2009年6月13日

行ってきたよ

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昨晩ハンセン病のシンポジウムに行ってきました。
吉川さんの発表、「沖縄戦におけるハンセン病患者の戦争被害」をいただき、療養所が弊社と間違えられて火なのか判らないけど、アメリカ軍によって攻撃を受けてたそうだ。また、沖縄戦をそう於テイして兵士がうつらないためということで患者の方々が強制的に、そして徹底的に収容され、定員の二倍以上の方々が収容されたそうだ。その中でのアメリカ軍に爆撃されたそうだ。痛ましい。ただでさえ治療するための療養所でないところに戦争というものが始まり、防空壕などの強制労働、その他芋なども育てさせられたそうだ。その中で体力が落ちてゆき、ハンセン病が悪化していったそうだ。
何とも...
パワーポイント?を使われてというか、プロジェクターを使ってご報告いただいたんだけど、こういうことが出来るのかってそっちの方にも興味を持ちました。
説明するのにインパクトがあってよいと感じた、お説教でも使えるかと思ったけど、説明や報告には便利かも知れないけど、お説教で使えたらおもしろいけど、どう使えばいいのか見えてこない。黒板が黄をもっとインパクトを与えるのには使えるとも思ったけど...
そう思いつつもプロジェクターがほしくてほしくてたまらなくなった。
シンポジウムの中でハンセン病に関する資料を戦後一生懸命集められた山下さんに藤野さんが、色々聞き取るっていう感じの所があった。

いつものように主題とは違うことを色々考えた。
私たちが差別のことを学ぶって言うことはどういうことなのだろうかと。
差別をなくそうという願いのもとで開催されるのがこういうような学習会なんだけど、差別をなくすことを理解するということは私たちはどこか、大きな旗を振って反対運動をしたり、いろんな人に話しかけたりしないといけない。なんていう印象があるのかな。
この間ご縁勝手のと教区のある組で部落問題学習会の講師として話しに行ったんだけど、何かそういうことをそのときは感じた。聞いてどうすればいいのか、ということが伝わってない、そう思った。また自分自身もはっきりしてないと感じた。
差別をなくそう、もう繰りかえさない、そう思っていただければいいのだけど、もっと大きなことを期待されているかのように受け取っておられるという感じも受け止められた。
私は差別をしたくない。そう思って、もらえればいいのに。
そして自分は何時差別をする身になるかということはわからない。そういう自覚のもとで過去を学び今を学ぶ、繰りかえさないために。
それだけで良いのだと思う、だけどソレさえなかなか出来ないんだけど。

終わりに会の代表の方が、「平和を守ることは人権を守ることであり、人権を守ることは平和を護ることである」ということを何度も言われてた。
そうだなぁと思った。
ただ人権を守るといっても誰から護らなければいけないのかっていうことをはっきりしないといけないと感じた。
人権人権と主張していくと人間中心主義、エゴ、わがままになっていくような感じがしてた、
人権を主張することより自分が人権を侵していることを自覚していかないととも思ってた。
そのことはそうなんだけど、
もう一つ、
為政者から私、私たちの人権を守らないといけない。
権力者、資本家から私の人権を守らないといけない。
人間らしく行きたい、これが人権だ。
そういわざるを得ない今がある。
そういうところで人権っていうことを大事にしていかないといけないと昨日のシンポジウムを聞いて、そして今ブログをまとめる作業の中で強く感じたわけです。


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