2008年5月31日
2008年5月30日
2008年5月29日
2008年5月27日
しっかりしてちょんまげ
ちょっと意識が薄かったのかな。情報誌の送り先3416人分ネット流出 真宗大谷派
2008年05月26日(asahi.com)
真宗大谷派(本山・東本願寺、京都市)は26日、研究交流施設「親鸞仏教センター」(東京都文京区)が定期的に発行している情報誌「アンジャリ」の送り先3416人分の名簿などが、ファイル交換ソフト「ウィニー」を通じて流出したと発表した。
名簿には氏名、住所、電話番号、職業などが含まれ、情報誌に執筆していた大学教授や経営者、国会議員、ジャーナリストらの住所などの情報もあったという。同派は全員に文書で謝罪する。
もう少し敏感処理してほしい、
ネットカフェで残業するって都会を感じでしまう私でした。
自分はネットカフェで残業するって事はないけど、自分も気をつけなきゃね
2008年5月26日
2008年5月24日
運動会
2008年5月22日
八百万の神々
宗教を利用した政治の歴史
また政治に金の鎖をつけられ骨抜きにされた様々な宗教
政治の絶対性を主張するために宗教が使われる
日本にも豪族の国々にそれぞれの神が存在した
政治を司る神が
そして力ある国が弱い国を占領するとき
強き国の神を押しつけづに
強き国の神が弱きくにの神を支配化する
しかし、宗教儀式は占領した神の儀式であらゆる神々と対話してゆく
神は八百万存在するが、神々を支配する神が存在する
仏教の仏も日本では支配される神としていまだに存在する
何度か仏の復権も何度か試されただろうけど...
日本に住む限りは天皇の臣民として生かさせられる
いつのまにか地域の文化・言葉まで奪われてしまっている
特にここ百年
在日琉球人を名告る方が、ヤマトの国には文化が存在しないと言った
天皇制を指示する限り文化は存在しないと
私は思う
天皇制という文化は存在する
また地域文化は面影は少し残っている
足跡はまだ残っている
しかし
このままでは、東京の文化、天皇制文化だけが文化として残される
臣民として演じ生きることが文化として伝承されていく
地域文化 我が文化 八百万の神々のそれぞれの文化をそれぞれ認め合いながら輝きあう社会
それが仏の国
阿弥陀の国 極楽だ
2008年5月21日
枯らす
なんと、
水菜がほとんど枯れちゃってました。
ここ数日雨が全く降ってなかったのに水を一滴もやってなかったからなぁ~
そして一昨日の熱風では仕方ないかな、でも水を与えなかった私の責任です。
ごめんね水菜よ!
そして、昨日またのぞきに行くと、
雨が降ったので生き返らないかと望みをつけて見に行ったのですが、
当然復活してませんでした。
ついでに、三本植えたオクラですが、二本跡形もありませんでした。
一本は間違いなく抜き取られていました。
鳥の仕業か、ノラたちの仕業か...
ちょっとショックです。
水菜は種をまき直しです。
オクラは種をまいて育ててありますので大きくなったら移植です。
キュウリの苗はだいぶ大きくなりました。本場を少し顔を出しています。
楽しみなこともあります。
2008年5月19日
土曜日
土曜日夕方富山別院へ行ってきました。
北島さんの一人芝居と、琉球舞踊がありました。
北島さんの一人芝居は行った時間が遅かったのでほとんど終盤でした。
その後舞踊があり、別院ではビールを売っていなかったので、
コンビニまで前もって買いに行って舞踊を楽しみました。
やっぱり私はほろ酔い気分で音楽や舞踊を聞くのが大好きです。
楽しかったです。
琉球の音楽もウタを節をつけて歌うことが多いので韻を遊ぶ感じでした。
やっぱ東アジア地域の特徴なのでしょうか
でも私まだ朝鮮音楽を聴いたことがないので断定は出来ませんが...
写真を何枚か撮ったのですが、「ストロボ撮影をご遠慮ください」というアナウンスがあったのでその言葉を守りストロボ撮影をしなかったらやっぱぶれているものばっかりでした。そうならば一眼レフと三脚を持って行くのだった...
自分お寺の御崇教でないので発言権はないのですが、
別院の御遠忌事業として沖縄の舞踊をされたのですから、これで終わりにしてほしくないです。始まりにして、「オキナワ」、富山にある沖縄、沖縄と富山ていうことを掘り下げていってほしいです。
2008年5月17日
昨日の買い物
本棚をのぞき込んでいたら、
「災害と向かい合う宗教」
という題の本が目に入った。
中国ので自身があってなお目に映ったのだろうか、凄く気になった。
著者は、五百井さんだった。
五百井さんやんかと思ってもっと見てみると、出版元が、日本基督教団兵庫教区被災者生活支援・長田センターとなっていた。大谷派でないのかっていうちょっと残念な重いと、五百井さんのネットワークの深さを感じさせていただいた。
ちゃんと買わせていただきました。
優先度の高い順番で読まさせていただこうと思います。
でも私五百井さんと直接お会いしたことは多分ありません。
でもしっています、また何故か近親感があります。
2008年5月16日
北陸連区差別問題研修会
標題の研修会が昨日から今日までありました。
KCCの李清一さんそして高橋法信さんのお話がありました。
高橋さんのお話は、後からこれ聞いたことのある話だな、闇ていうのがいっぱいあったのですが、でも最初は初めて聞く内容、だと思って聞いちゃってるんです、自分の記憶が悪いのか、どうかわかりませんが、新鮮に耳に入ってきたのです。
笑ったり聞き込んだり、頷いたり、涙したり、やっぱ、法信なんの話しを聞くの私は好きです。
李さんの話しで外国人住民基本法制定の話しも聞いたのですが、
外国人が住みやすい社会は日本人にも住みやすい等位キャッチコピーをいわれたのですが、
なるほどそうだ、なんて思うのだけど、
日本人が日本人にも住みやすくなったなんて実感するまで時間がかかるのではないだろうかなんていうことも思った。最初は慣れるまで今までの常識が通じなくて結構大変だろうなんて感じた。これを乗り越えるには共生という願いを持ち続ける、宝とし続けるしかない、そこが大変だろうなんて思った。
共生という概念をイメージすることの大切さもおっしゃっておられた。ビートルズのイマジンかな。オノヨーコのアートの世界っていう感じかな。
夜は結構早くつぶれてしまったんだけど、楽しく飲んでしゃべって、耳をかたむけて講義を聴いた研修会でした。
2008年5月15日
2008年5月14日
2008年5月13日
わざと足を運ぶ
久しぶりに、純粋に話が聞きたくて講演会に足を運びました。
そんなに人の話を聞きに行く私ではないということもあるのですが、
また、聞きたいっていう思いがあってももう一つ、仕方ない、とか役職だからなぁ~っていうおも意が同居しながら人の話を聞きに行くことは、あるのですが、
今回は隣の教区の事業というか、富山別院の修復事業の一環というかそういう学習会に足を運びました。
阿満さんの話が聞きたいという思い出足を運びました。
彼の本を何冊か読み、といっても正確には一冊半ぐらいかな、
(読んでないやないか!)
凄く気になる人で一度生でお話が聞きたかったのです。
ということで足を運びました。
富山別院は富山藩の合寺令を縁として造られたお寺、別院です。...だそうです。
ということで講題は、宗教と政治でした。
初めてお顔を拝見してびっくりしたのですが、白髪の人でした。というのも、自分の中ではもうちょっと若い感じっていうか、白髪っていうイメージがありませんでした。
いろんな単語をメモしたのですが、
「政治と宗教というのは真逆なものだ」というような言葉が印象に残っています。政治は暴力であり抑圧それに対し宗教はじだというようなことをおっしゃっておられました。記憶が確かなら...
本当に念仏を大事にしておられる方だっていう感じを受けとりました。
だから真逆なんていうようなことをおっしゃられるんだとも思いました。
やっぱ親鸞法然の念仏に出会えばそういいきるのは当然という感じも私にはあるんですが...
でも宗教教団寺所属する僧侶としてはそうなんだけど...、なんていう思いも私にはあります。私の所属する宗教団体は法然親鸞の流れを間違いなく受け継いでいるのですが...
私の教団は、教団護持のため政治に寄り添っていった。教団の権威をというものを表現するために天皇制を利用していった。だから私はそういう歴史が頭にちらついて
宗教と政治は真逆なんて言い切れない。
それと阿満さんは凄く同朋会運動を評価されていると思った。
恥ずかしいぐらいだった。
誤解だっていいたいぐらいだった。
阿満さんの視点からいえば私も同朋会運動に関わっているものとして受け取られているんだとも感じた。私はそんな自覚は薄く、同朋会運動とは結構遠い存在で批判する存在としてある意味あるのだけど、
とにかく阿満さんの話が聞けたことがうれしかった。
宗教は慈悲、政治は抑圧といわれたけど、
真宗僧侶である俺、
子ども達には抑圧ばっかり、抑圧の中で何かを伝えようとしている。
そんな自分が情けなくも思った。
それをやめれそうにもない、そのことも情けない。
2008年5月12日
2008年5月10日
07 重誓妙声聞十方
覩見諸佛淨土因
國土人天之善惡
建立无上殊勝願
超發希有大弘誓
五劫思惟之懾受
重誓名聲聞十方
法蔵菩薩は
いろんな仏様が仏の国を造られようとした願い、
仏様の国に住むものの有り様を世自在王仏より聞き取られ
なにものにもまさる大いなる願いおこされ
かつてない深い誓いを建てられたのでした。
計り知れないぐらい長い間自分はなぜ仏になるのかを問われ仏に我が願いをのべられました
重ねて我が名と我が名のいわれがあらゆる人々に届けたいと誓われた
重誓名聲聞十方
仏、阿難に告げたまわく、「その時に法蔵比丘、この願を説き 已りて頌を説きて曰わく、
我、超世の願を建つ、 必ず無上道に至らん、
この願満足せずは、 誓う、正覚を成らじ。
我、無量劫において、 大施主となりて
普くもろもろの貧苦を済わずは、 誓う、正覚を成らじ。
我、仏道を成るに至りて、 名声十方に超えん。
究竟して聞ゆるところなくは、 誓う、正覚を成らじ。(無量寿経)
舎利弗、汝が意において云何。かの仏を何のゆえぞ阿弥陀と号する。舎利弗、かの仏の光明、無量にして、十方の国を照らすに、障碍するところなし。このゆえに号して阿弥陀とす。また舎利弗、かの仏の寿命およびその人民も、無量無辺阿僧祇劫なり、かるがゆえに阿弥陀と名づく。(阿弥陀経)
十方微塵世界の
念仏の衆生をみそなわし
摂取してすてざれば
阿弥陀となづけたてまつる(浄土和讃)
普放无量无邊光
无碍无對光炎王
清淨歡喜智慧光
不斷難思无稱光
超日月光照塵刹
一切群生蒙光照
<試訳>
はかりしれなく限りない光、さまたげなく比べものにならない燃えさかる炎のような光、清らかな喜びを与える智慧の光、ずっと思いつくすことなく言い 尽くすことのできない光、太陽をも月をも越えた光を阿弥陀仏は幾多の国々にはなつ。そしていきとしいけるものすべてが弥陀の慈悲に我が身が照らされる
如来の徳がひかりというよりは
如来を光として感じる
「帰命尽十方無碍光如来」ともうすは、帰命は南無なり。また帰命ともうすは、如来の勅命にしたがうこころなり。尽十方無碍光如来ともうすは、すなわち阿弥 陀如来なり。この如来は光明なり。尽十方というは、尽はつくすという、ことごとくという。十方世界をつくして、ことごとくみちたまえるなり。無碍という は、さわることなしとなり。さわることなしともうすは、衆生の煩悩悪業にさえられざるなり。光如来ともうすは、阿弥陀仏なり。この如来はすなわち不可思議 光仏ともうす。この如来は智慧のかたちなり。十方微塵刹土にみちたまえるなりとしるべしとなり。(尊号真像銘文)
尊者阿難、仏の聖旨を承けてすなわち座より起ち、偏えに右の肩を袒ぎ、長跪合掌して仏に白して言さく、「今日、世尊、諸根悦予し姿色清浄にして、光顔魏魏 とまします。明らかなる浄鏡の裏表に影暢するがごとし。威容顕曜にして超絶したまえること無量なり。未だ曾て瞻覩せず。殊妙なること今のごとくましますを ば。唯然り。
その時に次に仏ましましき。世自在王、如来・応供・等正覚・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と名づけたてまつる。時に国王ま しましき。仏の説法を聞きて心に悦予を懐き、尋ち無上正真道の意を発しき。国を棄て、王を捐てて、行じて沙門と作り、号して法蔵と曰いき。高才勇哲にし て、世と超異せり。世自在王如来の所に詣でて、仏の足を稽首し、右に繞ること三帀して、長跪し合掌して頌をもって讃じて曰わく、巍...たかい 高大な様
光顔魏魏として、威神極まりましまさず。
かくのごときの焰明、与に等しき者なし。
光を光として感じる 星は昼も輝いているが、太陽がまぶしすぎて見えない、闇夜だから星を感じる
無明の闇を破す
2008年5月 8日
バーベキューの附木
家族でバーベキューに近いことをしました。
よ~く考えてみると家族でバーべーキューをしたの初めてだったかも知れません。
おやこのつどいの時や、近所の友人としたことは何度かあったんですが、家族だけでしたの思い浮かびません。
午前中お参りを済ませ、
午後からバーべーキュー開催予定地の、
うちのもと庭、今に一番近いと頃の草刈を先しました。
今季初、と言うか今年に入って初めて草刈機を裏の庭だったと言わなければならないところに入れました。二時間ぐらいかかりました。
終わりがけ他の所にも草刈気を入れていたのですが、突然エンジンがストップ。
再度、スターターを回そうとしても回りません、動きません。かたいです。
どうもエンジンが焼け付いたみたいです。
思い当たることがあるのです。
使っている燃料、これにオイルを混ぜたかどうだか疑問のところでこの間から使っていたのです。
これで三度目の給油で、大丈夫だったのかと今回は安心して使っていたのですが、終わりがけのエンジンストップ!
やっぱりオイルを入れるの忘れていたのかな~
って感じです。
そんな原因を追及しても今更遅いのです。もう草刈機は何をしても動かないのですから。
また余計な出費をせなならん!
ちょっと落ち込みながらもバーベキューの準備、
我が家で初めてバーベキューコンロなるものを使用しました。
U字溝を使ったコンロは以前門徒さんが作ってくれていてそれを使っていたのですが、
むか~しむか~し買って仏青で使ったものが倉庫に眠っている者があるのですが、それを初めて家で使うことにしました。部品があるかどうか心配だったのですが、大丈夫でした。
炭にどうやって火をつけようか悩んだのですが、
去年、おやこのつどいの時新聞紙で火をつけていたら、近所の子どもが、そういうコトしちゃいけないよって助言してくれました。新聞紙の燃えかすがどこかに飛んでいって火事になるからダメなんだそうです。これが今のアウトドアーの常識なのだそうで、
そういうことを思い出したのですが、その意見を無視して新聞紙で火をつけることにしました。そして付け気として何を使おうか悩んでいたのですが、もと庭には沢山枝だ落ちていてそれを使うのも委員だけど、
乾いた気というキーワードで我が家にある付け気になるものを探していると、
玄関で、私が使い古したげたが何足もあるのが目に入り、
このうちの一足を使おう、っていうことが即決定して、鉈で薪割りならぬ、下駄割りをしました。
その後順調に、
子ども達三人は食べるだけ食べてすぐ部屋の中に入ってゲーム三昧となりましたが、
末っ子と夫婦でじっくり野菜メインで肉を食しました。
準備に時間がかかったと言うこともあり、自分的には結構楽しかったです。
ということでこんかい炭に火をつけるために使ったものは
使い終わった下駄でした。
2008年5月 5日
今日は誕生日
あやふやなんですが、十一歳かな?。ぅ~~ん
人のお言葉をかれれば、私も十一歳。長男の父親をさせてもらって...
ホントはしてやってっているなんていう言い方のほうがあたっているかも。
最近はがみがみ父ちゃんって感じです。
やきゅうの練習にいってもがみがみジジィ。
どこか、自分の思い通りに操ってやろう、なんていう思いに支配されています。
長男にはちょっと後ろめたいところがあります。
最初の子どもっていうところで気負いがめっちゃあって、いろんな思いがあって、
結局プレッシャーばかりかけていたような気がします。
実は長男は一年前ぐらいまでよく手をしゃぶっていました。
そういう姿を見てしゃぶるの病めっていえなくて、反対に申し訳ないっていう思いが先に来ていました。
でもその長男も親になれてくれたというか、だいぶ扱いやすい(?)感じになってきました。こういう言い方はしる礼な言い方なんでしょうが、
少しずついろんなことを聞くにしゃべってくれるようになってくれている感じです。
でも、もう少ししたラドン土は反抗期になるのかも知れないですが...
TOPに拡張なんと向き合うことによって、四人の子ども達と生活し、彼らを意識することで、いろんな自分に出会わせてもらっています。
デビュー
自分が出来ることはそんなにないので、球拾いぐらいである。
今日初めて北電グランドの練習につきあった。
今日はこどもの日ということで、紅白戦とコーチ陣が決めたみたいだ。
自分のんきにじっくり息子のがんばりを見ておればいいのだろうって安心していると、
塁審をしてほしいとのこと。
俺そんなことしたことない、自信ない、
そんなこと言う暇もなく試合が始まった。
セカンドの塁審だったんだけど、どこに立っていいのやらわからず、ちんぷんかんぷん、
悩みながら、悩みながら、いつの間にか終了しました。
2008年5月 3日
2008年5月 2日
仕事したくない
そして、一ヶ月前ぐらいにウコンを買っておいたのを思い出し、畝を作り植え付けをして、
キュウリとオクラの種をまきました。
いつの間にかお昼を過ぎていました。
2008年5月 1日
