2009年4月アーカイブ: ごぼはんのひとりごと

2009年4月30日

花盛り

今我が家で一番の花盛りはアメリカハナミズキとツツジです。
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畑ではイチゴの花が一休み状態でマメ系の花が咲き誇ってます
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今日の午後から夏野菜用に畑を耕す予定です。
なかなか予定通り進まず、何時になったら夏野菜を植えることが出来るのだろう。

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突貫工事で仕上げました ごぼはんだより

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今朝ちょっと早起きをしてごぼはんだよりをし上げました。
何せ、全く手が着いてなかったのを朝起きて仕上げたという突貫工事ですのでご了承いただかないといけないところも多々あろうかと思います、
完全コピペしても怒られそうにないところからしちゃってます。
でも黙っておいてね。
そういう人にだけ見せて あ げ るheart04
こちらからどうぞ、

今朝起きたら隣にある田んぼに水が入っていました。
いつも早生を植えておられるところです。
美味しい米を作るため県から田植え日の指定がされ、GWではコシヒカリを植えなくなっています。
農家の若い衆にとっては、GWに田植えでなく、家族サービスが出来て良くなったのかな。
ウチでは今アメリカハナミズキが花盛りです。

2009年4月27日

枝豆チャンちょっと成長する

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枝豆がだいぶ生長しました本葉を付けそうになっています。IMG_0849.jpg
トウモロコシも以前から比べるとだいぶ生長してます。IMG_0847.jpg
あと玄関先にあるエンジェルトランペットも葉を持ち始めました。去年よりも早いような何となくします。
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ポスターに付け足す

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ポスターを印刷したあとで、御遠忌テーマを入れると教区か教団から補助が来るっていうことを思い出して御遠忌テーマを付け足し印刷しました。あんまりプリンターには良くないような気がするけど、補助のためにはと思ってしまった訳です。ところで補助はいくら来るんだったんだろう、これだけ苦労しがいは本当にあるんだろうか、ちょっと心配だ

ポスター作る

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今年も同朋大会のポスターを作りました。
といっても去年のデザインをそのまま使ったんですけどね。
PDFのファイルをJPEGの画像ファイルに兼官した他時、何故かアラビア数字が傾いてしまいました。

裁判員制度

先週の土曜日教区の事業で裁判員制度の学習会があった。
裁判員制度は問題であると感じているけど、もう一つ、裁判員制度にして行かざるを得ない私たちの課題、っていうものが聞きたかった。裁判員制度が始まっておこる私たちのメリットというものを知って裁判員制度について反対していこうと思ってた。
裁判員制度について反対する方のお話しだったのであたりませなのかも知れないけど、この裁判員制度っていうことについての絶望視か感じ取れなかった。メリットを質問で聞く元気も全くなくなってった。
裁判員制度を始める目的は、
1998年の自民党司法制度特別調査会の報告によると、「安全な国民生活の確保と構成で円滑な経済活動という国民の基礎を支え」ることのようだ。
司法制度が問題だから替えるっていう訳でないってことのようだ。
また2001年の政府の司法制度改革審議会の意見書には、「基本的人権」という言葉は一度も出てこないし、「民主主義」という言葉は一度しか出てこないそうな。またこの審議会は二度しか開かれていないという形だけの審議だった感じ。
どうも統治者の立場からの改革っていう感じ、私たちの必要性ってことはどうでも良いことのようだ。
どうも破綻しそうな「新自由主義」政策遂行による治安悪化、社会不安の弥縫策なそうな。
そのために審議機関の短縮(裁判員制度とは関係ないけど)と、刑事事件でも重大事件(死刑や無期懲役刑になりそうな事件・故意の犯罪行為によって被害者を死亡させた事件)にのみ裁判員制度が導入されるみたい。
原則裁判官三名、裁判員6名で審議されるそうだけど、法律に対して無関係な者がどれだけ関わっても裁判官中心で審議が進むのは目に見えてる。その中で行政からにらまれてる裁判官が死刑を誘導し、おまえたち国民が死刑を選んだんだって言いたいんだろう。また死刑を連発して悪いことするとこうなるんだという見せしめをしておいて治安を安定させていこうということなんだろう。
国民が国民を監視ししあい、コクミンが国民を裁いていくという閑散とした、ギスギスした国を造ろうとしているようだ。

人が人を裁くということで一番気にしなければいけない免罪ということをどれだけ意識した制度なんだろう。審議期間短縮ということによって、公判前準備手続きによって情報が管理される中でえん罪は絶対に増えないと断言できるのだろうか。

テレビの報道に踊らされやすい私たち、意図された情報管理によってでしかものを考えることを許されてない私たちが、どれだけ正確に人を裁くって言うことが出来るのだろう。
最悪深重煩悩熾盛の私たちが何の訓練も受けず人を裁くっていうkトオノ譏嫌はないのだろうか。
訓練を受けてきた裁判官が審議してきても、どれだけ公正に裁判しようと心がけている人たちがやってもえん罪事件が起こっているんだから、なおさら私たちがやると...
まだ裁判官が裁くっていうことの方がましなような気がする。

何よりも裁判員になるっていうのは私たちの権利として勝ち取ってきたものではなく、義務として押しつけられようとしていることだ。何かそのところが非常に怖い。

裁判員制度が始まることによって審議が短縮されるということが国にとっても、私たちコクミンにとってもメリットといえばメリットなんだろうけど。
私たちは知らない、他国と比べると本当に審議が遅いのか。
他国でのえん罪防止策。
しっかり知らなければならない。

それよりも何より思ったこと。
こういう悪性度が始まる一ヶ月前になって私はやっとこの制度の怖さを知る。
何故もっと前に気づかないんだろう。
政治に対する無関心さ。
そういうことを思い知らされる。
統治者を監視していくっていう意識を私たちは持たないといけないと思った。
統治者は政治家は、私たちコクミンのために何もしない、自分たちの都合の良いように制度を変えていくと、今のままの私が統治者になっても同じことをすることも。
忘れてはいけない。

そういえば今朝ポストの中を見ればナムナムシンポジウムの案内が入ってました。
参加できるかどう勝手いうのは微妙なんですけど
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2009年4月26日

彌陀佛本願念佛

彌陀佛本願念佛 邪見憍慢惡衆生
信樂受持甚以難 難中之難無過斯

<試訳>

阿弥陀仏の本願よりおこる念仏は

よこしまな見方自分を驕るという悪に充ち満ちた私たちは

そのままの心では信じることがとても難しい

憍慢と蔽と懈怠とは、もってこの法を信じ難し。(大経巻上<東方偈> 聖典50)

憍慢と蔽と懈怠のものは、 もってこの法を信ずること難し。(無量寿如来会 聖典160行巻)

もしこの経を聞きて信楽受持すること、難きが中に難し、これに過ぎて難きことなし。(大経下巻 聖典87)


憍慢:おごりたかぶる心。根本煩悩の一。
蔽:聞きようが悪いこと
懈怠:怠って経に報じないこと
邪見:私たち人間の自己中心性を問い、その歪(ゆが)み、傾きを糺(ただ)すことばです。(←→正見)
正見:「正しく眼の無常を観察すべし。かくの如く観ずるをば是を正見と名く。正しく観ずるが故に厭を生じ、厭を生ずるが故に喜を離れ、貪を離る。喜と貪と を離るるが故に、我は心が正しく解脱すと説くなり」といわれる。われわれが身心のいっさいについて無常の事実を知り、自分の心身を厭う思を起こし、心身の うえに起こす喜や貪の心を価値のないものと斥けることが「正見」(samyag-dRSTi, sammaa-diTTi)である。このように現実を厭うことが正見であるなら、人間の日常性を否定する消極的なもののように思われる。しかし、その日常 性の否定は、真実を積極的に追求することから生まれるから、かえって真実の認識の完成である。この意味で「心解脱」といわれ、正見が「四諦の智」といわれ る。この正見は、以下の七種の正道によって実現される。その点で、八正道は、すべて正見である「智慧」の活動してゆく相である。 八正道は全て正見に納まる。
八正道(はっしょうどう、aaryaaSTaaGgo-maargo、आर्याष्टाङ्गो मार्गो)は、釈迦が最初の説法において説いたとされる、涅槃に至る修行の基本となる、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念および正定の、 8種の徳。「八聖道」とも「八支正道」とも言うが、倶舎論では「八聖道支」としている。この 「道」が偏蛇を離れているので正道といい、聖者の「道」であるから聖道(aaryaamaarga)と言う。
(以上Wikipediaより引用)

阿弥陀如来の大悲と釈迦如来の教え(すすめ)と諸仏
の勧め(群賊悪獣が迫り来る縁)
群賊悪獣を群賊悪獣と見抜く力

「讀誦大乘」と言ふは、此れ經敎は之を喩ふるに鏡の如し、數々(しばし)讀み數々尋ぬれば、智慧を開發す。若し智慧の眼開けぬれば、即ち能く苦を厭ひて涅槃等を欣樂することを明す。(観経疏序分義)
今更に行者のために、一つの譬喩を説きて信心を守護して、もって外邪異見の難を防がん。何者かこれや。譬えば、人ありて西に向かいて行かんと欲するに百千 の里ならん、忽然として中路に二つの河あり。一つにはこれ火の河、南にあり。二つにはこれ水の河、北にあり。二河おのおの闊さ百歩、おのおの深くして底な し、南北辺なし。正しく水火の中間に、一つの白道あり、闊さ四五寸許なるべし。この道、東の岸より西の岸に至るに、また長さ百歩、その水の波浪交わり過ぎ て道を湿す。その火焰また来りて道を焼く。水火あい交わりて常にして休息なけん。この人すでに空曠の迥なる処に至るに、さらに人物なし。多く群賊悪獣あり て、この人の単独なるを見て、競い来りてこの人を殺さんと欲す。死を怖れて直ちに走りて西に向かうに、忽然としてこの大河を見て、すなわち自ら念言すら く、「この河、南北辺畔を見ず、中間に一つの白道を見る、きわめてこれ狭少なり。二つの岸、あい去ること近しといえども、何に由ってか行くべき。今日定ん で死せんこと疑わず。正しく到り回らんと欲すれば、群賊悪獣漸漸に来り逼む。正しく南北に避り走らんと欲すれば、悪獣毒虫競い来りて我に向かう。正しく西 に向かいて道を尋ねて去かんと欲すれば、また恐らくはこの水火の二河に堕せんことを。」時に当たりて惶怖すること、また言うべからず。すなわち自ら思念す らく、「我今回らばまた死せん、住まらばま た死せん、去かばまた死せん。一種として死を勉れざれば、我寧くこの道を尋ねて前に向こうて去かん。すでにこの道あり。必ず度すべし」と。この念を作す 時、東の岸にたちまちに人の勧むる声を聞く。「仁者ただ決定してこの道を尋ねて行け、必ず死の難なけん。もし住まらばすなわち死せん」と。また西の岸の上 に人ありて喚うて言わく、「汝一心に正念にして直ちに来れ、我よく汝を護らん。すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ」と。この人すでに此に遣わし彼に喚 うを聞きて、すなわち自ら正しく身心に当たりて、決定して道を尋ねて直ちに進みて、疑怯退心を生ぜずして、あるいは行くこと一分二分するに、東の岸の群賊 等喚うて言わく、「仁者回り来れ。この道嶮悪なり。過ぐることを得じ。必ず死せんこと疑わず。我等すべて悪心あってあい向うことなし」と。この人、喚う声 を聞くといえどもまた回顧ず。一心に直ちに進みて道を念じて行けば、須臾にすなわち西の岸に到りて永く諸難を離る。善友あい見て慶楽すること已むことなか らんがごとし。これはこれ喩なり。次に喩を合せば、「東岸」というは、すなわちこの娑婆の火宅に喩うるなり。「西岸」というは、すなわち極楽宝国に喩うる なり。「群賊悪獣詐り親む」というは、すなわち衆生の六根・六識・六塵・五陰・四大に喩うるなり。「無人空迥の沢」というは、すなわち常に悪友に随いて、 真の善知識に値わざるに喩うるなり。「水火二河」というは、すなわち衆生の貪愛は水のごとし、瞋憎は火のごとしと喩うるなり。「中間の白道四五寸」という は、すなわち衆生の貪瞋煩悩の中に、よく清浄願往生の心を生ぜしむるに喩うるなり。いまし貪瞋強きによるがゆえに、すなわち水火のごとしと喩う。善心微な るがゆえに、白道のごとしと喩う。また「水波常に道を湿す」とは、すなわち愛心常に起こりてよく善心を染汚するに喩うるなり。また「火焰常に道を焼く」とは、すなわち瞋嫌の心よく功徳の法財を焼くに喩うるなり。「人、道の上を行いて直ちに西に向かう」というは、すなわちもろ もろの行業を回して直ちに西方に向かうに喩うるなり。「東の岸に人の声勧め遣わすを聞きて、道を尋ねて直ちに西に進む」というは、すなわち釈迦すでに滅し たまいて後の人、見たてまつらず、なお教法ありて尋ぬべきに喩う、すなわちこれを声のごとしと喩うるなり。「あるいは行くこと一分二分するに、群賊等喚び 回す」というは、すなわち別解・別行・悪見の人等、妄に説くに見解をもって、迭いにあい惑乱し、および自ら罪を造りて退失すと喩うるなり。「西の岸の上に 人ありて喚う」というは、すなわち弥陀の願意に喩うるなり。「須臾に西の岸に到りて善友あい見て喜ぶ」というは、すなわち衆生久しく生死に沈みて、曠劫よ り輪回し迷倒して、自ら纏うて解脱に由なし、仰いで釈迦発遣して指えて西方に向かえたまうことを蒙り、また弥陀の悲心招喚したまうに籍って、今二尊の意に 信順して、水火二河を顧みず、念念に遺るることなく、かの願力の道に乗じて、捨命已後かの国に生まるることを得て、仏とあい見て慶喜すること何ぞ極まらん と喩うるなり。また一切の行者、行住座臥に、三業の所修、昼夜時節を問うことなく、常にこの解を作し常にこの想を作すがゆえに、「回向発願心」と名づく。 また「回向」というは、かの国に生じ已りて、還りて大悲を起こして、生死に回入して、衆生を教化する、また回向と名づくるなり。三心すでに具すれば行とし て成ぜざるなし、願行すでに成じてもし生まれずは、この処あることなしとなり。またこの三心、また定善の義を通摂すと。知るべし、と。(観経疏散善義)
「二者深心」。「深心」と言うは、すなわちこれ深信の心なり。また二種あり。一つには決定して深く、「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫より已来、常に 没し常に流転して、出離の縁あることなし」と信ず。二つには決定して深く、「かの阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受して、疑いなく慮りなくかの願力に乗じ て、定んで往生を得」と信ず。また決定して深く、「釈迦仏、この『観経』に三福・九品・定散二善を説きて、かの仏の依正二報を証讃して、人をして欣慕せしむ」 と信ず。また決定して、「『弥陀経』の中に、十方恒沙の諸仏、一切凡夫を証勧して決定して生まるることを得」と深信するなり。また深信する者、仰ぎ願わく は、一切行者等、一心にただ仏語を信じて身命を顧みず、決定して行に依って、仏の捨てたまうをばすなわち捨て、仏の行ぜしめたまうをばすなわち行ず。仏の 去てしめたまう処をばすなわち去つ。これを「仏教に随順し、仏意に随順す」と名づく。これを「仏願に随順す」と名づく。これを「真の仏弟子」と名づく。(観経疏散善義)

2009年4月23日

季節は動いてる

昨日あたりから用水の水が濁り出しましたし、何となく水量が増えたような、どうも田んぼに水が入り出したようです。
またうちの畑ではまだまだ細いですがアスパラが芽を出し始めました。
それとマメさん関係もイッパイ花を持っています。
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2009年4月22日

沢山芽吹く

トウモロコシと枝豆イッパイ芽を出しています。
昨日のバカ暖かさに促されたのかな
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どうもカリンも花を持っている見たいです。今朝見に行ったら蕾しかなかったですがぁ~
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2009年4月21日

ごめんなさい

今発覚したことがあります。
アーカイブが構築されていなかったことを今知りました。
月別、年別、カテゴリー別、カテゴリー月別のアーカイブを今まで表示してなかったみたいですね。
自分の記事を今調べていてはじめて気づきました。
知らなかったのは私だけだったりして、
とにかく日別のアーカイブしか表示してなかったみたいですね。これっていつからのことなんやろ。

とにかくとにかく、今表示するようにしました。
申し訳ありませんでした。<m(__)m>

こんなんなりました でも今は復活

携帯百景(ケイタイヒャッケイ)
ショック!
お説教に行ってて、話しと話しの間の休憩の時眼鏡を拭いたらポキッとなっちゃいました。
実は二週間ほど前息子のトスバッティングのつきあいをしててボールをよけれず眼鏡に当ててしまい形が崩れてしまい、力づくで直してまして、それも何度も何度も修正をかけていて、...
何気なくティッシュで眼鏡を拭いてたらやっちゃいました。
休憩前とあとで顔が違う。
眼鏡一つないだけで、何となく調子が狂うもんです。
裸ん坊にされたっていう表現はめっちゃ大げさですけど、ちょっとそれに近いような感じでした。

でも仕事が終わり壊れた眼鏡を買ったところに行って同じフレームがあるか聞いたらあって、ホッとしました。
だってなかったらまたレンズも替えなきゃならなくなるし、ということはレンズが届くまでまた数日待たなならんことになっちゃうところでした。

2009年4月20日

つぼみ

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2009年4月18日

枝豆芽だす

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今日の暖かさでかな
朝、芽を出していなかった枝豆が今見てみると芽を出していました。
明日も暖かいようです。

梨の花 ちょっと散り始め

私は今日は決行のんびりムードなのですけど、
外はそうではないようです。
明日市議会議員と市長選挙の投票日、
選挙カーが良く来て
私からすればわめいていっています。
名前の連呼、これが私には耳障りで、他にいうことはないのか!といいたくなるんです。
そういうぼやきはさておいて、
投票に行こう!
選挙の投票に行くのは国民の義務ではなく私たちの権利です。
だから是非行きましょう。
どうしても投票したい人がいなかったら白票でも良いですから、
とにかく投票に行きましょう!


あと梨畑に地下ずくと人がいっぱい
は分の交配作業です。
蜂やその他の虫の変わりに人間が花の花粉付けをされてます。
ここ最近あんまり良い天気でなくて、梨の花が開花してから1に一度は雨がパラ苦器、なかなか花粉漬が出来なかったようで、
皆さん一生懸命やっておられます。
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本当は受粉作業をされている風景の写真を撮りたいのですが、
私人にカメラを向けるの何故か苦手です。特に知っている人にカメラ向けるのダメなんですねぇ
何か恥ずかしいんです。
だからそういう写真は梨です。

ここ二~三日の雨で草ボーボー

蓮の葉もちっちゃいのが顔を出しています。
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畑に行くと草が元気元気困りもんです。
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おかげでこの間蒔いた大根も芽を出してくれています
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ジャガイモも沢山芽を出してくれています。
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キャベツもだいぶ大きくなってくれてます。あと丸まってくれればOKかな
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ニンジンもこの間より大きくなってくれてます

2009年4月16日

同朋唱和は宗風の回復運動

標題のことを最近思ってたんです
同朋唱和は同朋会運動の新たな運動ではなく、以前当然のように行われていたものを回復を目的とするものではないだろうか、なんて思うんです。
そもそも同朋会運動もお講組織の回復運動だと考える私です。
でも最近持論に疑問をもつんです
元来正信偈の草四句目下の勤行を当たり前にしている私たちですが、本来お朝事は草四句目下ではなく、舌々二淘、本山でも別院でも、末寺でもそうだった。
この早いお勤めを昔の人は出来たんだろうか。
この理解しにくいお勤めを門信徒の方々は当たり前に出来たのだろうか。
また月参りというのが昔からあったことなのだろうか。
そんなことを思うと疑問を持つ
そしてそして、お内仏を持つお宅は今のようにたくさんあったのだろうか。
土地を持っている農家や、商売をしている家は持てただろうけど、

歴史をしっかり調べてみないと判らないな
自分の持っている常識の中だけでいろいろ想像しても限界があると思う。

2009年4月15日

芽生えはじめる

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ニンジン

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水菜

この間種を蒔いた種ニンジンと水菜芽を出しています。
この二つはいつも蒔いて結構早く芽を出してくれますし、育てるの簡単です。
ニンジンと同じ日に種を蒔いたほうれん草はまだ芽を出していません。
ポットに種を蒔いたオクラトウモロコシ枝豆は当然まだまだ芽を出す気配がありません。
いうまでもなく一昨日蒔いた青梗菜はまだまだです。大根もそうです。

2009年4月14日

ちょっとウロウロ パチリ

今日もカメラ片手に外に出てみました
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雨がぽつりぽつり降ってきてます

2009年4月13日

今日一日

今日の午前中は四男坊が保育所に行くのを見送って、その後カメラを持って家のまわりを散策
その後月参り、
その後ネギを植えたくなって、ランチがてら嫁さんとお出かけ、
讃岐うどん屋さんに入りました。

本場讃岐うどん 好日庵


ホームセンターに行ってネギの苗と、ヒメダカ50匹を購入。
家に帰りヒメダカを蓮が植えてあるところに話し、その後ちょっと一眠り。
息子たちが帰ってきて、プールに行く準備するのを見て、畑へ。
ネギを植えるため耕して、ネギを植えて、水をやり、その後、青梗菜の種を植えたとさ。
冨山のネギは基本的に白ネギ、っていうか根深ネギです。
白ネギの西の端はどこなんだろ。
福井県かな?シガケンかな?

その後四男坊が「きゃっちぼうる」しよ、っていうので、見てました。
ボールをバットに当てて遊んでました。
丁度良いところにヤクルトやさんが来て家に入り、今に至ってます。
ちょっと疲れたかな。

カメラを持って家のまわりをウロウロ

天気が良くて気分の良いのでカメラを持ってちょっと家のまわりをウロウロしましたとさ。
昨日午後から次男の野球の練習にいって、球拾いをしてちょっとはしり過ぎちゃって、筋肉痛であるますよ。

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2009年4月12日

忘れとりました アップしときます

4月無畏片間全生園で花まつりがあり参加しました。
ちなみに花見ではありません。。また桜祭りでもありません。
その模様をちょっとだけアップしておきます。
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昨日は

昨日は寝坊しまして、ちょっとびっくりでしたわ
朝近くのお宮さんの春祭りで雅楽を奏でにいって
終わって、お寺に戻り、獅子舞が来るのを町、そしてお宮さんに於あったが楽太鼓をはこび、
あとは月参り。
午後からは、畑に出て、畝を作って大根の種を蒔いたとさ。
あと、ネットでETCを買って車にとりつく用としたのですが、今の車配線がいっぱいあってどれが電源のコードなのか判らずでした。ちょっと断念、とりあえずシガーレットから採ることにしますわ。
今日の予定は午前中月参り、午後から子どものやきゅうの練習を見に行こうと思っています。
本当は三男坊の野球の練習が午前中、午後から次男坊となったみたいですが、一日もつきあえませんので...

2009年4月11日

梨の花 咲き始める

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梨の花が咲き始めています。
この花は後輩用というか、尾所梨系の花です。
話しによると梨野は那覇は薬味になるものに限って遅く花を咲かせ、遅く実を付けるものは早く花を咲かすそうです。
今近所の農家さんは交配用の花粉と採るために梨の花を採っておられます。
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境地かくのお宮さんで春祭りやってるんですが、先補とお参りのため村の中を回っていると多くの農家さんで花摘みをされています。
さっきまでいっしょにお宮さんに居られた人も何人かもう梨畑に出ておられます。
雅楽の先輩方も数人、ぎりぎりにやってこられ、さっさと引き上げて行かれました。
今日は皆さん忙しそうです。
祭をやっている暇がないっていうヤツです。
といっても昔みたいに各家々で祭をするっていうわけでないですけどね。
まいにちごっつぉを食べてる私たちですから...
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とにかくとにかく今日も良い天気です。長袖のTシャツで昼間は過ごせそうです。

2009年4月10日

今日は...

今日は畑の草むしり、
あと水菜の種を蒔いて、
あとポットに、
枝豆、トウモロコシ、オクラの種を蒔いた。
あっという間に時間が経ってしまった。
外は梨の花が咲き始めていました。
写真は後日に
農家の人は花を摘んで花粉採りの準備をされていました。
明日在所にある神社の春祭りなんだけど、どうも、農家の人はそれどころじゃないみたい。
明日も梨の花摘みで忙しそうです。

明日午後からでも大根の種を蒔こうかな。

すごろく


すごろくで親鸞さまに触れて東本願寺出版部が商品化(京都新聞)

 真宗大谷派の東本願寺出版部(京都市下京区、東本願寺内)は、子どもたちが宗祖親鸞の人生を遊びながら学ぶ「親鸞さますごろく」を作った。誕生がふりだし、入滅があがり。サイコロを振って進むうちに、得度や法然との出会い、流罪...と親鸞の生涯や思いをたどっていける。

 宗派の「同朋新聞」の昨年7月号に、子ども向けにこのすごろくを掲載したところ好評で、商品化の要望が相次いだという。

東本願寺の春の法要の時お参りに行って子ども達のおみやげに買っていきました。
小学六年から年少組にもならないウチの子ども達4人がいっしょに遊んでいました。
こういう簡単な遊びの方が世代を超えて遊べるんだと気づかせていただいた。
次の子ども会の時にでもいっしょにやろうかと思ってます。

ウチの子ども達は三日ほど遊んでくれましたが、もう飽きたみたいでもう見向きもしません。
残念です。

さくら満開

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昨日、お参りの移動で、わざわざサイクリングロードを通った。
目的は桜。
ウチから一番近い桜ヶいっぱいあるところだ。
なかなか良い感じでしたね。
近所の人たちが木下で楽しそうにいっぱいやっておられました。
知った顔ばっかりでしたので、声をかけられないかと心配、
かけてほしい思いと、まだ仕事残ってるってるから声かけてほしくないという思い。
二つが同居してました。
挨拶だけで済みました。
ちょっと寂しかったです。結局。
ここ数日暖かい日が続いてます。
長袖のTシャツ一枚で過ごせそうな陽気でした。

でも夜はまだまだ寒いです。

菊芋昨日植えました。
生命力jの強い食物だそうで、畑の隅っこを耕して植えました。

2009年4月 9日

前進座公演 法然と親鸞

昨日は「法然と親鸞」を観てきました
はじめて演劇をしっかり観たような
三部構成で三時間ぐらいかかったのかな。
内容についてはいつものようにスルーします。
今日が北陸公演の最終日砺波であります。
こういう説を取り入れたのと思った部分も結構ありました。
これを観て一番思ったのは、
自分は法然さんのことを師法然としてしか見てなかったと思った。
親鸞さんの師匠としての法然としてしか見てなかった。
彼も求道者なんだ。
苦悩の中で様々悩まれ歩んで行かれたんだと
何故かそういうことをしみじみと思った。
彼の歩み、彼の言葉をあまりにも知らなすぎ、と思い。
しばらく彼の語りかけた言葉を学ぼうとひそかに決意。

そういう感じでした。

2009年4月 3日

浄土の顕彰

顕彰とは個人の功績や善行を讃えるということであろう。
私たち念仏者の顕彰とは還相の菩薩として顕彰するということになる。
還相の菩薩とは私を浄土に導いてくださった菩薩様ということ。
故人を浄土に導いてくださったお方として讃えるということは
私たちの概念としてのほめたたえるということとはちょっと違うのではないだろうか。
私が浄土に生まれることとして大切なことは「世を厭う」ということであろう。
浄土を願う心のもとを私に植え付けてくださった方が還相の菩薩様なのだろう。
「愚者になりて往生す」という法然上人のお言葉をたよりにするなら、
愚者の自覚をくださる方が還相の菩薩となろう。
我が身は罪悪深重煩悩熾盛
火宅無常の世界はよろづのこと、みなもっと、そらごと、たはごと、まことあることなき世
を私たちに示してくださっているのです。
そういうことを指し示してくださったお方として讃えていくことが浄土の、浄土真宗の顕彰、浄土真宗のちぃちょうということなのではないでしょうか。
人間の愚かさを身をもって示していただく方としてほめたたえていくことも浄土の顕彰となることでしょう。
立派な人として讃えていくというよりは
尊いことを教えてくださったお方と讃えていくことなのでしょう。






そういうことを昨日東本願寺の全戦没者追弔法要に参加していただき思わせていただいた次第です。

ご影堂修復

携帯百景(ケイタイヒャッケイ)
昨日は東本願寺の全戦没者追弔法会にお参りさせていただきました。
開始まで時間があったので、
ご影堂の修復状況を見させていただきました。
金具がまぶしいぐらい輝いてました。
そういうものに見慣れない私は、ご影堂は落ち着きがあるべきだなんて思ってしまいました。
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御影のお厨子も輝いてました。金具は梅酢で汚れを落とし、その他はイオン水やら、電子水で洗っただけだそうです。結構奇麗になってます。

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余間の蓮池の画なんですが、正直、写真との違いを感じました。新聞などで掲載されていたmのは奇麗に色が復活しているように写ってたんですが、現物を見ると、そんなにでなく、ちょっとくすみを感じた。
まぁそれぐらいで丁度良いのでしょうけど。
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ふすま絵はホンモノでないそうです。これも修復したそうですが、今は至宝展の方にいっていて、模造品だそうな。
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ここぞとばかりに欄間も写真を撮っておきました。見真の額は全然いじってない感じでした。っていうか、まだかけてあるじゃん、って感じでした。これを機におろそうって言うことにはならなかったみたいです。
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その後法要にお参りをさせていただきました。
式次第は一般的な寺院で行われるものとはさほど変ってませんでした。
下臈出仕で楽が入っているのに挿鞋でなく、藺草履だったって先輩は首を傾けてました。
私は裃を着けた人がいたことに驚きました。時代劇でしか見たことなかったので。
それと、ご門主さんが登高座をなさったのですが、登高座額で登高座をされず、伽陀中になさってました。阿弥陀堂でも早津百合の伽陀を思いっきりゆっくりされていてぎりぎり間に合ったって感じなのに。これをご影堂でするとなるとどうなるのだろうか、出来るのだろうかと疑問に、不安になりました。

あと高橋哲哉さん講演会があって、そこまでいたんですが、基本的に寒かったです。掘るの京都と思っていったのが間違えでした。風邪引きそうでした。
話しの最後に「戦争絶滅受合法案」なるものを紹介されました。
正直笑っちゃいました。
私は戦争するなら、戦国時代みたいに将軍が先頭に立ってすべきだ、そうでなくなったから戦争で死ぬ人が増えるんだと思っていたことがあったんですが、そういうことを以前から思っていた人がいるんだと思いました。
戦争絶滅受合法案はこういうところに掲載されています。
追弔するという意味をもっともっと念仏の眼差しで吟味しないといけないと思いました。
そして顕彰するということも、何をほめたたえるのか、何に尊むのか。それを明らかにしないと大変なことになっていく。
戦争でなくなった人の悲しみを題字にしないと、その悲しみを心に刻み生きていかないとと思いました。その歩みこそ、殺さない、殺させない、殺されないだと思います。

帰りこんなものも見つけました。
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木之元西徳寺

携帯百景(ケイタイヒャッケイ)
一昨日、木之元西徳寺に団参のメンバーで訪れました。
このお寺は道場形式を携帯を残してある寺院。
ここには蓮如さんの名号と、惣道場として建てられたときから使っている(?)三具足が現存してました。
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私たちが参拝するということで住職さんは特別蓮如上人がお書きになった名号を安置してくださったそうです。。感謝です。
単純に鶴亀の燭台はいつから使いようになったのかっていうことを思いました。
私の記憶によれば、鶴亀の燭台は、東照宮にあったような気がします。そして桃源郷をあらわすものでなかったかな。
本山に懇志を上納する度に本尊の下付、宗祖の像の下付などが続き、寺院形式になっていったそうです。
あまり如来のお木像を重視してなかったようです。いただいたから仕方ないみたいで...
この本堂は、文化財に指定され、復元したというか、江戸期の形に戻したそうなんですが、
そのときまであった、欄間、巻障子、等々のご寄付いただいたものはどこに行ったんだろうかと思ったり、よく復元することを了承されたと思いました。
使わなくなったらん魔などほしいものだっていう声も聞こえてきましたし、わしも思った次第です。
蓮如上人の時代惣道場として建てられたときは、床の間に名号をおかけする形だったそうです。何か善光寺聖の方々の住まいを思い浮かべました。

住職さんのお話で心に残ったのは、寺の住職だから信心があるものとは限らない、信心は門徒と共に磨いていくものだとおっしゃっておられました。
住職は、判断する能力を持っているだけ、教学をしっているだけ、とおっしゃっておられたことに改めて頷かせていただきました。
肩の荷を下ろさせていただいたような気になりました。

2009年4月 2日

今日は御遠忌参拝の下見

きょうはお寺を離れて滋賀県方面に来ています
携帯百景(ケイタイヒャッケイ)
朝の七時に高岡を出発してまずは高月の渡岸寺
、十一面観音が有名らしいです。っていうか国宝やら重文なそうな うしろから姿が見られておもしろかった。
 あと廃仏毀釈のころのこのお寺のうごきにすごく興味を持った
 次は
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木之元西徳寺ここは信州の道場形式の建て方が残る最も古い寺院らしいです。
住職さんのお話が、なぜか耳に残る
善光寺聖としての道場ということがしっかりうかがえる建て方でした。
次に伺ったのは長浜、どこかで食事をして大通寺に
ここはそれなりにそういうもの
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建物の歴史とはいろんな話しを聞いたのだけど、私は興味なし、
本堂前の桜が奇麗に咲いていることが一番記憶に残っています。
最後に五村別院
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教如上人ゆかりの地だそうですが、東西分派のことを思えば何故か感慨深くなりました。
その後は、時間をかけて雄琴にある雄山荘食事などまぁまぁとしとしておく
明日はほんんざんの戦没者追弔法要に参拝です。

2009年4月 1日

イチゴ 花咲く

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昨日畑に出てみるとイチゴの花が咲いてました。
昨日は、午後から畑でお遊び、
この間ホームセンターでキャベツの苗があるのが気になってて、
午前中はホームセンター巡り、
でも二軒ハシゴしたのにキャベツの苗売ってませんでした。
ちょっとすねながら肥やしと種を数種類買いました。
午後から家に一番近いホームセンターに再チャレンジ。やっとありました。午前中同じ系列店に行ったのにそこにはありませんでした。同じ店でも於あるものと置いてないものがあると実感。田舎には田舎向きのものがあるんだと自分で頷きました。
帰ってから
早速キャベツを植えようと畑へ。
以前キャベツを植えた列にまだ余裕があったと覚えていたので苗を持ってそこに行くと場所はあったのですが、畝が存在してませんでした。崩れたのかな。
早速畝を作る。
めんどくさくて耕耘機を持ち込んで早速取りかかろうとすると、...
エンジン停止。
どうもがず欠のようです。
仕方がなく鍬で作り直しました。
キャベツ五つ、レタス三つ植えました。
あと、ちょっと遅い感じもするけど、菜っ葉系を植えようとまた畝作り
運動不足の俺途中でへこたれました。
夫と、
もしかしたらチョリタンクニまだガソリンあるかもと思い、
確認にいったら結構あり、
はじめに確認しておけばよかったと後悔。
こんな苦労しなくてよかったのに。
耕し、
ほうれん草、にんじんの種を蒔きました。
こういう細かい作業も苦手です。
集中力がどうしても欠けて仕事が粗くなってきます。
そういえば水菜と青梗菜の種を買うのを忘れてたことを思い出させていただきました。
いま種に色がついているのあるのです。こんかいのほうれん草も紫の色がついてました。この間買ったときもそうだったかも知れない。
見やすくて便利です。どういう感覚で蒔いてあるか一目でわかります。
私の場合はへたくそなのがすぐ判ります。
1時半頃から畑にいたのですが、気づけばもう4時。
あわててお参りに行き、
その後次男のやきゅうの練習を見に行きました。
今日は良い点でしたが風が冷たかったです。

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これから、というか今日明日と、京都方面に出かけます。
教区の仕事で御遠忌団参の下見というか、内見会のようなものです。
全戦没者追弔法要に参拝の予定です。
多分とっしょりのつきあい大変かも。
各組からに三名参加での行事ですから、バス一台にはいるだけの人が来るはずです。計算してみると、そうでもないか、25人ぐらいの参加なのかな?
ようわかってません。
とにかく行ってきます。