2008年10月アーカイブ: ごぼはんのひとりごと

2008年10月29日

季節 進む

急に寒くなってきたかんっじがします。
って言うか、
寝るときも毛布から布団へ変更!
寒くてエアコンつけてもちょっと間に合わない感というか、まだ肌寒さ
って言うことで急きょストーブを出してつけてます。

いつもだったら少しずつ冬に向けてシフトチェンジしていってたのに、
今年はなんかあわただしいです。
じょじょにって感じでなくがんがん、ビデオでいうと何倍速の早回しっていう感じです。
温暖化した地球らしいのかも知れません。

2008年10月27日

ストレス買い


色々最近ストレスがたまっているのか、
無性に買い物がしたくなって、
これを買いたいというものがあったわけではないんだけど、
楽天をうろうろしてました。
そういえば、
ワコールからダイエットパン摘みたいのが出ていたことを思い出して、
ラクしてやせよう、というか、
ラクして糖尿病と闘おうと思って、
クロスウォーカー
なるものを衝動買いしてみました。
でも注意書きには
一日六千歩以上の歩行と週五日以上の着用とありました。
ちょっとこれは無理かな、正しゅう五日間着用するのならいいんだけど、一日六千歩なんて無理や~
全然簡単ダイエットじゃないやん、と思うんです。
ところで俺一日に何歩歩いているんだろう?
なんていう初歩的な疑問を持っています。

2008年10月22日

おみがき

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今日の午前中尼講の方々に仏具のお磨きをしていただきました。
報恩講に向けてのプレイベント的なものです。
皆さんが集まっていただき仏具を磨いていただけることもうれしいですが、
そのことによって自分たちのお寺だって思っていただけることがうれしいです。
そして何より、お寺に集い団らんの時が出来上がっているのがうれしいです。
馬お磨きが終わり、皆さんでお茶を頂かれています。
その場は坊守に任せ私は腰が痛いということもあるのですが、奥で隠れています
皆さんにお磨きをしていただきいよいよ報恩講が迫ってきたっていうことを実感させていただいています。

2008年10月18日

ごぼはんだより報恩講案内号発行

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報恩講の案内を作ってありました。そろそろ配り出さなければ報恩講の案内にならなくて事後報告になってしまいます。 よろしければこちからから
後流星さんに連動してというか、促されてごはんいっぱい運動を私の所属しているお寺でもやってみようと計画しています。
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あともうひとつ
報恩好企画として、例年のごとくおやこのつどいを開催します。今回は提灯に絵を描いたりしようと思っています。
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2008年10月16日

災い?

一昨日の夕方になるのかな?
三男坊が緊急入院というか、緊急手術
肘を脱臼骨折?したらしい。
私の外泊中の出来事
三男坊は今年入院二度目、手術二度目
夏に耳の真珠腫を取り除く手術をしたばかり
何か落ち込んでしまいます。
ついつい俺何か悪いコトした?
厄終わったよなぁ?
なんていう方向で考えてしまう
とにかくよわったもんです。
まだ三男坊の顔を見に行けていません。
昨日の夕方氷見のお寺で報恩講のお話しをして帰ってきて、
今日組内寺院の報恩講朝事日中にお参りに行き、その後入棺お通夜、
明日は葬儀、
多分顔を見に行かず彼は退院するだろう。

というわけで、ほんのしばらくまた父子家族です。
保育所の送り迎えをしなければいけません。
洗濯、ごはんの用意と。
後報恩講の準備ももろもやっていかなければいけないのに...

今回は無理をせず、出来ることだけやっていこうと考えています。
そしていろんな人に助けてもらって、お世話になろうと。
そうするしかありません。
衣着て人前では、お互い様、元々人間は一人で生きていけないんだよ、なんて言っておきながら、
人に、他人をたよりにするのが苦手、
もっと言えば頭を下げ、カシを作るのが苦手、
いろんなこと見させていただいているのかも。

2008年10月12日

愚禿が名告り

愚禿という名告りについて、非僧非俗という得の名告り、そして愚者になりて往生すという言葉を頂いての名告りだと私は思ってた。
でも最近ちょっと修正しています。
得というのは聖を表す言葉、
民衆仏教として民衆への梯として仏教を運ばれていた肝心聖を意味する言葉だといた抱き直しています。非僧非俗というのも間違えではないけど、そういう意味で言えば非僧非俗は親鸞の専売特許ではなく、聖の方々の専売特許うだったものいつの間にか元祖が奪われた形だと思う。ついでに言えば肉食妻帯も。
ということで愚禿という名告りは
(専修)念仏聖を表す言葉だと私は今頂いています。
専修念仏と、民衆仏教の融合と言うことが親鸞さんの大きな課題であるということがあらわされているお名前だと思う。
念仏は民衆仏教としてふさわしいものなのだけど、専修念仏はどうだろ。

少なくとも私たち清沢満之に毒された、ちょっと言い過ぎかも知れないが、信心と言うことを哲学的視点で表現され、それを聞いてきた私たちの抱え込んで市まっいる、立派に見えるように飾ってたお念仏が民衆仏教なりうるのだろうか。融合し得るのだろうか。
雑修雑多な念仏は民衆化しやすいだろうけど、専修念仏はどうだろうって私は思ってしまう。
それを融合させるって言うのは凄い大きなロマンだと私は思う。
大事業だと私は思う。、

2008年10月11日

攝取心光常照護

攝取心光常照護
已能雖破無明闇
貪愛瞋懀之雲霧
常覆眞實信心天
譬如日光覆雲霧
雲霧之下明無闇

<試訳>

如来は常に我が身を照らし護ってくださっている
すでに闇夜は明けているのだけれども
我が煩悩の雲霧によって
信心の空を覆っているのである
それは太陽を雲霧が覆っていても
私のまわりは明るくて闇ではないようなものである

<尊号真像銘文>
「摂取心光常照護」というは、信心をえたる人をば無碍光仏の心光、つねにてらしまもりたまうゆえに、無明のやみはれ、生死のながきよ、すでにあかつきにな りぬとしるべしとなり。「已能雖破無明闇」というは、このこころなり。信心をうればあかつきになるがごとしとしるべし。「貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心 天」というは、われらが貪愛瞋憎をくもきりにたとえて、つねに信心の天におおえるなりとしるべし。「譬如日月覆雲霧 雲霧之下明無闇」というは、日月のく もきりにおおわるれども、やみはれて、くもきりのしたあきらかなるがごとく、貪愛瞋憎のくもきりに信心はおおわるれども、往生にさわりあるべからずとしる べしとなり。

光明遍く十方世界を照らす。念仏の衆生を摂取して捨てたまわず。(観無量寿経)
ただ専ら阿弥陀仏を念ずる衆生あれば、かの仏の心光つねにこの人を照らして、摂護して捨てず(観念法門)

彼の無碍光如来の名号は、よく衆生一切の無明を破す(浄土論註)
よく十方衆生の無明の黒闇を除く(浄土論註)

「水火二河」というは、すなわち衆生の貪愛は水のごとし、瞋憎は火のごとしと喩うるなり。「中間の白道四五寸」というは、すなわち衆生の貪瞋煩悩の中に、よく清浄願往生の心を生ぜしむるに喩うるなり。(散善義)


【三毒】(さんどく)

迷いをつくり、さとりを妨げる根本原因。


① 貧欲(とんよく)
求める心。生きる意欲。物、性、名誉などに執着する心。
外なるものを、あたかも価値(意味)あるように見せかける悪魔の働き。
外なるものとは、主に、金、物、異性、子ども、自分、能力、
組織、社会、名誉、身体、生命など。
どんなガラクタも、求める心(貧欲)があるために、
なにか特別な価値があるように感じさせられてしまう。
求める心は人間の生得の心であり、
これなくして生物として存在しえないが、
この心は自身をコントロールできない。

② 瞋恚(しんに)
求める心が妨げられたとき、また、実現しないときに湧く感情で、
欲求を妨げられたときは怒りとなり、
欲しいものを他が持つと嫉妬になる。
求める心(執着)が強いほど、目標は高く、意志が強くなり、
攻撃的、野心的な人格をつくる。
負けるな、諦めるな。負けたらお前の人生は破滅だと、
声ならざる声に脅迫されながら、衰弱した心に鞭を入れ、
闘争心をかきたてる。
怒りと嫉妬は、再び貧欲に還り、執着をさらに高める。
なぜ、求めるかの疑問はない。

③ 愚痴(ぐち)
求める心に支配され、操られ、なぜ、それがしたいのかもわからず、
夢遊病者のように、本能、欲望、野心の言うがままの奴隷になっている。
その事実に気づかず、求めて得られない苦しみ、
ストレスにある自分の姿に気づかないことを愚痴(無明)という。
根本的、致命的な無知である。
人の心が貧欲に支配されている事実を隠すための、
貧欲がつくった悪魔的な仕組みである。
この心の秘密に気づく、すなわち、
貧欲に支配され、怒り・嫉妬に狂わされている自分の現実に気づくことを
「さとり」(目覚め・気づき)という。


常に我が身を照らしてくださると言うことは
我が人生に無駄がない、無意味がないということ
無駄、無意味は私の価値観

2008年10月10日

報恩講に向けて

今朝思い立って、
報恩講中に開催するおやこのつどいで、行燈作りをしようかと思い色々調べていたんだけど、今からでは準備に時間がかかりそうなので、
変わりに子ども達に提灯に絵を描いてもらって飾ろうって言うのに変更しました。
というわけで、大谷保育協会グッズを使うことにして今ネットで注文しました。


まとめてカキコ

時間と心の余裕がなくて書き込めない状態でした。
今日は時間も余裕もなきけど、ちょっと気分が乗ったので、
TS3C0150.JPG TS3C0151.JPGのサムネール画像TS3C0152.JPG
写真は三枚しかないけどこれでいいのかな?
ツナマヨはちょっと塩からかったような記憶、昆布は昆布だなぁって、
そして昨日はサンマ寿司、終わりが見えてきたのでちょっと贅沢したくなり購入、
今時のサンマとしては脂身を感じることが出来ませんでしたが、すしの上に乗るもtotoしては良い感じでした。でも付属の山椒、何所が山椒だって感じで、機嫌が悪くなりました。
7日は知人が亡くなってたと言うことを知り、ちょっと落ち込みながらお話しをして、ドヨヨンって言う雰囲気を作り上げてしまいました。死別の悲しみみたいような話しをした覚えが、...
8日は、天気が回復してきたので、っていう言い訳ではないけど、亡くなった人と仏菩薩として出会いましょう、、死別することは悲しいことだけど、生き様を振り返りながら教えを戴く人として新たに出会い直そうなんて言う、実はよくお通夜の時に話している内容を話しました。
そして昨日は、大乗の真髄念仏、聖の系譜を受け継ぐ真宗教団は民衆仏教、そういうことを考えれば念仏を相続している私たちは自らが念仏を称えるということも大事だけど、教える、伝えると言うことが大切梨午後としてあるのでは、という感じの話をした。
さて境南ですが、
夕食はラーメンでも食べようかと思っているんですが、その他のことが決まってません。
別院でお話しを戴く最終日、どんな事をお話ししたらいいのか、よくわからないというか、ネタ尽きたみたいところもあります。
明後日同朋の会で「摂取心光常照護 常覆真実信心天」小こった変のお話しをすることになっているので、小こった変のお話しでもとも考えているのですが、考える力がまだ湧いてきません。

2008年10月 7日

昨日はスルー


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昨日は近隣寺院の報恩講があって午前中お参りに行かせていただきました。久しぶりの報恩講ということがあって上手にお勤めできたって言うわけには行きませんでした。持久力のなさを感じさせられました。声は出るのですが、長続きしません。またむせかえってしまいます。鍛えなきゃねぇ。
久しぶりと言うこともあって恩徳讃をゆっくり味わせていただきました。
午前中報恩講にお参りしたので、いつもの列車で金沢に行くことが出来ず、一本後の高岡行きに乗り後は特急列車に乗り継ぎ金沢まで行きました。ついでにお昼ごはんも家でいただきました。
ということで金沢駅近くでのコンビニはスルーして別院に向かいました。
昨日は親鸞という名告りについてお話ししようと思ったのですが、自分の中で全然整理がつかなかったので、「善信」の名告りを親鸞聖人19才の聖徳太子廟ので夢告を紹介しながらお話しさせていただきました。
ところで親鸞という名告りのもとである、天親曇鸞、宗祖にとってどんな存在だったのか?悩んでいます。
大乗仏教というキーワードで見ようかと思ったのですが、自分の中で頷けず、曇鸞の「往還廻向由他力」還相回向、響流十方、名声十方に聞こえん、その辺のことなのか名なんて細々考えています。
弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず。善導の御釈まことなら ば、法然のおおせそらごとならんや。法然のおおせまことならば、親鸞がもうすむね、またもって、むなしかるべからずそうろうか。詮ずるところ、愚身の信心 におきてはかくのごとし。
なんて感じで天親曇鸞がある意味スルーされているんですよねぇ。
流罪にあって宗祖は何故親鸞を名告ったのか、しばらく考えてみたいです。
その前に今日お話しすることをまとめなきゃならんのに...

2008年10月 5日

煩悩満ちたところで考える

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私年に何度か金沢別院と城端別院でお話しをさせて戴くご縁を頂いています。
城端別院は朝と午後は梨をすり事になっており、交通の便も悪いこともあって泊まり込むことになります。そして金沢別院では午後だけのお話しで交通の便もまぁ間という事で、後泊まることが麩かということで、通っています。
城端別院はじっくりこもって、家庭と離れることが出来るのでじっくり考え込むことが出来る時間狩ります。でも金沢の時はそうはいきません、アサツキマリ里をして電車に乗って金沢に行き、帰ってきたから残りの月参りをして、という感じで慌ただしいです。でも慌ただしい中、冊遠いっぱいはいる中、お話しをさせて戴くない用を決める作業も大事だと最近感じています。
「聖人」という言葉を手がかりに、聖、非僧非俗、民衆仏教、大乗仏教としての真宗っていう話しをさせて頂こうと思っています。
そろそろ呼びに来られる時間です。ちょっとメットをしている暇はなかったようです。

2008年10月 4日

まよい

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いつも金沢別院で話しをさせて戴くとき、別院に入る前コンビニに入るのが定番になっている。
昼食を買うためだ。と言ってもおにぎり一個しか買わないんだけどね。
よくよく考えれば家を出る前ジャーに入っているご飯を握って持ってくれば、経済的だし、健康的、でも、何にしようか悩むのが楽しみ。
コンビニのおにぎりが美味しいとは決して思わない。
今日も当然のごとくコンビニに立ち寄っておにぎりを買った。
でも今日は結構悩んだ。
昆布にしようか、海苔の佃煮入りにしようか。
何故迷ったかといえばこの間どちらを買ったかわからなくなったからだ、どっちか悩んだ。
結局梅入りを買ったんだけど。
この梅入り梅の種が入ってなかった。これって常識なんだろうか。食べた後ゴミというかじゃまなものなんだけど、なかったらなんか寂しい。
今シーズンは決行シンプルな具材を選んでいる。

今日の話しなんですが、
讃題にしていたことが自分の中でちょっと成立いてしまったので、困ってたんですが、
と言うことで今日は
真宗の御利益なんていう話しをすることにしました。
庶民、民衆仏教として真宗を考えるとこういう言い方は大事だという気がしてきました。
我つねに照らしたもうと題をつけてもいいのですが、こういう感じで話し始めようと思います。
もしかすると高野聖としての親鸞なんていうことも流れによっては話しするかも知れません。

八百長

ここ最近テレビのワイドショーなどで相撲の八百長についてよく取り上げられている。
私も何故か妙味深く見ている。
でも私からすると八百長があったのかなかったのかと言うことはあまり関心がない。
ただ関係者が八百長について暴露?していくことがおもしろい。
大相撲はプロの相撲であるという観点からすれば、相撲がショー的な要素も必要だと思う。おもしろくなければいけないと思う。
だから台本があっても良いと私は考える。
でも、
アメリカのプロレスのようにバレバレの台本では台無し、おもしろくない。

まぁ水戸黄門を代表とする時代劇のようにおきまりがたくさんあるというショーもあるのだけど、
見え見えをなくすにはテクニックが必要。
うまくなければダメ。
協会側が八百長があっても否定すると言うことも私はショーとしては大事なこと。
今の裁判も相撲ショーの一環として私は見ている。
あってもも否定、なくても否定。これがプロの相撲としては当然のこと。

私が大相撲に求めることは
八百長をなくすと言うことより、相撲をおもしろくすることが大事だと思う。
でもアメリカのテレビのショー的なものは好まない。
一生懸命取り組み、こっちも手に汗握る感じで見せてくれる、はらはらすtる相撲が私が好きだ。
この裁判も台本があるのなら私は拍手喝采を送りたい。
それぐらいの台本を書く放送作家を相撲協会は雇ってほしい。私はそう思う。

2008年10月 3日

今日は暖かい

今日はなぜかほのぼのモードです。たぶん気候のせいでしょう。
でも話する内容はそんなに詰まってません。ただ
不断煩悩得涅槃だからこそお浄土へは凡聖逆謗ひとしく回入する
という感じのことを最近思っているのですが、そのことを問題提起できればとだけ考えています。

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2008年10月 2日

本 届く

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先日アマゾンで注文していた五来さんの聖の系譜と庶民仏教という本が届きました。
麻生参りを一軒すませ、荷物が出来たので言えに沖におくために家に寄ったら、にっつのトラックが止まってて、これはと思い早速どきどきして家に入った。
ちょっと拝んで次のお参りに行くつもりだったけど、ついつい斜め読み、
気づけば駅に向かわないといけない時間に。
大失敗。
電車の中で善光寺聖としての親鸞という項目を早速読む。
全部読めたわけではないが、自分にとって興味のあることが次々と書いてあった。
本山でつとまっている坂東節は、高野聖の方々が勤めていた踊り念仏ではないかという説を説かれていて、これも興味深い。それに善鸞と親鸞の念仏観にもついて半島にはじめの殺いた親鸞の念仏観と、善鸞が義絶されるときの念仏観は装置が謂はないのではないかと言うことも書いてあって、善鸞義絶は誰かに仕組まれたものという誰かの説を裏付けできるようなものだと思った。
その他聖についても色々書いてあるようなので、今読んでいるところが終わってから改めてはじめから読むことにしようと思っている。
山伏、そして善光寺堂衆、妻帯、そのことが親鸞の中でつながってくる。
本を読めて自分なりにある程度納得できたら、法話でもお話ししたいと思っている。


一本の鉛筆


今日別院で大きな石が釣鐘堂に下がっていると言う話しをしようと思って、色々予習していて、
久々に美空戸破産の一本の鉛筆について検索したら、ユーチューブで動画がありました。
ついてでに、アイチェーンで、戸破産の一本の鉛筆をダウンロードして、iPodに入れ込みました。
アルバムごと購入しようと思ったのですが、曲も多いからなんでしょうが、1万円もしていたので迷いながら今回は断念しました。

今朝からいつも使っているPCのマウスの調子が悪く、途中からストライキを起こして動いてくれなくなります。作業が進まなくてこっちもストライキを起こしたくなるぐらいです。
とりあえず今ノートパソコンを使って何とかやっています。

2008年10月 1日

今日から

十日まで金沢別院の定例布教でお話をさせていただくご縁を頂いています。
電車で金沢までやって来たのですが、なぜかほとんど寝ていました。

今気持ちを入れ替えているところです。
取りあえず布教日誌には「応信如来如実言凡聖逆謗斉回入」と書きました。書いてから「能発一念喜愛心凡聖逆謗斉回入」にすればよかったかもとも思いましたが、もう書いた後なので…。
きょうは「好きもんやからやっているんじゃない」という言葉を手掛かりに話していこうと考えています。