季節 進む
って言うか、
寝るときも毛布から布団へ変更!
寒くてエアコンつけてもちょっと間に合わない感というか、まだ肌寒さ
って言うことで急きょストーブを出してつけてます。
いつもだったら少しずつ冬に向けてシフトチェンジしていってたのに、
今年はなんかあわただしいです。
じょじょにって感じでなくがんがん、ビデオでいうと何倍速の早回しっていう感じです。
温暖化した地球らしいのかも知れません。
富山に住むみゃぁらくもんのあおさんが、誰に気兼ねなく思うまま書き留めるブログ、にしたい, できるかなぁ?
2008年10月29日
2008年10月27日
2008年10月22日
2008年10月18日


2008年10月16日
2008年10月12日
2008年10月11日
攝取心光常照護
已能雖破無明闇
貪愛瞋懀之雲霧
常覆眞實信心天
譬如日光覆雲霧
雲霧之下明無闇
<試訳>
如来は常に我が身を照らし護ってくださっている
すでに闇夜は明けているのだけれども
我が煩悩の雲霧によって
信心の空を覆っているのである
それは太陽を雲霧が覆っていても
私のまわりは明るくて闇ではないようなものである
<尊号真像銘文>
「摂取心光常照護」というは、信心をえたる人をば無碍光仏の心光、つねにてらしまもりたまうゆえに、無明のやみはれ、生死のながきよ、すでにあかつきにな りぬとしるべしとなり。「已能雖破無明闇」というは、このこころなり。信心をうればあかつきになるがごとしとしるべし。「貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心 天」というは、われらが貪愛瞋憎をくもきりにたとえて、つねに信心の天におおえるなりとしるべし。「譬如日月覆雲霧 雲霧之下明無闇」というは、日月のく もきりにおおわるれども、やみはれて、くもきりのしたあきらかなるがごとく、貪愛瞋憎のくもきりに信心はおおわるれども、往生にさわりあるべからずとしる べしとなり。
光明遍く十方世界を照らす。念仏の衆生を摂取して捨てたまわず。(観無量寿経)
ただ専ら阿弥陀仏を念ずる衆生あれば、かの仏の心光つねにこの人を照らして、摂護して捨てず(観念法門)
彼の無碍光如来の名号は、よく衆生一切の無明を破す(浄土論註)
よく十方衆生の無明の黒闇を除く(浄土論註)
【三毒】(さんどく)「水火二河」というは、すなわち衆生の貪愛は水のごとし、瞋憎は火のごとしと喩うるなり。「中間の白道四五寸」というは、すなわち衆生の貪瞋煩悩の中に、よく清浄願往生の心を生ぜしむるに喩うるなり。(散善義)
2008年10月10日
2008年10月 7日
弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず。善導の御釈まことなら ば、法然のおおせそらごとならんや。法然のおおせまことならば、親鸞がもうすむね、またもって、むなしかるべからずそうろうか。詮ずるところ、愚身の信心 におきてはかくのごとし。なんて感じで天親曇鸞がある意味スルーされているんですよねぇ。
2008年10月 5日
2008年10月 4日
2008年10月 3日
今日はなぜかほのぼのモードです。たぶん気候のせいでしょう。
でも話する内容はそんなに詰まってません。ただ
不断煩悩得涅槃だからこそお浄土へは凡聖逆謗ひとしく回入する
という感じのことを最近思っているのですが、そのことを問題提起できればとだけ考えています。
2008年10月 2日
2008年10月 1日
十日まで金沢別院の定例布教でお話をさせていただくご縁を頂いています。
電車で金沢までやって来たのですが、なぜかほとんど寝ていました。
今気持ちを入れ替えているところです。
取りあえず布教日誌には「応信如来如実言凡聖逆謗斉回入」と書きました。書いてから「能発一念喜愛心凡聖逆謗斉回入」にすればよかったかもとも思いましたが、もう書いた後なので…。
きょうは「好きもんやからやっているんじゃない」という言葉を手掛かりに話していこうと考えています。