2008年11月24日
2008年11月22日
ケンタ君を味わう
2008年11月20日
2008年11月19日
ごまんさん
次の日曜日私が所属するお寺ではおっひっちゃはんがつとまります。
自分の中でこの行事の名前が定まってません、おっひっちゃはんといったり、ごまんさんといったりしています。
元々11月28日の親鸞聖人のご命日に勤めていたのですが、諸事情により本山の報恩講中の日曜日に催すようになってます。
おっひっちゃはんはお七昼夜という言葉がもとになってなまった言葉だろうと思ってます。本山の報恩講は七昼夜勤められることからそういわれるのでしょう。
ごまんさんは、御満座という言葉が、人格化した(?)形なのでしょう。御満座も本山の報恩講最終日の日中のお勤めを指す言葉です。
とにかく親鸞聖人のご命日に勤める仏事です。
昔聞いた話しでは、
本山から百里以内に噎すものは真宗門徒は本山の報恩講に参らなければならなかったそうですが、百里以上離れているところでは、近くの真宗のお寺にお参りしなければならなかったそうです。
本山の報恩講にお参りできない人のために末寺では、本山の御満座にあわせてつとめていたようです。私の所属するお寺では私が小さいときは一昼夜勤めてました。御伝鈔の読誦も報恩講では上巻を読み、ごまんさんでは下巻を読む、っていう感じになっていたそうです。
とにかく私の所属するお寺の今年最後の年中行事です。
年の瀬を感じます。ちょっと早いかな。
討のごまんさんでは伝統的にお説きの時、シイナのごはんが出されます。
シイナというのは青じそを乾かしたものをごはんに塩と混ぜたごはんです。
後は報恩講と同じような内容です。いとこに(報恩講の時はいとこ煮でなく小豆の味噌汁です。愚が小豆と豆腐。)、大根の煮染め、花麩、昔はほうきん(とんぶり)の胡麻和えも添えられていたような気がします。
自分の中でこの行事の名前が定まってません、おっひっちゃはんといったり、ごまんさんといったりしています。
元々11月28日の親鸞聖人のご命日に勤めていたのですが、諸事情により本山の報恩講中の日曜日に催すようになってます。
おっひっちゃはんはお七昼夜という言葉がもとになってなまった言葉だろうと思ってます。本山の報恩講は七昼夜勤められることからそういわれるのでしょう。
ごまんさんは、御満座という言葉が、人格化した(?)形なのでしょう。御満座も本山の報恩講最終日の日中のお勤めを指す言葉です。
とにかく親鸞聖人のご命日に勤める仏事です。
昔聞いた話しでは、
本山から百里以内に噎すものは真宗門徒は本山の報恩講に参らなければならなかったそうですが、百里以上離れているところでは、近くの真宗のお寺にお参りしなければならなかったそうです。
本山の報恩講にお参りできない人のために末寺では、本山の御満座にあわせてつとめていたようです。私の所属するお寺では私が小さいときは一昼夜勤めてました。御伝鈔の読誦も報恩講では上巻を読み、ごまんさんでは下巻を読む、っていう感じになっていたそうです。
とにかく私の所属するお寺の今年最後の年中行事です。
年の瀬を感じます。ちょっと早いかな。
討のごまんさんでは伝統的にお説きの時、シイナのごはんが出されます。
シイナというのは青じそを乾かしたものをごはんに塩と混ぜたごはんです。
後は報恩講と同じような内容です。いとこに(報恩講の時はいとこ煮でなく小豆の味噌汁です。愚が小豆と豆腐。)、大根の煮染め、花麩、昔はほうきん(とんぶり)の胡麻和えも添えられていたような気がします。
2008年11月17日
仏事としての獅子舞
いろんな迷想の結果、今獅子舞について考えて遊んでいます。
越中の獅子舞のほとんどは江戸後期、明治初期より始まった「芸能」であります。特徴としては、ムカデ獅子です。春祭りや秋祭りの時にかく村々で舞われます。最大の特徴は何といっても、獅子討がいることです。花笠をかぶった子どもがすることもありますが、天狗のお面をかぶって獅子討をします。
基本的には百獣の王の獅子がいるということによって悪魔が近づくことが出来ない、そういうことがイメージされるものなのでしょうが...獅子に悪魔払いをしてもらうということが基本なのですが、越中ではそうではないのです。獅子討といいますけども、多分、獅子を司る、操る、調教する存在ががいるのです。獅子の調教したるものが獅子討だと思うのです。その獅子討は巫女をイメージする花笠をかぶった子どもが演じたり、山伏をイメージして天狗の面をかぶったものが演じたりします。
所によっては、花笠をかぶった子どもが獅子討をしてもどうにも出来なくなり、天狗が変って征伐するという物語に準じて舞われるところもあるようです。
基本的に伸司として越中でも獅子舞は見なされるのですが、
私は獅子討として天狗がいることに注目をします。
悪罵払いをしたり、紙成る存在との接点を結ぶのは巫女や神主だけではなく、天狗なるる修験者がするのだということが、越中の国には常識としてあるのだと私は思います。
考えてみれば神社は各村落にに少なくとも一つはあります。でもその村落すべてに巫女や神主がいるかといえばそうではありません。住職のいないお寺は少ないですが、神主のいない神社は結構あります。そしてその社を守ったり、村の悪魔払い的な仕事をしていたは、少なくとも明治初期までは、山伏や、聖(ひじり)といわれる非僧非俗の仏教者だったのであったのではないかと私は越中の獅子舞より推測するわけです。
神を操るという表現は変ですが、神との接点として、神の通訳者として山伏たちがいろんなところに君臨していたのではないかと思います。
真宗の勢力が強い北陸ということを考えても、親鸞の弟子のほとんどが善光寺聖であったという説があるぐらいですから、善光寺聖も越中の各地を回ったことでしょうし、立山白山の修験者、医王山の修験者やその他の山伏は越中の国を結構うろうろしていたのではないかと想像します。
越中の獅子を天狗が操って悪魔払いをしていくという獅子舞は私は
神事ではなく、仏事だと思うのです。
それがそうしたといわれればそれまでなのですが、仏教者としてそんなことを自己主張したいのです。明治以後廃仏毀釈により山伏さんたちが各村落の社から切り離され、食べていくのに困って、山伏がどんどん減っていったことなのでしょう。
、
越中の獅子舞のほとんどは江戸後期、明治初期より始まった「芸能」であります。特徴としては、ムカデ獅子です。春祭りや秋祭りの時にかく村々で舞われます。最大の特徴は何といっても、獅子討がいることです。花笠をかぶった子どもがすることもありますが、天狗のお面をかぶって獅子討をします。
基本的には百獣の王の獅子がいるということによって悪魔が近づくことが出来ない、そういうことがイメージされるものなのでしょうが...獅子に悪魔払いをしてもらうということが基本なのですが、越中ではそうではないのです。獅子討といいますけども、多分、獅子を司る、操る、調教する存在ががいるのです。獅子の調教したるものが獅子討だと思うのです。その獅子討は巫女をイメージする花笠をかぶった子どもが演じたり、山伏をイメージして天狗の面をかぶったものが演じたりします。
所によっては、花笠をかぶった子どもが獅子討をしてもどうにも出来なくなり、天狗が変って征伐するという物語に準じて舞われるところもあるようです。
基本的に伸司として越中でも獅子舞は見なされるのですが、
私は獅子討として天狗がいることに注目をします。
悪罵払いをしたり、紙成る存在との接点を結ぶのは巫女や神主だけではなく、天狗なるる修験者がするのだということが、越中の国には常識としてあるのだと私は思います。
考えてみれば神社は各村落にに少なくとも一つはあります。でもその村落すべてに巫女や神主がいるかといえばそうではありません。住職のいないお寺は少ないですが、神主のいない神社は結構あります。そしてその社を守ったり、村の悪魔払い的な仕事をしていたは、少なくとも明治初期までは、山伏や、聖(ひじり)といわれる非僧非俗の仏教者だったのであったのではないかと私は越中の獅子舞より推測するわけです。
神を操るという表現は変ですが、神との接点として、神の通訳者として山伏たちがいろんなところに君臨していたのではないかと思います。
真宗の勢力が強い北陸ということを考えても、親鸞の弟子のほとんどが善光寺聖であったという説があるぐらいですから、善光寺聖も越中の各地を回ったことでしょうし、立山白山の修験者、医王山の修験者やその他の山伏は越中の国を結構うろうろしていたのではないかと想像します。
越中の獅子を天狗が操って悪魔払いをしていくという獅子舞は私は
神事ではなく、仏事だと思うのです。
それがそうしたといわれればそれまでなのですが、仏教者としてそんなことを自己主張したいのです。明治以後廃仏毀釈により山伏さんたちが各村落の社から切り離され、食べていくのに困って、山伏がどんどん減っていったことなのでしょう。
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2008年11月12日
タマネギ植える
昨日、
苺の植え替えと、タマネギを植えました。
久しぶりに耕耘機を使ったということ、
多分それよりも、久しぶりに畑をいじったっていうことがあって、つかれちゃいました。
普通のタマネギ100ぐらい、
今回はマルチをかけてやってみました。
アカタマネギも50本ぐらい。
今年は大木のが収穫できなかった、その原因は多分間を詰めすぎたからだとかってに結論づけて、穴あきマルチの力を借りてある程度間隔を開けました。そういうわけでマルチなんです。
明日は時間があったら豆でも蒔いてみようかと思っています。
つかれました。
畑仕事だけでつかれたのではなく、畑について対人的にトラブルを起こしてしまい、
反省しています。
私が悪いなんて派思ってはないんだけど、
言い方の悪さ、冷静さの欠如
反省するというか、落ち込んでしまいます。トホホです。(*_*)
そんな正解智度ネタのですが、こんな時間に起きてしまってます。
苺の植え替えと、タマネギを植えました。
久しぶりに耕耘機を使ったということ、
多分それよりも、久しぶりに畑をいじったっていうことがあって、つかれちゃいました。
普通のタマネギ100ぐらい、
今回はマルチをかけてやってみました。
アカタマネギも50本ぐらい。
今年は大木のが収穫できなかった、その原因は多分間を詰めすぎたからだとかってに結論づけて、穴あきマルチの力を借りてある程度間隔を開けました。そういうわけでマルチなんです。
明日は時間があったら豆でも蒔いてみようかと思っています。
つかれました。
畑仕事だけでつかれたのではなく、畑について対人的にトラブルを起こしてしまい、
反省しています。
私が悪いなんて派思ってはないんだけど、
言い方の悪さ、冷静さの欠如
反省するというか、落ち込んでしまいます。トホホです。(*_*)
そんな正解智度ネタのですが、こんな時間に起きてしまってます。
2008年11月 8日
DVDみる
昨日のんびりとDVD観賞しました。
二つ見ました。
一つは今年行われた冨山別院の蓮如500,そして親鸞聖人750お待ち受け法要で行われた音楽法要の模様。これを一昨日?一昨昨日?どっちか忘れたけど頂いたので早速見させていただ他のだ。
十数年前本山の春の法要中の音楽法要に一度あったことがある。
末寺でももう少し小規模で行えないかと思った。是非一度やってみたいと感じた。
ふと思ったことが一つ!
何故「音楽法要」という名のだ!
混声合唱で行うものを音楽法要というのだったら、一般的に行われている法要も、音楽法要ではないか!
私はそう思う。
声明は音楽ではないということなのだろう
どちらも聖教に節をつけて読誦している。
何ら変わらない、一つは相続してきたもの、もう一つは西洋音楽的に作ったもの。
それだけの違い。
とにかく私は混声合唱で行う法要を「音楽法要」っていうのに
少し違和感をこのDVDを見て感じた訳なのです。
もう一本は
靖国 YASUKUNI
この間アマゾンで買っていたのを見ました。
ようやく見たって感じ、一時期あんなに騒がれていたんだけど、いつの間にか頭の中から記憶が消去されていたんだけど、
何人かのお方がレビューをブログでかかれているのを見て、そういうのがあったなぁ~もうDVDになっているのか、なんて思って、購入したわけです。
見て思ったのは何故あんなに騒がれたのかよくわからなかった。
私にはめちゃくちゃ靖国神社を批判することが前に出ているものだとは思わなかった。
全くないとは思わないけど、ほとんど感じなかった、私は。
もしかするとこの映画を非難している根拠の一つには「日本人以外が靖国を論ずるな!」「中国人が靖国を論ずるな!」っていうのがあるのかと思う。
映画の中で、星条旗を揚げて靖国賛成、小泉に賛同しているアメリカ人を、星条旗を靖国で星条旗を揚げているということだけで怒鳴っているし^-んと何となく重なる。
また、「中国に帰れ!」トド鳴り続けているシーンが思い出される。
何故冷静になれないのだろう。他者の話を聞き入れることを最初に拒否してしまうのだろう。
あの映画を見て「あの映画はよくない」という人がおられるのならば、その意見は大切に聞き取るべきことだろうと私は感じた。
どこを見て件を感を感じたのか、それを知ることが靖国神社に対して批判的な私には大切なことだと思った。
私の立場は、靖国神社という軍事施設に対しては批判的だ。どういう役やりを果たしてきた施設なのかを考えると、もしかして靖国神社が存在しなかったら、あんな多くの人が戦争に行って死んでこなかったろうし、人を殺してこなかったと思うからだ。
でも靖国神社や、護国神社、忠魂とうにお参りする人を批判しきれない。悲しいことだけど、でも何となく主入りする気持ちは少し理解できる。
そして二度と戦争を繰り返してほしくないと願っている人も沢山おられることを私は知っている。
ただ靖国神社にお参りする人たちのすがたを利用して、戦争を賛美し、戦争することに利用しようとしている人がいることを私は知っている。そのことを恐れている。
私たちの教団が、そして私たちの国が、戦後の対応を何もしていないと私は感じている。
置き去りにしてきた遺骨などを一つ一つお返ししていくという行動をする中で、その人の兵士としての歴史、どういうことをしたのかということを明らかにしrうぃかなければいけないと思う。
戦争犠牲者一人ひとりにそれぞれの謝罪をしていかないといけないと考える。
それをしないと戦後が終わらない気がする。
靖国といっしょにパッチギ!LOVE&PEACE スタンダード・エディション
も買ってます。まだ見てないけど。
二つ見ました。
一つは今年行われた冨山別院の蓮如500,そして親鸞聖人750お待ち受け法要で行われた音楽法要の模様。これを一昨日?一昨昨日?どっちか忘れたけど頂いたので早速見させていただ他のだ。
十数年前本山の春の法要中の音楽法要に一度あったことがある。
末寺でももう少し小規模で行えないかと思った。是非一度やってみたいと感じた。
ふと思ったことが一つ!
何故「音楽法要」という名のだ!
混声合唱で行うものを音楽法要というのだったら、一般的に行われている法要も、音楽法要ではないか!
私はそう思う。
声明は音楽ではないということなのだろう
どちらも聖教に節をつけて読誦している。
何ら変わらない、一つは相続してきたもの、もう一つは西洋音楽的に作ったもの。
それだけの違い。
とにかく私は混声合唱で行う法要を「音楽法要」っていうのに
少し違和感をこのDVDを見て感じた訳なのです。
もう一本は
靖国 YASUKUNI
ようやく見たって感じ、一時期あんなに騒がれていたんだけど、いつの間にか頭の中から記憶が消去されていたんだけど、
何人かのお方がレビューをブログでかかれているのを見て、そういうのがあったなぁ~もうDVDになっているのか、なんて思って、購入したわけです。
見て思ったのは何故あんなに騒がれたのかよくわからなかった。
私にはめちゃくちゃ靖国神社を批判することが前に出ているものだとは思わなかった。
全くないとは思わないけど、ほとんど感じなかった、私は。
もしかするとこの映画を非難している根拠の一つには「日本人以外が靖国を論ずるな!」「中国人が靖国を論ずるな!」っていうのがあるのかと思う。
映画の中で、星条旗を揚げて靖国賛成、小泉に賛同しているアメリカ人を、星条旗を靖国で星条旗を揚げているということだけで怒鳴っているし^-んと何となく重なる。
また、「中国に帰れ!」トド鳴り続けているシーンが思い出される。
何故冷静になれないのだろう。他者の話を聞き入れることを最初に拒否してしまうのだろう。
あの映画を見て「あの映画はよくない」という人がおられるのならば、その意見は大切に聞き取るべきことだろうと私は感じた。
どこを見て件を感を感じたのか、それを知ることが靖国神社に対して批判的な私には大切なことだと思った。
私の立場は、靖国神社という軍事施設に対しては批判的だ。どういう役やりを果たしてきた施設なのかを考えると、もしかして靖国神社が存在しなかったら、あんな多くの人が戦争に行って死んでこなかったろうし、人を殺してこなかったと思うからだ。
でも靖国神社や、護国神社、忠魂とうにお参りする人を批判しきれない。悲しいことだけど、でも何となく主入りする気持ちは少し理解できる。
そして二度と戦争を繰り返してほしくないと願っている人も沢山おられることを私は知っている。
ただ靖国神社にお参りする人たちのすがたを利用して、戦争を賛美し、戦争することに利用しようとしている人がいることを私は知っている。そのことを恐れている。
私たちの教団が、そして私たちの国が、戦後の対応を何もしていないと私は感じている。
置き去りにしてきた遺骨などを一つ一つお返ししていくという行動をする中で、その人の兵士としての歴史、どういうことをしたのかということを明らかにしrうぃかなければいけないと思う。
戦争犠牲者一人ひとりにそれぞれの謝罪をしていかないといけないと考える。
それをしないと戦後が終わらない気がする。
靖国といっしょにパッチギ!LOVE&PEACE スタンダード・エディション
2008年11月 6日
change
アメリカの大統領選挙に依ってオバマ氏が勝利したようだ。
白人でない人が初めてアメリカ大統領になるということは画期的なことなのだろう。
私はアメリカとの直接的な利害関係はない、でも、彼は何かやってくれるようなきが少しはする。
だけど、
正直、アメリカの大統領選挙はお金がかかるんだなぁ~なんて思わされる。
あきれかえるぐらいテレビコマーシャルをながしたり、イベントのように演説会にお金をかけたり...
多分、私がこの世に生まれてから死んでいくまで手にする以上のお金が選挙にかかったことだろう。
アメリカの大統領には誰でもなれるというわけではないと云うことだ。
大統領選を戦うだけの資金を持っていなければいけない。
支援者よりも、支援金が必要だ。
この資金によって、自分を苦しめると云うこともあるのだろう。
自分一人の資金ならともかく、資金を出してくれる支援者がいるわけだ。
候補者が本当に好きで支援する人もいるだろうが、
バランス感覚のうえで投資として支援する人もいることだろう。
多分、自分一人の意志だけでは動くことが出来ないだろう。
支援者、巨額の支援金を出してくれた人たちの思惑も彼は虫はこれからは出来ないだろう。
そのことが凄く心配だ。
チェンジchange
変ることは大事だ。
でもコイズミクンのように叫ぶだけではいけない。
特定の人だけが得をする変革ではいけないのだ。
どう変るのかはもっと大事なことだ。
日本のきな臭い政治をテレビから見ている私にとって、
アメリカがどう変っていくのかが心配だ。
お金に負けるな!
私はそういいたい。
白人でない人が初めてアメリカ大統領になるということは画期的なことなのだろう。
私はアメリカとの直接的な利害関係はない、でも、彼は何かやってくれるようなきが少しはする。
だけど、
正直、アメリカの大統領選挙はお金がかかるんだなぁ~なんて思わされる。
あきれかえるぐらいテレビコマーシャルをながしたり、イベントのように演説会にお金をかけたり...
多分、私がこの世に生まれてから死んでいくまで手にする以上のお金が選挙にかかったことだろう。
アメリカの大統領には誰でもなれるというわけではないと云うことだ。
大統領選を戦うだけの資金を持っていなければいけない。
支援者よりも、支援金が必要だ。
この資金によって、自分を苦しめると云うこともあるのだろう。
自分一人の資金ならともかく、資金を出してくれる支援者がいるわけだ。
候補者が本当に好きで支援する人もいるだろうが、
バランス感覚のうえで投資として支援する人もいることだろう。
多分、自分一人の意志だけでは動くことが出来ないだろう。
支援者、巨額の支援金を出してくれた人たちの思惑も彼は虫はこれからは出来ないだろう。
そのことが凄く心配だ。
チェンジchange
変ることは大事だ。
でもコイズミクンのように叫ぶだけではいけない。
特定の人だけが得をする変革ではいけないのだ。
どう変るのかはもっと大事なことだ。
日本のきな臭い政治をテレビから見ている私にとって、
アメリカがどう変っていくのかが心配だ。
お金に負けるな!
私はそういいたい。
2008年11月 4日
休み無しで働いてます
報恩講が終わっても毎日何か用事があります。
今日明日と松寺さんに報恩講で法話をするご縁を頂いています。
松寺さんが当日配っておられる報恩講のしおりを頂いて見たのですが、色々勉強させていただきました。
報恩講で表白を読まれていたようです。
私は勤行の途中でついたのでよくわかってないのですが、どうも相みたいです。
表白をデータとして起こしましたしましたので良かったらご覧ください。
来年時間があれば参考にしたい!
さて明日何をお話ししようかな?
酔っぱらいすぎて頭が回りません
今日明日と松寺さんに報恩講で法話をするご縁を頂いています。
松寺さんが当日配っておられる報恩講のしおりを頂いて見たのですが、色々勉強させていただきました。
報恩講で表白を読まれていたようです。
私は勤行の途中でついたのでよくわかってないのですが、どうも相みたいです。
表白をデータとして起こしましたしましたので良かったらご覧ください。
来年時間があれば参考にしたい!
さて明日何をお話ししようかな?
酔っぱらいすぎて頭が回りません
2008年11月 2日
報恩講が終わり そして...
何とか何とか、報恩講を昨日勤めさせていただきました。
正直ホッとしています。 でも今日は自坊で地域の長寿会の追弔法要があり、明日は高岡市へ、明後日明明後日は富山市へ報恩講関係で出張です。
来週になればちょっとゆったり出来るはずです。
そして今朝寝坊をして、眠たい目をこすりながらごぼはんだよりを作りました。
よろしければご覧になってくださいこちらからどうぞ

2008年11月 1日
ほんこはん 何とか始まる
準備不足で何事も作業が遅れていたんですが、
ようやく、
というか
時間が来たので報恩講が始まりました。

ツワブキも花を咲かせています。

今年まだ花をつけていないエンジェルトランペットは、報恩講にも間に合いませんでした。もしかしたらせっかくもっている蕾も花を咲かすことなく落ちていくのかな?

午後のお勤めでは、正信偈の新四句目のお勤めを勤めていただいたのですが、
和讃は、色々考えた末、今自分がちょっとマイブームになっている、聖徳太子のことをうたってある
仏智の不思議を疑惑して 次第六首でお願いしました。
本当は、他力の信をえんひとは 以下でいきたかったのですが、節譜もちょっとややこしくまた次第七首になっちゃうので遠慮しちゃいました。
ようやく、
というか
時間が来たので報恩講が始まりました。
今年まだ花をつけていないエンジェルトランペットは、報恩講にも間に合いませんでした。もしかしたらせっかくもっている蕾も花を咲かすことなく落ちていくのかな?
和讃は、色々考えた末、今自分がちょっとマイブームになっている、聖徳太子のことをうたってある
仏智の不思議を疑惑して 次第六首でお願いしました。
本当は、他力の信をえんひとは 以下でいきたかったのですが、節譜もちょっとややこしくまた次第七首になっちゃうので遠慮しちゃいました。
仏智の不思議を疑惑して
罪福信じ善本を
修して浄土をねがうをば
胎生というとときたまう
仏智うたがうつみふかし
この心おもいしるならば
くゆるこころをむねとして
仏智の不思議をたのむべし
仏智不思議の誓願を
聖徳皇のめぐみにて
正定聚に帰入して
補処の弥勒のごとくなり
救世観音大菩薩
聖徳皇と示現して
多多のごとくすてずして
阿摩のごとくにそいたまう
無始よりこのかたこの世まで
聖徳皇のあわれみに
多多のごとくにそいたまい
阿摩のごとくにおわします
聖徳皇のあわれみて
仏智不思議の誓願に
すすめいれしめたまいてぞ
住正定聚の身となれる
