旧する日を夢見てボチボチと草と格闘していきます。
草創期の上田マメをちょっと収穫してきていただきました。あまくて美味しかった。
初めて種から育て沢山育てたのですが、枝豆を抜いてきてすぐにゆでてたべるのは美味ですね。
枝豆はこんなに旨いこのかと直してしまいました。
今日の午前中も11時マヤって茄子を救出しました。
第三期茄子救出作戦
あとは、サツマイモ、トウモロコシ、枝豆、キャベツブロッコリーあたり、そしてネギ、大根を救出してやらなくてはならないです。
いつ終わるかめどがつきませんし、終わったとしてもまた草むしりせなならんと子が出てくるでしょう。
終わりなき歩みを進んでます。
2009年7月12日
うろうろ
今朝なんとなく心に余裕があり、家の回りをウロウロしました。
ついでに畑まで行って失敗。
下駄でウロウロしてたのに畠まで行ってしまい、何度か鼻緒がきれそうになってしまいました。畑に行くんならちゃんと長靴はいていけばええのにね。本当に学習能力のない自分。あほやわ~
先ず気づけばムクゲが咲いてました。
うちには三本の無窮花、ムクゲを植えてあるんですが、そのうち日本咲いてました。もう、初夏だから当たり前だけど、気づいてませんでした。
あと一本西側の垣に植えてあるヤツはまだ花を持ってませんでした。
蓮の花も今花盛りです。
蕾にカメラを向けていると、珍しくヒメダカかがフレームに入ってきてくれました。
うれしくなってパチリ
それで調子に乗った俺は下駄のまま畑に行っちまったわけです。
とにかく、畑っていうよりは草原状態。
草だらけです。
枝豆もだいぶふくらんできました。何となく店で売ってるのと同じぐらいになったような。
そして胡瓜を三本収穫して、
草原を突き進み、トマトの枯れたのを斜めに見ながら、もしやと思いオクラの場所まで行きました。
草を踏みしめながらゆくと花を持ってるヤツがおった
隣には花が落ちてたので上の方をたどっていくとまだちっちゃいですが、オクラがなってました。
あと、トウモロコシも髭がだいぶ黒くなってもうすぐ収穫期であることを知らせてくれてます。
今月に入って本と沢山の雨が降ってくれ、畑が草原になるぐらい草が生長してくれhんとウニ感謝してます。おかげで草むしるという仕事を頂いて!
でも、野菜達は草よりは長が遅いですが、しっかり育ってくれてます。本当に雨が待ち遠しかったんですね。
私は収穫してたべることが楽しみです。
2009年7月11日
顕示難行陸路苦
顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽
憶念弥陀仏本願 自然即時入必定
唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩
<試訳>
龍樹菩薩は難行は陸路を一人で歩むように苦しいことをあわわし水路をみんなで船に乗って渡るような易行を自ら信じられました
阿弥陀仏の本願を忘れず念ずる易行の道をすすめば、そのとき、自ずから当たり前のように、必ず悟りをひらくことが定まるのである。
ただ、よく、つねに、阿弥陀仏のみ名を称えるという如来大悲の広い誓いに報い応えていこう。と導いてくださっています。
憶念...憶は憶(こころ)持(たもつ)、念は明記不忘。心にたもって忘れず、恒に思い出すこと佛法に無量の門有り、世間の道に難有り易有り、陸道の歩行は則ち苦しく、水道の乘船は則ち樂しきが如し。(易行品『聖全』254)
人能く是の佛の無量力功德を念ずれば 即の時に必定に入る 是の故に我常に念じたてまつる(易行品『聖全』260)
自然...「自然というは、自はおのずからという。行者のはからいにあらず、しからしむるということばなり。然というはしからしむということば、行者のはからいにあらず、如来のちかいにてあるがゆえに。『末灯鈔』」
即...すぐさま
『十住毘婆沙論』(じゅうじゅうびばしゃろん)は仏教の論書であり、17巻。著者はインドの仏教学者龍樹(りゅうじゅ)である。5世紀初め鳩摩羅什(くまらじゅう)が訳した漢訳のみが現存し、サンスクリット原典もチベット訳も伝わっていない。
現存する漢訳は、偈頌と散文とでできており、偈頌の内容を散文で解説している。しかし、散文の部分については龍樹作とすることに疑問がもたれている。
鳩摩羅什は、インド僧仏陀耶舎(ぶっだやしゃ)が口誦したものを漢訳したと言われている。しかし、翻訳について両者の意見が対立して未完に終わった、と伝えられている。これは、鳩摩羅什の翻訳方法が、多分に彼自身の解説や、彼自身が記憶する仏典を交えながら翻訳する形態を採っているので、散文にはそれが多分に入っていると考えられる、
本書は華厳経の一部の『十地経(じゅうじきょう)』の注釈だが、大乗菩薩の思想と実践を『十地経』に依拠して説いたものである。
後世、浄土教の念仏易行道(ねんぶついぎょうどう)を説く一章「易行品(いぎょうぼん)」がとくに注目され、この章についての研究は多いが、全体としての研究はほとんどない。
龍樹の『菩提資糧論(ぼだいしりょうろん)』との関係も深いので、大乗仏教を理解するうえで、きわめて重要な論書である
問て曰く。是の阿惟越致の菩薩の初事先に説くが如し。阿惟越致地に至るには、諸の難行を行ずること、久しくして乃ち得べし。或は聲聞辟支佛地に墮す。若し爾らば是大衰患なり。(易行品)
問うていう。この不退の菩薩が初地に入るまでの修行のありさまは、さきに説いた通りである。不退の位に至るについては、多くの難行を行じ、久しい間かかってようやくこれを得ることができるので、あるいは声聞・縁覚の地位に退堕することがある。もしそうなれば、これは大きな損失であり、災患である。(現代語訳)
仏教における二乗(にじょう)とは、声聞乗(しょうもんじょう、Śrāvakayāna)と縁覚乗(えんがくじょう、Pratyekayāna)の二つを指していう用語。「乗」とは乗物の意味で、声聞や縁覚の人びと、あるいはかれらの立場を意味する。
二乗は、現世に対する執着を断った聖者(阿羅漢)ではあるが、大乗仏教からは現実逃避的・自己中心的であり、利他の行を忘れたものとして「小乗」と蔑称される。直接「小乗」と名指しで非難されたのは、西北インドに勢力を有した説一切有部や犢子部(とくしぶ)などのいくつかの部派であったようである。『大智度論』では、小乗と呼ばれた彼らは大願も大慈大悲もなく、一切の功徳も求めようとせず、ただ老病死の苦から脱することのみを求めるとされている。
大乗仏教では、「二乗の者は地獄にさえ堕ちない」と言われることがある。これは、地獄に堕ちた者はふたたび生まれ変わって大乗の教えに回入するかもしれないが、地獄に堕ちない者はふたたび仏の教えに逢うことはないので、成仏することはないという意味で、二乗は仏になれないと非難されているのである。
声聞 (しょうもん、サンスクリット:श्रावक Zraavaka)は、仏教において「教えを聴聞する者」の意で、初期経典では出家・在家ともに用いられる。後になると出家の修行僧だけを意味した。
声聞には、上から阿羅漢果(応供)・阿那含果(不還)・斯陀含果(一来)・須陀洹果(預流)の4つの目標(「向」)と、それに応じた4つの結果(「果」)があるとされ、これを四向四果という。
大乗仏教の立場からは、声聞は、主に四諦を修習し、自己の解脱のみを得ることに専念し、利他の行を欠いた、阿羅漢を目指す修行者であるとして、小乗と貶称される。
縁覚(えんがく、pratyekabuddha、paccekabuddha、サンスクリット:प्रत्येक बुद्ध)とは、仏教やジャイナ教において、師なくして独自にさとりを開いた人をいう。旧訳ではサンスクリット原語あるいはその俗語形からの音写で、辟支仏(びゃくしぶつ)と訳す。また独覚とも漢訳される。
仏教では、十二因縁を観じて理法をさとり、あるいはさまざまな外縁によってさとるゆえに縁覚という。独覚は、仲間をつくって修行する部行独覚と、麒麟の一角の如く独りで道を得る麟角喩独覚とに分ける。大乗仏教ではこの立場を自己中心的なものと考え、声聞とともに二乗と呼んで下に見る。
2009年7月 8日
欲望
ある人の代役として今年能登教区でのお仕事を頂いた。
教区指定の組部落差別問題研修会の講師という役割だ。
このお仕事をあまり考えず受けたはいいのだけど、受けた後で、私でいいのだろうか、自分には出来るのだろうか、という不安に満ちていた。このことがずっと頭の中に居座っていた。
差別問題研修会で話しをするということを今までしたことがなかったので、ホント不安だった。
三カ所でなさせていただいたのだけど、
座談会での反応を聞きながら、毎回毎回修正を加えていった。
ご親切にこういう話しをなさってもよいのではと言うご意見も何度も頂いたのでそういうことを頭に入れて修正を加えていった。
昨日でそのお仕事が終わったんだけど、三回目は満足のいける話が出来たかというとそうではなく、何とか終わったっていう感じ。満足いくものとは決していえなかった。
寝た子を起こすなって言うことを思っておられる方々が多いことも実感。
また寝た子を起こすなという考え方にもいくつかあるって言うことも何となく感じた。
色々課題を見つけさせていただいたという面ではよい研修会だった。俺の研修会みたい感じだった。
だから謝礼を頂いたとき、申し訳ないっていう感じがした。
いくらは言っているのかと中身をのぞき見して、
こんなに頂いていいのだろうか、
これだけ頂いたけどそれだけの価値が私の話にはあったのか、と思ってしまった。
そういう心に路道でいても、
少しずつ、これだけもらったらこれがカエルのではないか、これがほしい、
なんていう思いがどんどん湧いて出てきた。
今、プロジェクターがほしいなんて思っている。
賞品は低価格ものなのですが、私からしたら高価なものです。
買うとしても分割でしか替えないもの。
でもほしい願望に今襲われています。
今、大きな仕事が昨日で終わった、っていうか気がかりな仕事が終わったって言うことで開放感が結構あります。っていうことでまだ仕事に出かけていない私なのです。
2009年7月 5日
うつくしustukushi
開花二日目の蓮、京野よりすっと美しいです。

もうっと日がさすと花弁が開きすぎてあんまり美しくなくなります。


2009年7月 4日
二つ ハツモノ
昨日お参りに出かけていると蝉が鳴いている声が耳に入りました。
今年はじめてというか今期初めて聞きました。
もう一つ、
今朝は竹に丘を出しに行く途中、蓮の花を何気なく覗いてみると、
花がひとつ開花してました。
ハツモノ二つ昨日と今日で経験させていただきました。
蕾に纏わり付いている葉も見つけました。
2009年7月 2日
ちょっと遅いけど稲植えました
次男坊が学校から余ったと行って数種類の持ち帰ってきていた。それを植えて大きくしていた。インゲントウモロコシは畑に植えてました、
残りの稲を今日いわゆるバケツ稲に植えました。
朝方バケツは見あたらなかったのでボックスに畑の泥を入れ、水を入れて拡販しました。
そして今日は野球の練習のない次男坊が帰ってくるのを待ってました。
五時ちょっと前に次男坊が帰ってきたので早速植えることに。
次男坊は学校に借りている田んぼがあって田植えを経験済みなので田植えを任せました。
こんな感じになりました。
今の常識からすれば田植えというのは五月なので今植えても大丈夫なのか、なんて思いますが、
でも、私は聴いたことあります。昔の田植えは梅雨の頃だったと。
だから今植えても大丈夫なのではないかと考えたわけです。
でもさすが七月に入ってますから、ちょっと心配なんですが...
稲というものを育てたことが全くないのでどうなるのかちょっと心配は心配ですが、それなりに育ってくれればうれしいです。
勢いで買ってしまいました
なんか、勢いというか流れでアマゾンで購入してしまいました。
特別機能として、富山弁/標準語 バイリンガル字幕
※ノンネイティブの皆様にも安心して楽しめます。
と書かれています。
途中まで軽快に勢いよく見させていただきました。正直途中からはだれてしまいました。
自分が使っていると山言葉とは違うんですけど、富山言葉ってリズミカルだなって思わして貰いましたちゃ。
富山在住の方、富山にいた方是非見てみてください。
ノンネイティブの方々にもお勧めします。
2009年7月 1日


