2009年6月30日
2009年6月27日
2009年6月26日
2009年6月25日
2009年6月24日
ほとんど全滅 とまと
畑に植えてあったトマトが病気でほとんど全滅しました。
茎が黒くなったり、葉っぱが巻き付いてます。
去年もやられた病気です。去年とは違う場所に今年は植えたのですが、今年も結局ダメでした。
ということで昨日ホームセンターに行ってトマトの苗を買ってきて植えたっていうわけです。
病気にかからずに育ってほしいものです。
あと、茄子も今年は元気がありません。
心配です。
アクセスランキング
告知なくくボチボチとブログをカスタマイズしてたのですが、そして今となって何を替えたのかも覚えてません。
ひとつだけ覚えているところでは...
MailPackというプラグインを使って投稿できるようにしました。
これは皆さまにはあまり関係のないことですね。
今回追加したのはサイドバーにアクセスランキングを追加しました。アクセス数の多い順に記事を表示させました。
Access Counterを利用させていただきました。2009年6月23日
初収穫トマト
プランターで育ててる四男坊専用のみにトマト一つだけ赤く実ってました。
家の南側にあるということで、日が沢山あたり、冷たい北風もあたらないからなんでしょうか、
このプランターのトマトが一番育ちがよいです。
それに比べて畑のトマト達全くダメです。
っていうか、今年も病気にかかってく気が黒ずんでいます。隣の畑の日とも今年は全くダメだっていってました。
初収穫の写真を撮ったつもりだったんですが、今見てみるとカードが入ってませんでした。
ちょっとしょんぼりです。
早速実ったトマトは四男坊の口に当然のように入ったのはいうまでもないことです。
2009年6月20日
2009年6月19日
今日は男爵収穫
今日は男爵を収穫しました。
いつもだったら七月を過ぎてからの収穫なんですが、今年は真面目にと言うか、いつもよりは約三月下旬に植えたのでいつもより早くの収穫と相成りました。
でも...、
収穫量がよくないです。コンテナ一杯にも満たなかったです。
いつもなら二杯までは行かなくても一杯を超えてたのですが、残念です。
問題としては、専門家ではありませんが、肥やしの足りなさかと思ってます。記憶がないのです、肥やしをやった覚えが、畝を作ったときもどうだったか...、ましてや追肥などやろうという来さえありませんでした。
ソレかなって個人的には反省してます。
あと考えれるのは去年の夏ジャガイモを植えたところで枝などを燃やしてしまったからかも知れません。
今朝はそういうことでジャガイモのスーツを作って食べました。
2009年6月18日
2009年6月17日
2009年6月16日
2009年6月15日
花芽見つけた 蓮ちゃんの
2009年6月14日
初! 収穫
釈迦如来楞伽山
釈迦如来楞伽山 為衆告命南天竺
大乗仏教 大乗仏教(だいじょうぶっきょう、Mahāyāna Buddhism)は、伝統的に、ユーラシア大陸の中央部から東部にかけて信仰されてきた仏教の分派のひとつ。自身の成仏を求めるにあたって、まず苦の中にある全ての生き物たち(一切衆生)を救いたいという心、つまり大乗の観点で限定された菩提心を起こすことを条件とし、この「利他行」の精神を大乗仏教と部派仏教とを区別する指標とする。 大乗(Mahā〈偉大な〉yāna〈乗り物〉)という語は、『般若経』で初めて見られ、一般に大乗仏教運動は『般若経』を編纂護持する教団が中心となって興起したものと考えられている。般若経典の内容から、声聞の教え、すなわち部派仏教の中でも当時勢力を誇った説一切有部を指して大乗仏教側から小乗仏教と呼んだと考えられているが、必ずしもはっきりしたことは分かっていない。なお思想的には、大乗の教えは釈迦死去の約700年後に龍樹(ナーガールジュナ)らによって理論付けされたとされる。 一方、釈迦の教えを忠実に実行し、涅槃(輪廻からの解脱)に到ることを旨とした上座部仏教に対し、それが究極においてみずからはどこまでも釈迦の教えの信奉者というにととどまるもので、自身が「ブッダ」(如来)として真理を認識できる境地に到達できないのではないかという批判的見地から起こった仏教における一大思想運動という側面もある。釈迦が前世において生きとし生けるものすべて(一切衆生)の苦しみを救おうと難行(菩薩行)を続けて来たというジャータカ伝説に基づき、自分たちもこの釈尊の精神(菩提心)にならって善根を積んで行くことにより、遠い未来において自分たちにもブッダとして道を成じる生が訪れる(三劫成仏)という説を唱えた。この傾向は『般若経』には希薄だが、明確に打ち出した経典として『法華経』や『涅槃経』などがある。 自分の解脱よりも他者の救済を優先する利他行とは大乗以前の仏教界で行われていたものではない。紀元前後の仏教界は、釈迦の教えの研究に没頭するあまり民衆の望みに応えることができなくなっていたとされるが、出家者ではない俗世間の凡夫でもこの利他行を続けてさえいけば、誰でも未来の世において成仏できる(ブッダに成れる)と宣言したのが大乗仏教運動の特色である。声聞や縁覚は人間的な生活を否定して涅槃を得てはいるが、自身はブッダとして新しい教えを告げ衆生の悩みを救える、というわけではない。が、大乗の求道者は俗世間で生活しながらしかも最終的にはブッダに成れると主張し、自らを菩薩摩訶薩と呼んで、自らの新しい思想を伝える大乗経典を、しばしば芸術的表現を用いて創りだしていった。
龍樹大士出於世 悉能摧破有無見
宣説大乗無上法 証歓喜地生安楽
<試訳>
釈迦如来は楞伽山において「南インドに龍樹というものが現れ、かれは死後の世界の有無にとらわれて濁ってしまった仏教を破り、大いなる乗り物のとしての仏教を回復し、菩薩となり、あらゆる人々と共に浄土に生まれていくであろう」と人々にお告げになられました
<我が乗、内証の智は、妄覚(もうかく)の境界に非ず。如来滅世の後、誰か持(たも)ちて我がために説かん未来に当に人あるべし。南天の国中において、大徳の比丘あらん。龍樹菩薩と名付けて、よく有無の見を破りて、人のために、我が乗、大乗無上の法を説き、初歓喜地に住して安楽国に往生せん。(『楞伽経』)ナーガールジュナ (naagaarjuna, Nāgārjuna)、漢訳名龍樹(りゅうじゅ)は150‐250年ころ(生没年不詳)のインド仏教の僧。八宗の祖師。真言八祖(しんごんはっそ)の一人であり、また、浄土真宗七高僧の第一祖。密教系の仏教では龍猛(りゅうみょう)と呼ばれることもある。 名前はサンスクリットで、ナーガは蛇(蛇神転じて竜)、アルジュナはインド神話のマハーバーラタに登場する武将から(転じて英雄の意味もある)。日本では漢訳名の龍樹で知られる
大乗仏教 大乗仏教(だいじょうぶっきょう、Mahāyāna Buddhism)は、伝統的に、ユーラシア大陸の中央部から東部にかけて信仰されてきた仏教の分派のひとつ。自身の成仏を求めるにあたって、まず苦の中にある全ての生き物たち(一切衆生)を救いたいという心、つまり大乗の観点で限定された菩提心を起こすことを条件とし、この「利他行」の精神を大乗仏教と部派仏教とを区別する指標とする。 大乗(Mahā〈偉大な〉yāna〈乗り物〉)という語は、『般若経』で初めて見られ、一般に大乗仏教運動は『般若経』を編纂護持する教団が中心となって興起したものと考えられている。般若経典の内容から、声聞の教え、すなわち部派仏教の中でも当時勢力を誇った説一切有部を指して大乗仏教側から小乗仏教と呼んだと考えられているが、必ずしもはっきりしたことは分かっていない。なお思想的には、大乗の教えは釈迦死去の約700年後に龍樹(ナーガールジュナ)らによって理論付けされたとされる。 一方、釈迦の教えを忠実に実行し、涅槃(輪廻からの解脱)に到ることを旨とした上座部仏教に対し、それが究極においてみずからはどこまでも釈迦の教えの信奉者というにととどまるもので、自身が「ブッダ」(如来)として真理を認識できる境地に到達できないのではないかという批判的見地から起こった仏教における一大思想運動という側面もある。釈迦が前世において生きとし生けるものすべて(一切衆生)の苦しみを救おうと難行(菩薩行)を続けて来たというジャータカ伝説に基づき、自分たちもこの釈尊の精神(菩提心)にならって善根を積んで行くことにより、遠い未来において自分たちにもブッダとして道を成じる生が訪れる(三劫成仏)という説を唱えた。この傾向は『般若経』には希薄だが、明確に打ち出した経典として『法華経』や『涅槃経』などがある。 自分の解脱よりも他者の救済を優先する利他行とは大乗以前の仏教界で行われていたものではない。紀元前後の仏教界は、釈迦の教えの研究に没頭するあまり民衆の望みに応えることができなくなっていたとされるが、出家者ではない俗世間の凡夫でもこの利他行を続けてさえいけば、誰でも未来の世において成仏できる(ブッダに成れる)と宣言したのが大乗仏教運動の特色である。声聞や縁覚は人間的な生活を否定して涅槃を得てはいるが、自身はブッダとして新しい教えを告げ衆生の悩みを救える、というわけではない。が、大乗の求道者は俗世間で生活しながらしかも最終的にはブッダに成れると主張し、自らを菩薩摩訶薩と呼んで、自らの新しい思想を伝える大乗経典を、しばしば芸術的表現を用いて創りだしていった。
有無の見(有見→常見 無見→断見)
常見(じょうけん)とは、仏教用語で、この世は永遠に続くもので不滅であるとする見解のこと。反対語は断見(だんけん)。
原始仏教、つまり釈迦が在世の頃にあった六十二見のうちの1つで、この世界・世間やアートマン(梵我)が永遠に存続すると主張したものである。「見」とは見解・意見・見方のこと、あるいは邪見や執見との否定的な意味も含む。
人の一生・人生はこの世の一回限りであるが、死後もこの世界においてアートマンという固定の実体が不滅で永続するものであると肯定する見解をいう。『長部』では「我と世界は常住である。死後山頂の如く不動で石柱の如く固定したものである」などと述べている。
常見の反対語は、断見といい、この世は永遠で永遠のものではないという見方であるが、仏教では中道や無記を説き、両方の偏った見方に依らない、不断不常の中道を宗旨とした。
なお、大乗仏教の教義が発展すると、不断不常の中道から、対立する見解とは違う次元で、如来我すなわち仏性の常住を説くようになった。 断見(だんけん)とは、因果の法則を無視して、人が一度死ねば、断滅してしまい二度と生まれることがないとする見解のこと。反対語は常見(じょうけん)。
原始仏教、つまり釈迦が在世の頃にあった六十二見のうちの1つで、この世界・世間や我の断滅を主張したものである。「見」とは見解・意見・見方のこと、あるいは邪見や執見との否定的な意味も含む。
人の一生・人生はこの世の一回限りであるとして、死後やその運命を否定して、この世における善と悪の行為やその果報を無視し否定する見解をいう。『長部』では「肉体は壊れることにより断滅し、死後は存在しない」と述べている。
断見の反対語は常見といい、この世は永遠で不滅であるという見方であるが、仏教では中道や無記を説き、両方の偏った見方に依らない、不断不常の中道を宗旨とした。
なお、大乗仏教の教義が発展すると、不断不常の中道から、対立する見解とは違う次元で如来我すなわち仏性の常住を説くようになった。
龍樹菩薩→大乗の組
本師龍樹菩薩は大乗仏教の真髄として念仏がある
智度十住毘婆娑等
つくりておおく西をほめ
すすめて念仏せしめたり
2009年6月13日
行ってきたよ
昨晩ハンセン病のシンポジウムに行ってきました。
吉川さんの発表、「沖縄戦におけるハンセン病患者の戦争被害」をいただき、療養所が弊社と間違えられて火なのか判らないけど、アメリカ軍によって攻撃を受けてたそうだ。また、沖縄戦をそう於テイして兵士がうつらないためということで患者の方々が強制的に、そして徹底的に収容され、定員の二倍以上の方々が収容されたそうだ。その中でのアメリカ軍に爆撃されたそうだ。痛ましい。ただでさえ治療するための療養所でないところに戦争というものが始まり、防空壕などの強制労働、その他芋なども育てさせられたそうだ。その中で体力が落ちてゆき、ハンセン病が悪化していったそうだ。
何とも...
パワーポイント?を使われてというか、プロジェクターを使ってご報告いただいたんだけど、こういうことが出来るのかってそっちの方にも興味を持ちました。
説明するのにインパクトがあってよいと感じた、お説教でも使えるかと思ったけど、説明や報告には便利かも知れないけど、お説教で使えたらおもしろいけど、どう使えばいいのか見えてこない。黒板が黄をもっとインパクトを与えるのには使えるとも思ったけど...
そう思いつつもプロジェクターがほしくてほしくてたまらなくなった。
シンポジウムの中でハンセン病に関する資料を戦後一生懸命集められた山下さんに藤野さんが、色々聞き取るっていう感じの所があった。
いつものように主題とは違うことを色々考えた。
私たちが差別のことを学ぶって言うことはどういうことなのだろうかと。
差別をなくそうという願いのもとで開催されるのがこういうような学習会なんだけど、差別をなくすことを理解するということは私たちはどこか、大きな旗を振って反対運動をしたり、いろんな人に話しかけたりしないといけない。なんていう印象があるのかな。
この間ご縁勝手のと教区のある組で部落問題学習会の講師として話しに行ったんだけど、何かそういうことをそのときは感じた。聞いてどうすればいいのか、ということが伝わってない、そう思った。また自分自身もはっきりしてないと感じた。
差別をなくそう、もう繰りかえさない、そう思っていただければいいのだけど、もっと大きなことを期待されているかのように受け取っておられるという感じも受け止められた。
私は差別をしたくない。そう思って、もらえればいいのに。
そして自分は何時差別をする身になるかということはわからない。そういう自覚のもとで過去を学び今を学ぶ、繰りかえさないために。
それだけで良いのだと思う、だけどソレさえなかなか出来ないんだけど。
終わりに会の代表の方が、「平和を守ることは人権を守ることであり、人権を守ることは平和を護ることである」ということを何度も言われてた。
そうだなぁと思った。
ただ人権を守るといっても誰から護らなければいけないのかっていうことをはっきりしないといけないと感じた。
人権人権と主張していくと人間中心主義、エゴ、わがままになっていくような感じがしてた、
人権を主張することより自分が人権を侵していることを自覚していかないととも思ってた。
そのことはそうなんだけど、
もう一つ、
為政者から私、私たちの人権を守らないといけない。
権力者、資本家から私の人権を守らないといけない。
人間らしく行きたい、これが人権だ。
そういわざるを得ない今がある。
そういうところで人権っていうことを大事にしていかないといけないと昨日のシンポジウムを聞いて、そして今ブログをまとめる作業の中で強く感じたわけです。
2009年6月11日
ついみいってしまいました
ユニクロカレンダー新しいシリースガ始まってました。
暇に任せてといったらいいのか良いのが出来てます。
すごい
そこで一つ疑問がこれは全部実写なのだろうか、それともアニメーションが入ってるのだろうか、ちょっと悩んでます、でもとにかくすごいです、
ユニクロカレンダー
2009年6月10日
案内札
月末に開催する祠堂経会の案内札を上げました。
気持ちとしては一ヶ月前ぐらいに上げたいのですが、いつも重いばかりです。やっと体が動きました。
祠堂経まで掃除、草刈、窓ふき、なんかをしないといけないんですが、毎年全部出来ずじまいで行事を迎えてしまっています。今のところ今年こそはと思ってはいるんですけど...
2009年6月 8日
今日の収穫
2009年6月 4日
試し堀?
昨日の夕ご飯は肉じゃがが出ました。
まぁそれはこれといって珍しいことではないんです、ただタマネギとジャガイモがウチでとれたものたっだんです。
別にタマネギはいいんです。
ジャガイモがちょっと気に入らないんです。
畑を主体的にしているのは私です。
今日も嫌いな草むしりをしてました。
今年は結構愛情込めてしてます。
その中でジャガイモは焼く溜めたいと思っていたんです。
だから使われるのはいいんです。
どんどん使っていただかないと困ります。
でも果たし初収穫の非を結構楽しみにしてたんです。
男爵の方は花が散ってそろそろ収穫の時期、下葉が枯れればOKでなかったかと思ってたんです。
いつも祠堂経の頃掘ってたんで、そのくらいに思ってました。
だけどヨメハン、花が散ったからって堀に行って使っておられます。撮るよっては聞いて、良いよと言いました。
デモなんかが典行かなくて、
さっき一つだけ、ジャガイモを撮ったって言う訳なんです。
だから試し撮りって言うことにはならないのですが、私的には試し堀でジャガイモ掘ったよって言いたい訳なんですよ。
ちょっと愚痴気味な書き込みでした。
2009年6月 3日
何で問題なのか
民主・鳩山代表、首相になっても「靖国参拝すべきでない」
民主党の鳩山代表は2日の記者会見で、次期衆院選で政権交代し、首相になった場合に靖国神社を参拝するかどうかについて、「A級戦犯が合祀 されている状況の中では参拝すべきでないと主張してきた」と述べ、参拝しない考えを示した。
「天皇陛下が参拝できるような靖国神社にしたい」とも語った。
(2009年6月2日20時57分 読売新聞)
記者会見の模様は下記のアドレスにて見ることが出来ます。(11分ぐらいからその質問が始まる)
だけど、何故すべきでないかという理由がどうも私と違うようだ。
鳩山さんはA級先般が合祀されていることだけが問題だと考えておられるようだ。
この神社が担ってきたことをあまり気にしていない感じがする。
この神社は名前は神社だけど、私は軍事施設だと思う
戦争に快く行かせる、安心していかせる施設としてこの施設があると思う。
この施設に祀られている方々を顕彰することによって、ほめたたえることによって、多くの人々が安心(?)して戦争に行ったのでは。
私からすれば、A級先般が祀られているとか、宗教施設かどうかということがあまり私にとっては問題ではない。
私が一番問題と感じているのは、
私たちが彼らを顕彰しつづけていること、させられていることにあると思う。
立派な方々であったとほめたたえつづけてきてることが問題であり、そういうことを繰り返すことによって戦争に行く人が続くのだと思う。
天皇には、
私のために死んでくれてありがとう、ではなく、
私のために死なせてごめんなさい、という態度をとってほしい。
私たちも、
あなたたちのおかげで今があるのですありがとう、ではなく、
あなたたちがしたこと、させられたことを忘れません、してはならないことを教えてくださってありがとう。二度と同じことを繰り返しません。
と、誓うことが一番大切なことなのではないだろうか。
A級戦犯が祀られてなかったらよいのか、天皇が参拝できるよう宗教施設でなすだけでよいのか、
そういうことを考えていかなければならないのではないだろうか。
2009年6月 1日
ピンずれで申し訳ないです。 花たち
自分の畑でなすびとキュウリの花を見つけました。 写真を撮ったのですが、すべて後ピンです。コンパクトカメラで撮っているんですが、近距離はなかなか目標物にピントを合わせてくれないオートフォーカス君です。
先日蒔いたほうれん草も芽を出し始めました。また貰ったブロッコリーもキャベツの苗たちも根をつけてくれたみたいです。
なすびとキュウリの花を見てちょっと季節を感じてます。
あと、
ジャガイモも花を持ってます。といってもだいぶ男爵は終わりかけで、今はメークインが花盛りです。
先の写真が男爵であとの方がメークインですこれもピントが合ってません。目の悪い私は撮っているとき合ってるかずれてるかわかりにくいです。カメラの液晶ではわかりづらくPCのモニターではじめてピントがずれていることを知るのです。
晩秋に植えたキャベツが収穫期を迎えてます。でも収穫期を逃して割れだしてるのもあります。もうちょっと大きくなるかと欲張ってしまうとこういうものです。
先日蒔いたほうれん草も芽を出し始めました。また貰ったブロッコリーもキャベツの苗たちも根をつけてくれたみたいです。



